諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

続・ナショナリズムの歴史外伝④ 「カルターニャ独立」が垣間見せる「日常の裂け目」 

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ここで忘れてはいけないのは「半数弱が独立に賛成」という事は「半数強は独立に反対」の筈なのにそういった声は完全に国際的にマスコミの手によって封殺されてしまっているという事。第二の「パリ・コミューン」事件? 昔、とある日韓翻訳掲示板(しばしば槍玉に揚がる「Enjoy Korea」ではない)において、とある青組(韓国側)の自称沖縄独立派アカウントが「独立に賛成な琉球民族はたった4%というが、そんな数字は売国奴たる96%さえ粛清してしまえばたちまち100%になる。多数決なんてそんな曖昧な指標に過ぎない」と豪語していたのを思い出します。

 *まぁそのアカウント自体は「我々は軍隊や警察の存在意義すら否定する真の平和主義者なので自らの手は汚さない。売国奴歓喜しながら自発的に殺せない様な配偶者や肉親は親族一同に「身内の恥」として殺させる。親族一同が庇うなら隣人一同に始末させる。そうやって「真の平和」は再建されるのである」とか「国際正義は日本人や黒人や東南アジア人の様な劣等民族を同じ人間扱いしたら却ってレイシストナチスで、一緒に滅ぼさねばならないと定めている。だから日本人同士殺しあわさせて少しでもその数を減らす事は国際平和実現への最短距離でもある」とも豪語する、本物の狂人アカウントだったのだけれど。とはいえ、サド侯爵やヒトラーの言説同様「市場マーケティング能力自体は卓越してて、自分の生きている時代の最もセンセーショナルな(しばしばおぞまし過ぎて公然と口にするのが憚られる様な)主張を取り込むのが上手い」点にだけは大いに感心させられた。とどのつまり、こうした言説は(断片的になら)今日なお溢れるべき場所に溢れており、それ自体は珍しくもなんともない。

*確かに「ユダヤ人が先手を打ってドイツ人の民族浄化に成功していれば絶対悪たるナチスの台頭もなかった」という考え方自体は世界中に偏在している。そのナチスがどうして当時の欧州において最も危険な存在となり得たかというと、第一次世界大戦に敗北した本国がフランスら戦勝国側の執拗な民族浄化政策によって滅ぼされかけており、かつまた世界中に点在するドイツ系移民のコミュニティも巻き添えで迫害されていたから。とどのつまりナチズムの本質とは「滅ぼされかけているマイノリティは、手段を選ばず反撃に転じて良い(そして皮肉にも本当に滅びかけている真のマイノリティなら、むしろ現実主義からそういう結論には至らない)」なるジレンマであり、イスラエルの様に同じ態度を選択する限り前轍を踏むのを免れられなくなってしまうのである。

ナチス台頭期をリアルタイムで生きたマンハイムは「現実の保守主義は、中高集権強化に熱狂する全体主義的指向性だけでなく、絶対王政成立を恐れ徹底抗戦を続けてきた第貴族連合の様な社稷(血統)的無政府主義という正反対のベクトルも含む」としている。実際、当時のドイツには最終勝者とならなかっただけで「ソビエト連邦成立にインスパイアされて神聖ローマ帝国時代の分権状態への回帰を主張した」インテリ中心のスパルカタス団や「中世ギルドへの回帰を夢見た「暴力論(Réflexions sur la violence、1908年)」の著者ジョルジュ・ソレルに端を発するアナルコサンディカリスム(Anarcho-syndicalism)の影響を色濃く受けた」革命的オプロイテといった無政府主義運動も数多く存在しており、そうした守旧派的動きに対する警戒心がかえって国民を「中央集権化=全体主義」へと駆り立てていく側面すら存在したのである。

*アメリカにおいても、同種の無政府主義が「(家父長制と奴隷制に立脚する伝統的農本主義体制を守り抜く為、中央集権の介入に徹底抗戦した)ジェファーソン流民主主義(ジェファーソンりゅうみんしゅしゅぎ、英: Jeffersonian democracy)」という形で存在する。南北戦争(American Civil War、1861年〜1865年)の遠因の一つ。「マイノリティ化しつつある白人の全人格的報復権」を主張する今日の米国白人至上主義の大源流の一つ。

