諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ハチ】【米津玄師】【砂の惑星】「ボカロ界隈を脅かす絶対他者の一人」?

日常の裂け目の顕現こそが歴史を動かしてきた」というのが最近の私の立場。

その意味では「惑星ソラリス」とか「レプリカント」とか「ゾンビ」といった「それまでの日常に裂け目を生じさせるおぞましい概念」が本質的に備える「絶対他者性」が非常に重要な意味合いを持ってきます。ただしあくまで「決っして人類の良識側に取り込まれない事」こそがその成立条件。「人間性を獲得した惑星ソラリスレプリカントはゾンビ」などが登場したところで、良い意味でも悪い意味でも「元来の役割を放棄した残り滓」に過ぎなくなってしまうんです。

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こうした情景の背後に実存するのは「既存の正義が新たな価値観の台頭を前に敗北し、それをも取り込んだ新しい善悪の境界線が敷き直されるサイクル」の繰り返し。

  • 体制側は、既存価値観を揺るがす新たな価値観が台頭すると、まずそれを「最後には必ず自滅していく」絶対悪認定して勧善懲悪のバランスを保とうとする。

  • だが堤防崩壊は蟻の一穴から生じる。特に金儲けにしか関心のない産業至上主義の暴走が鍵になる事が多い。そして、そして、そうやって表舞台への台頭を許された「いかがわしい人々」 が触媒となって次第に既存価値観の形骸化が進む。

  • だが決して「(表舞台への進出の足掛かりを得た)いかがわしい人々」が「それまでまっとうだと思われてきた人々」に完全勝利する日など訪れない。「新たに設定された境界線においてまっとうとされた人々」を引き抜かれてその魅力の大半を喪失し切り捨てられた「絶対他者」は、ただ舌打ちしながら再び認識上の闇の中へと戻っていくのみである。

そして気付くと「絶対他者との邂逅の記録」そのものが抹消されている。歴史とはそういう形で営まれてきたとも。

*そう、ちょうど「同性婚の合法化」が却って「乱交を好むバイセクシャル」の絶対他者性を際立たせてしまった様に。ある意味、このサイクルこそが歴史的展開の本質とも。

同性婚の合法化」とは進歩主義的側面だけでなく「配偶者への貞節と家族構築の義務の強要(異性愛者か同性愛者かバイセクシャルかを問わない「乱交派」に対する厳粛な境界線の再設定)」なる保守主義的側面も備えていたのであり、まさに当日、その事によって「自分の重要な一部が分断される思い」を味わった当事者がそれについて言及。この時「実際の現実への関心に乏しい」理想主義的人道主義者との価値観的断絶が一瞬だけ浮かび上がる展開に。

こうしたサイクルおいてハチ/米津玄師は「ボカロ界隈を脅かす絶対他者の一人」として存続する決意を固めた様にも見受けられます。

*これが「この井戸が枯れる前に早くここを出て行こうぜ」の真意?

こうした意味合いにおける「絶対他者と自分のギリギリの境界線」について考える上でどうしても思い出さざるを得ないのが以下の人物。

「鋼の錬金術師(原作2001年〜2010年)」ゾルフ・J・キンブリー

軍部の中佐。「紅蓮」の二つ名を持つ国家錬金術師

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白いスーツとコート、帽子を愛用する総髪・吊り目の男。ホムンクルスの協力者。普段は紳士然として慇懃な言動の人物だが、本性は殺人に美意識を見出すサイコパス。しかし単なる快楽殺人鬼というわけではなく、自らが殺した相手を記憶するなど殺人に関して独自の理念を持つ。同時に「意志を貫く人は好き」として、自分の行動理念に従って生きる人物には敵や殺す対象でも敬意を払う。また、自身はこの世界にとって異端の存在であると自覚している。ホムンクルス達への協力についても、「大きな世界の流れの中で(人間とホムンクルスの)どちらが生き残る力を持つのか(観てみたい)」と述べたり、己の存在の是非を賭けたりと、レイブンら通常の人間の協力者とは一線を画している。

攻撃方法は爆発の錬金術。掌に刻まれた錬成陣(右手に下向きの三角と太陽の記号、左手に上向きの三角と月の記号)を合わせて対象物に触れ、爆発性のある物質へ作り変えるというもの(エドワードはキンブリーの錬金術について、陰と陽の概念に基づくものと推測している)。錬金術の特性に加え、爆発に対する造詣も深いことから「爆弾狂のキンブリー」の異名を持つ。また、イシュヴァール戦を戦い抜いた経験や体術は相当な物で、頭の回転の速さなど、かなりの強さを誇る。

イシュヴァール殲滅戦で活躍した国家錬金術師の一人で、裏では軍上層部より賢者の石を貸与され、より大きな戦果を挙げていた。殲滅戦後、賢者の石の返還を迫った上官達を爆殺するが、このことでエンヴィーに気に入られ、また自らの特性を最大限にバックアップしてくれることからホムンクルスの協力者となる。その後、表向き上官殺しの罪で中央刑務所に服役していたが、「傷の男」の抹殺と逃亡の疑いのあるマルコーの捕獲、それに伴う報復として村の抹消のため出所する。

