諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】青春(アオハル)は企画会議室で起こってるんじゃない?

シリーズ物とは聞いてましたが、第二弾が発表された様です。

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むしろ「実写版」の方が何倍も良いという意見も登場。

同じ日清の「どん兵衛」における「けものフレンズ」とのコラボCMとの明暗も指摘されています。

そもそも「青春シリーズ」でキャラクター原案を手掛ける窪之内英策は1980年代トレンディドラマを茶化した「ツルモク独身寮(1988年〜1991年)」でデビューした人。

 そういう人物をあえて「商業至上主義(1960年代〜1990年代)」の一時期栄えた「青春搾取(Youth Exploitation)コンテンツ」の象徴にもってきた結果「359度ズレちゃった感じ」が漂う結果になってしまった辺りに「気持ち悪さ」の正体がある様です。それにしても当時の残滓がゾンビの様に次々と息を吹き返す理由…

どうやらそれには以下の様な制作環境のせいらしいんです。

本当にただ「残り滓」が排出されてるだけなんだ…むしろこの話を読んで思い出したのは「フェリーニカサノバ(Casanova Di Federico Fellini、1976年)」の中で残酷なまでに克明に描かれた「(自らはそれを決して自覚出来ない)クリエーターの老いがもたらす悲喜劇」問題。文明の最前線で通用しなくなって田舎宮廷に落ち延びた詐欺師。「ミネストローネ (minestrone、イタリア語で「スープ」の意) はないのか?」「ポタージュ(potage、フランス語で「スープ」の意)ならこれさ(ドヤ顔)」のやり取りが端的に示す独特の零落の悲しみ。そして記憶の中で次々と美化され、自動人形の不変性に重ねられていく「若い頃の輝かしき思い出」…

flowerwild.net - あなたの心はカメラなの──『秘密の子供』
貴方達が本当に思い出すべきだったのは「全盛期の商業主義」が当時の実際の青少年に強要した「それに蝕まれ、物欲や少女買春に走らされる不毛な青春」、要するに村上龍原作映画「トパーズ(1991年)」「ラブ&ポップ(1996年)」の世界だったのでは?

その上で「19世紀欧州において最も危険だった男オーギュスト・ブランキや「1980年代日本において最も危険だった男別役実細野晴臣が直視した「石炭袋=決して超えられない夜を巡る永劫回帰」の向こう側にこそ思いを寄せるべきだったのでは?

オーギュスト・ブランキ『天体による永遠』書評:阿部重夫主筆ブログ:FACTA online


*今はむしろ「一歩でも先に進む為に青春の美化など許さない厳格な態度」こそが最新トレンド。ミヒャエル・エンデはてしない物語(Die unendliche Geschichte、1979年)」が既に描いていた「事象の地平線に近くほど既存の日常が跡形もなく崩壊して失われていく恐ろしさ」の直視…

確かにこの状況では「現代社会におけるリアルな10代の心理」への到達なんて絶対に不可能そうなんです?

 さて、私達はどんな未来に向けて漂流しているんでしょうか?