それは、新しい政党である民主共和党が政府を引き継いだ時、すなわち1800年にジェファーソンが大統領に選出された時に始まりました。

ワシントン大統領とアダムス大統領はどちらかというと貴族政治主義者で、大衆からかけ離れた立場をとろうとしました。しかし、ジェファーソン大統領は政治をより民主的なものにしようと努めましたので、その時代をジェファーソン流の民主主義の時代と呼んでいるのです。

ジェファーソン流民主主義(Jeffersonian democracy) - Wikipedia

1790年代から1820年代のアメリカ合衆国で支配的だった2つの政治的概念と動きのうちの1つを表すときに使われる言葉であり、第3代アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソンが指導者だったので、その名前を冠している。
*この文化、アメリカにおいては「(酒税に反対する)密造酒民主主義」なる側面も備えていた。まぁ「バーボン」の語源自体が「(米国独立戦争を支援してくれた)ブルボン朝へ感謝」というニュアンスだから、その歴史は複雑怪奇。

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*1930年代にはここに「それから逃げてきた筈なのに、自らの属する移民コミュニティに欧州祖国の厳格さを持ち込もうとしたが、そもそも息子や娘には言語自体が通じなかった」アメリカ移民の悲劇が重なってくるから、さぁ大変…

*その一方でアイルランドや日本の酒造業界には無政府主義との関わりが微妙に異なる歴史が存在する。むしろこういった地域においては酒造業界が(どちらかというと中央集権的な)愛国主義と結びつくのである。

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  • この言葉は、ジェファーソンがアレクサンダー・ハミルトンの連邦党に対抗して設立した民主共和党を指しても使われることが多い。

  • その思想の信奉者は「自作農」(ヨーマン)と「一般大衆」(プレーンフォーク)を優先し、民主主義と政治機会の平等を提唱した。

  • また商人や製造業者の貴族的なエリート主義とされるものに敵対し、工場労働者を信頼せず、また恐怖感の残るイギリス統治制度の支持者に対する監視を続けた。

    「(沖浦)だが、なんと言っても身分制を制定する際の価値基準になっているのは、韓非の「農本主義」なんです。農民を「良」とし、商や工やその他の雑業を「賤」とみなす思想はここに発しているんですね。」
    「(三国)農民以外の民衆は卑しい身分とされるんですね。」
    「(沖浦)生産体系の中枢である農業に従事せず、社会的分業の中で補助的な機能しか果たさない者ー唐の時代の史料によれば「工・商・医・巫」などが例示されています。」

特に市民としての義務を重んずる共和制の原則を遵守し、特権階級、貴族政治および政治的腐敗に反対した。
*そういえば日本においても西郷隆盛が明治政府に対して「全国を(真の防衛上の要請に従って)士族を主体とする自警団を主体とする農本主義的行政区分に再分配し、その健全な形での存続を脅かす商人や職人を改めて被差別階層と規定して弾圧すべし」なる建白書を提出している。それだけ日本においては既に江戸時代において(18世紀後半や19世紀前半のアメリカより)貨幣市場経済浸透に伴う全国の商圏としての統合と江戸幕藩体制の制約を超越した工業の発達が見受けられ「士族の既得権益」を脅かしてしたのだった。それゆえにこの種の貴族主義的運動は(新たに創造された)日本国民にとって当時のアメリカにおけるそれより遥かに空想的かつ守旧的と映ったが、それにも関わらずもし西南戦争(1877年)で不正士族側が勝利していたら、かかる「江戸幕藩体制2.0」とでも呼ぶべき政体が大日本帝国の国体として選ばれていたのは言うまでもない。そう、もし南北戦争(American Civil War、1861年〜1865年)が勝利していたらアメリカにおいて(奴隷制と家父長制に立脚する農場主を政治的主体と認める)ジェファーソン流民主主義が国体として選ばれていた様に。

また中国においても韓非子を信奉していた毛沢東が同種の農本主義的立場にあった事が知られている。そういえば中華人民共和国の資本主義的発展が始まったのも「毛沢東韓非子農本主義」が全面否定されて以降だった。