その後「傷の男」と戦うが、出所したばかりで体が鈍っているキンブリーには不利な戦いとなり負傷しながらも逃走する。回復後、ブリッグズ砦に部下とレイヴンを連れて現れ、そこでエルリック兄弟と「傷の男」捜索という名目で一時的に協力するがその後、敵対しエドワードと交戦し重傷を負わせる。「傷の男」を追おうとするが、プライドの命令で、ドラクマ軍を騙してブリッグズ砦に侵攻させ、ブリッグズにドラクマ軍を壊滅させることで北の「血の紋」を刻み、国土錬成陣を完成させる。

「約束の日」、セントラル近郊のスラムで、エルリック兄弟やホーエンハイムの策で捕まったプライドを助けに現れる。そこでハインケルに重傷を負わせ、アルフォンスと戦うが、彼とマルコーの作戦によって回復したハインケルに隙を突かれて致命傷を負い、最期はプライドに取り込まれる。しかし、他の魂と違い「魂の暴風雨」の中でも自我を保ち続けており[注 7]、プライドがエドワードの肉体を奪おうとした際に現れ、ホムンクルスとしての矜持を捨てて「下等生物」として見下していた人間の肉体を奪おうとした彼の行動を「美しくない」と言い放ち邪魔をし、殺されると思ったプライドに対しては「殺す?貴方はエドワード・エルリックをわかっていない!」という台詞を残した。そして、プライドの肉体の崩壊と共に手を振りつつ、笑みを浮かべながら消えていった。

ミドルネームのJは、「『ジャジャジャジャーン』のJ」と作者は述べている。

その価値観を相応に象徴するキャラクターさえ割り出せてしまえば、その特徴を列記するのは案外簡単だったりしますね。一言で要約すると「ユークリッド幾何学と対等に対峙する非ユークリッド幾何学側の態度」。

  • 「絶対的他者」は「自分」と全く異なる常識に立脚しながら自信に満ちている。例え提唱者が死んでもその異質の正義は簡単には揺るがない。
    *まさしく「バットマン ビギンズBatman Begins、2005年)」「ダークナイト ライジング(The Dark Knight Rises、2012年)」「沈黙‐サイレンス‐(2016年)」におけるリーアム・ニーソン

  • 「絶対的他者」は「自分」が大事にしている価値観を「自分」と全く異なる常識に基づいて平然と蹂躙する。
    *まさしく「ヒッチャー(The Hitcher、1986年)」のルドガー・ハウワー、「ダークナイト(The Dark Knight、2008年)」のヒース・レンジャー。

  • 「自分」には概ね顕在的か潜在的か問わず、あえて「絶対的他者」と邂逅する事によって自らが大事にしている価値観をさらに研磨したいというマゾヒズム的願望が存在する。ただし当事者のマゾヒズム耐性が十分でない場合、その感情は「第三者がそうしか環境に置かれてる状況を第三者として俯瞰する立場に留まりたい」願望に発展する事もある。
    *まさしく「ブレードランナーBlade Runner、1982年)」におけるハリソン・フォードとルドガー・ハウアーの対決。

要するに「アウトサイダーとして排斥されてきた事への復讐」を簡単に口にし大義名分に掲げる「絶対的他者」など所詮は三流という認識がコンセンサス化しつつあるとも。

学生運動家なら広江礼威BLACK LAGOON(2001年〜)」に登場するタケナカみたいに全く過去を反省せず「職業:Public Enemy」と豪語するくらいでやっと到達可能な領域。この登場人物、個人的には「船戸与一のハードボイルド小説世界に対するオマージュ」と考えてますが、真相はあくまで不明…

タケナカ(CV:佐々木勝彦)

本名は竹中正洋(たけなか まさひろ)。東京都足立区の出身と自称。1960年代の学生運動から新左翼に傾倒する。「人民総決起、世界同時革命」を志して日本を脱出し、中東にて赤軍派のテロリストとなった。

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日本では指名手配中の扱いで、交番には彼の顔写真付きの手配書が貼り出されており、日本人から「どこかで見たことがある」と指摘されると「大地康雄似だから」(アニメ版では「健さん似だから」)と言ってごまかしている。

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飄々としているが、かなりの切れ者で、イブラハのテロリスト集団の作戦参謀として辣腕を振るう。ヘビースモーカーで、作中ではハイライトを吸っている。愛車は原作ではジープグランドチェロキー、アニメ版では日産 パトロール、仲間と共にレガーチとのカーチェイスに使ったのはジープ。

これがまさに「革命に成功などない。それは新体制に対する新たな抵抗の始まりに過ぎない」と断言したオーギュスト・ブランキ(Louis Auguste Blanqui、1805年〜1881年)、新左翼運動家から文学評論家に転向した千坂恭二‏ 、さらには自称「ファシスト外山恒一といった面々を私が無碍に否定出来ない理由。彼らは「現実世界に対する絶対他者」の立場に留まりつつ「絶対他者性の完全排除に成功した文明など、まだ文明を名乗れるのか?」と問うてくる訳です。まさにこの一点が「我々の行動は全てこれまで奪われてきたもの全てに対する最小限の復讐に過ぎない(行動の成否が全てで、実際にその結果世界が変わるかについては無頓着)」と豪語する過激派と「黙々と(実際に世界が変わった次の瞬間には用済みになってる恐怖と戦いつつ)実際に世界を変えるチャンスを狙い続ける」革命家を峻別する一線とも?
オーギュスト・ブランキ『天体による永遠』書評:阿部重夫主筆ブログ:FACTA online

果たして私達は一体どんな未来に向けて漂流しているんでしょうか…