諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

本当は恐ろしいロリコン(Lolicon)概念① そもそもそれは日本起源の概念ではない?

そもそも現在の日本で広まっているロリコン(Lolicon)概念はアメリカ起源で、源流のそれとは全く異なる内容に変貌してしまっているのです。

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  • ウラジーミル・ナボコフの小説「ロリータ(Лолита - Lolita、1955年刊)」が語る「ニンフェット(nymphet、9歳から14歳の性的魅力のある少女)」趣向。だが実は、その年頃の現実の少女は主観的に「身体の成長が男子より先に始まって攻撃的となり、男子の成長が追いついてくる事でそうした幻想から脱却する」過程にある。このギャップに立脚した「ニンフェット=ファムファタール(近く男を全て破滅させる「運命の女」)」なる構図が、テオフィル・ゴーティエの戯曲「或る夜のクレオパトラ(Une nuit de Cleopatre、1838年)」やオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ(Salomé、1893年)」からデヴィド・スレイド監督映画「ハードキャンディー(Hard Candy、2006年)」まで一貫して存在し続けてきた。

    思春期、体の変化の始まりは人それぞればらつきがあり、明確にいつから始まるかということはわかりません。平均的に見ると女の子の場合は8歳半〜10歳と、男の子よりも1年ほど早めに始まり約5年間続きます。

    *例えば彼女達は2000年代から2010年代にかけて国際SNS上きっての武闘派たる「Belieber(ビリーバー=ジャスティン・ビーバーの狂信的ファン層)」や「Naruto / Avatar派(岸本斉史NARUTO -ナルト-(1999年〜2014年、アニメ化2002年〜2017年)」や「The Legend of Korra(2012年〜2014年)」といった格闘漫画/アニメの熱狂的ファン層)」に別れて壮絶な「仁義なき戦い」を繰り返してきた。私屋カヲルこどものじかん(2004年、2005年〜2013年、アニメ化2007年)」を愛好するハイティーン女子アカウント集団すら襲撃し、「汚いホモ狩り」を繰り返していた「耽美派」Slash女子アカウント集団殲滅作戦においても重要な役割を果たしている。度重なる不祥事のせいでジャスティン・ビーバー人気が失速してBelieberが自然解散すると、対立組織たるNaruto / Avatar派も巻き添えで勢いを失ったが、その全盛期には「ネットイナゴ」どころか「(決して刺激してはならない)Killer-Bee集団」として恐れられていたものである。

  • そうした彼女達自身にとってのセルフイメージとしての「回帰したい幼女像(女性としての発育が始まる以前の「何をしても許されるちやほやされるだけの存在」)」の大源流に当たるのが「悪い種子(The Bad Seed、原作1954年、映画化1956年)」の「ヒロイン」たるローダ・ペンマーク。

    *ちなみにこの作品の内容を比較的忠実に翻案したのがわたなべまさこ「聖ロザリンド(1973年)」となる。実は横溝正史も「ロリータ」や「悪い種子」といった作品の強い影響を受けた一人で、1950年代以降「サイコパス少女が連続殺人事件の犯人」という筋書きの推理小説を数多く発表。

    *実は私屋カヲルこどものじかん(2004年、2005年〜2013年、アニメ化2007年)」ファン層が「ネット上の殺人蜂集団」の襲撃対象となったのは「(安易な美化によって)元来は上掲の様な危険な側面も内包する少女性」を貶めていると見做されたからだったが、実はこの作品にはこの問題についてのさらに深化した議論があり、それが知れ渡るに連れて対立は自然に解消していったのである。

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    私屋:私の知ってるロリコンマンガって、女の子が大人にいいようにされているものが多かったので、そうじゃない方向で。子供が主導権を握っている方がギャグになって面白い、セクハラされるのはいつも先生のほうです。それにりんちゃんは手放しで青木先生が好きなわけじゃない。大人だからと偉ぶったり、思い違いをしたりすればはっきり拒絶する。彼女が手綱を握っているので、一般的に言われるロリコン漫画とはちょっとイメージが違うんじゃないかなって思いますね。

 要するにアメリカにおけるそのイメージの原型は女性側のセルフイメージとしての「未成熟であるが故に非常に危険な側面も内包する少女性」。

確かに「男性作家の供給する(しばしば互いに矛盾する)様々なイメージを大源流とし、それを統合する形で成立した」という側面ならば実際にあるのです。ただまぁ、それをいうなら例えば少女漫画や魔法少女の成立史もまた似た様なものだった訳で。

この辺りを履き違えてしまうと、日本は「世界に認められたコンテンツ発信国」の座を滑り落ちてしまう事になるのです。