バーブルック/キャメロンによれば、サンフランシスコの文化的ボヘミアニズムとシリコンバレーのハイテク産業の混合を母胎として、新たな情報技術が何らかの社会的解放をもたらしてくれるという楽観主義的な未来像とテクノロジー決定論に基づいたこイデオロギーは、例えばハワード・ラインゴールドの〈仮想共同体〉といった発想のように、一九六〇年代のカリフォルニア新左翼に遡る〈電子的アゴラ〉の共同体幻想を継承するとともに、アルヴィン・トフラーをブレーンとしたニュート・ギングリッチをはじめとする、政府の介入を排除した完全に自由な資本主義市場としての電子市場の実現を求める新右翼的なヴィジョンとも親和的であるという。


インテルの元技術者であり、サイファーパンクの創始者とされるティム・メイは、彼が唱える〈クリプト・アナーキー〉の〈アナーキー〉とは、拘束のない経済交換を推進する自由市場イデオロギーとしての〈アナルコ・キャピタリズム〉における〈アナーキー〉と同義であることを認めている。政治イデオロギーとしてはこのようにきわめて曖昧なまま、カリフォルニア・イデオローグたちは国家による私的領域への介入に対してだけは一貫して厳しく批判的である。

*その一方で今日なお日本においても(壮絶な内ゲバの応酬合戦によって)アイルランド独立戦争(1919年〜1921年)より膨大な犠牲者を積み上げたアイルランド内戦(1922年〜1973年)を美化し「日本人が完全にナチズムから脱却する為に乗り越えるべき試練」と考える人達が絶えない。「国際正義実現の為に朝鮮王朝は打倒され、その領民全てが大日本帝国を倒す軍事力として再組織されねばならぬ」と考え、日本国内における軍資金確保の為の無差別テロに走った大阪事件(1885年)の延長線上に登場し「沖縄は独立すべきであり、その実現の為に反対する沖縄人は(たとえ被害が人口の9割以上に及ぼうとも)見せしめとして殺し尽くされねばならない」と主張する人々は本当に「絶対悪たるナチス」より遥かに人道的なのだろうか? そろそろ日本人はこういう事を本気で意識しなければならない段階に到達しつつあるのではなかろうか?

そういえば日本思想史における最大の謎、それは「三酔人経綸問答(1887年)」において上掲のニュアンスで「韓非子農本主義こそ日本人が選ぶ道」とした中江兆民の弟子だった幸徳秋水が「その実現には軍事力も警察力もいらない(日本には伝統的共同体だけ存在すればいい)」と言い出して受容された事かもしれません。士族末裔が執着してきた「自警団による分権統治状態」を鮮やかに「非武装中立」へとリニューアルした元祖。中江兆民自身は「三酔人経綸問答」の中で現実主義的観点から「馬鹿じゃないのか。隣国が武力侵攻してきたら相応の備えで応じて均衡状態くらい生み出さないと国連も動いてくれない」と断言しているのに「その考え方自体が絶対悪」とレッテル貼りして戦後日本左翼を大いに鼓舞する展開に。日本人は何よりもまずこの矛盾にこそ回帰しなければならないのです。

*少なくともこうした問題に自覚的にならない限り「独立戦争において自警団ミニッツ・メンの果たした役割は大きい」なる建国ファンタジー故に銃規制が遅々として進まないアメリカの苦悩について論じる事は許されない。要するにそれは「中央政権による暴力手段の独占=一般国民の武装解除」なる図式をどれだけ信じられるかという問題に他ならないのだから。そもそも「もし日本においてこれだけ銃刀法が厳格に履行されていなければ、沖縄はとっくに独立を達成していた」と主張しながら「そもそも国際正義は軍隊や警察の存在自体を許さない」と主張するのは完全な無政府主義的立場。それにも関わらず「武装してよいのはマイノリティだけで、マジョリティはその現在性故に非武装のまま一方的に殺戮されて民族的浄化されていく宿命を甘受するのが国際的正義」などと主張するのは完全に間違っている。民族的浄化が本当に進行すれば、必然的にやがてマジョリティとマイノリティの関係など逆転してしまう現実を黙殺しているのである。しかも現実のそれは「ナチスドイツに殲滅されかけたユダヤ人は、イスラム教徒に同じ事をしても国際正義的に許される」といった具合に負の連鎖を生み出してしまう。

確かにこれでは日本のマスコミが「ロヒンギャ問題」について一言も触れられないのも仕方がありません。「滅ぼされるべき民族というのは(ユダヤ人や日本人や黒人や東南アジア人の様に)確実に実在する」なる考え方に同意しても「絶対悪たるナチス」。反対しても「絶対悪たるナチス」。ならばいっそ一切言及しない方がマシなる思考様式。しかしならば人道主義の定義は一体どうなってしまうのでしょう?
*そう「ロヒンギャ問題」のややこしさは、彼らが東欧やロシアにおけるユダヤ人同様に「体制側に(時としてガス抜きにスケープゴートとして罰される事もある)支配の道具として利用されてきた」点にこそあるのである。だからこそ「英国植民地時代に弾圧されたマイノリティ側」は(権力の手先だった)彼らを略奪し、輪姦し、殺戮し尽くす権利の承認を国際正義に求めているという事実を黙殺してはこの問題は絶対に解決しない。これはナチスドイツすら、東欧を支配下に置いて堕ちた罠だったりする。

要するに「滅ぼされかけているマイノリティは、手段を選ばず反撃に転じて良い」なる発想を認めた時点で人道主義は「(誰でもマイノリティと主張する事自体は自由であるが故に)絶対悪たるナチス」が不可避となるのです。そして、その瞬間に「是非に及ばず」「善いも悪いもいよいよない」状況が生み出されてしまうという次第。

*戦前日本で流行した「主体論」すなわち「歴史は誰が(上掲の意味合いにおけるマイノリティとしての)主体性を主張するかでその意味合いを変える」を連想させる。当時なりの結論は「最後まで生き延びた者だけがこれを主張できる」といった感じ。要するにそれこそが「国家間の競争が全てとなった」総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)を主導したイデオロギーだったとも。

こうした論争は究極的には1970年代に発見された「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマに収束していくばかり。それでは結局、辿り着いた結論は「焼肉定食」ならぬ「弱肉強食」という事にならざるを得ないのです。
*「弱肉強食」論…しばしばダーウィンの定向進化論やスペンサーの進化論と結びつけて語られるが、彼らの主張自体はあくまで「適者生存論(絶えざる変貌を続ける自然環境に自らの生存余地を見出せない種は滅んでいく)」に過ぎず、それを「弱肉強食」論へと歪めたのは、あくまで「最終戦争論」に振り回され国家間の競争が全てとなった総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)の人類の歴史的制約と考えるべき。

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それは「真の意味におけるマイノリティは強者に阿るか、気高く孤立主義を貫いて滅びていくかの二択を迫られる」優しい世界。「保毛尾田保毛男問題」の本質もまた案外これだったりする。そう、1980年代に入ると(次第に純粋なるサービス提供者と目される様になってきた国家や製造業者に変わって)マスコミが「権力者の仮面」を被る様になっていくのである。
*ある意味、中世ユダヤ人が教会や領主の庇護下に入るか、笑い者になる形でしか生き残れなかった様に、LGBTQA層がマスコミやエンタメの庇護下に入る事で生き延び様とした時代でもある?

1990年代に入ると、それまで散々搾取対象とされてきた若者層が「(無制限に復讐を誓う)理念上のマイノリティ」でなく「真の意味でのマイノリティ」として生きる道を選ぶ。その選択は奇しくも「真の意味でのLGBTQA層」や「第三世代フェミニスト」のそれと一致していた。かくしてやっと「多様化の時代(1990年代〜)」の幕が上がる。

そして2017年段階に入って「既に廃れた砂漠で何思う?」「この井戸が枯れる前にここを出て行こうぜ」なる言説が登場。実際、この井戸はもう枯れかけている?


さて、私達は一体どんな未来に向けて漂流しているんでしょうか?