諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

事象の地平線としての絶対他者⑨ 「可視性・不可視性を使い分ける宗教学・政治学」?

以下は主に「放射能被害は実在する」派が回覧してるのだけど「不可視性の政治学」という観点自体は大変興味深いのです。

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ベラルーシ出身で、現ピッツバーグ大教授の著者が、UNSCEARのチェルノブイリ報告書に疑問を持ち、独自に色々と調査した結果、『チェルノブイリの影響の不可視性』がどのように生み出されたかを追及。

チェルノブイリの影響の不可視性とは、チェルノブイリ放射能とそれによる健康影響の公的な可視性を限定する表現を生み出す習慣である。これはつまり、公的な議論に登場しないのは何かということでもある。端的に「放射能のような察知できない危険が、どのように公的に不可視化されるのか」というダブルツイストを説明する。

ベラルーシでは2003年頃に、放射能関連の研究がすべて、ミンスクから汚染地域であるゴメリに移転されたために研究や調査の引き継ぎがうまく行かなかった。またゴメリの研究施設以外の研究所では、放射線影響関連の研究をしてはいけないことになっていたという。さらに研究計画書から「放射線影響」という言葉を削除しなければいけなかったらしい。
*著者は、ガリナ・バンダジェスフカヤにもインタビューしており、ベラルーシでは、健康影響を放射線と「関連づけていない」なる証言を引き出している。

住民の放射能汚染についての認識が当局による社会経済的方策(経済的支援や給食無料化など)に基づいていると、その方策が変わることにより認識も変わる。より具体的には「もう影響ないんだ」などと思い込み始める。

放射能自体は目に見えないので、問題は放射能ではなく、放射能を可視化する人たちである、という意見もある。つまり「情報がなければ、問題もない。」という考え方。

メディアがチェルノブイリ放射線の危険をどのように取り上げるかは、時が経つにつれ、そして変化する政治的アジェンダにより変わるのであり、必ずしも正確さと包括性が増すわけではない。チェルノブイリの影響の範囲は、拡大、あるいは縮小され得るのである。

科学的合意の欠如が心理的影響に繋がるという考えは、一般大衆にとって何が放射線関連問題を意味するのかと言うことが、専門的評価そのものによって作られることを前提としているようである。この前提は公衆の懸念を、リスク関連の懸念、特に専門家に定義されたリスクへの懸念に狭める。

公衆の懸念をこのように捉えることは、その懸念の範囲を狭め、コンテクストを無視することになる。同時に原子力専門家らは、公衆と公衆の懸念を単純なモデル化してしまうことにより、被災した人々の体調が悪いことが主に真のリスクの理解の欠如と科学的合意の欠如から発生すると示唆できる。

そしてこれは、チェルノブイリの影響について「権威のある」知見を確保するための制度のメカニズムを確立することを正当化することにも繋がる。この公衆モデルは、多様なグループから成り立つ被災者集団を、経済的、教育的、文化的、個人的、あるいは状況的な違いを持たない、一枚岩的なグループにしてしまう。そしてこの違いとは、放射線に関する個々の解釈や不安、そして放射線についてどのような行動を取るかに影響を与えるかもしれないものである。

そしてそのような単純化と言うのは、専門家が被災者集団から距離を置く事、そして被災者集団と関わり、健康に関することを含む生活上の経験を説明するという、十分なメカニズムが全く欠けていることに依存するのである。

 ただ、その一方で「チェルノブイリで起こった事は当然、福島でも起こった」と決めつける信念そのものは宗教的かつ政治的。どうしてそう飛躍してしまうのでしょうか?

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事象の地平線としての絶対他者」問題は、当然この領域にも関わってきます。そしてこの領域においては科学実証主義の次元からの解釈とは別に「可視性・不可視性を使い分ける宗教学・政治学」の次元からの解釈も必要不可欠となってくるみたいですね。

*ロジック的には「巨悪は証拠の完全隠蔽を遂行するから証明は不可能。むしろこの問題が証明不可能である事自体がヒトラー安倍とナチス自民党を一刻も早く倒さねばならない絶対悪たる動かぬ証拠」なるミニマルなトートロジーによって完結し、外部は一切その存在を許されない。まさにこれぞ「事象の地平線としての絶対他者」を完全に視野外に置きたがる「政治的=宗教的」態度の完成形とも。

「宗教次元」における「事象の地平線としての絶対他者」…それが視野内にある事がもたらす実存不安に耐え切れず、現実対応能力を犠牲としたミニマルな思考様式に逃げ込む人々が存在する。概ね党争を激化させ、多数の犠牲者を出す。

 *いずれにせよ最後に行き着くのは「究極の自由主義専制の徹底(異見者に対するホロコースト)によってのみ達成される」ジレンマ。

 結局のところ「(どんな厳密な検証を経てもアルゴリズムの誤謬や視野外のパラメーターのせいで計算が間違ってる可能性がもたらす実存不安から逃れ得ない)科学実証主義」について「だから究極的には間違ってるのは明白」と決めつける事で自らの絶対正義を確保しようとする態度こそが「事象の地平線としての絶対他者」を完全視野外に追い出そうとする精神的老化の顕現という事になるにかもしれません。逆に「自分こそが事象の地平線としての絶対他者」と宣言する傲慢な態度は、概ね「若気の至り」とされる事に。この世界観において「中庸の精神」あるいは「二河白道の境地」は、そういう具合に実装される形となる様です。

アリストテレスは「ニコマコス倫理学」のなかで、知識を「Σοφια ソフィア(智)」と「φρόνησις フロネシス(実践倫理)」の2種類とし両者を明確に区別し、人間の行為や感情における超過と不足を調整するメソテース(ギリシア語: μεσοτης、 Mesotes、中間状態を保つ徳)をその代表格とした。英語ではGolden Mean(又はHappy Mean)といい、日本語訳に際しては中庸という儒教用語が当てられた。

  • とどのつまりアリストテレスのそれは勇敢(蛮勇と臆病)、節制(快楽と苦痛)、貴富(放埒と論色)といった両極端の状態を避けて初めて顕現する美質を引き出す実践知という事になる。
    *逆をいえば決して天然の形で自然に存在する事がない。だからこの思考様式は決っして自然主義の形態を選べない。欧州貴族主義の根底にあり続けてきた功利主義ジョン・スチュワート・ミルはこれから出発して古典的自由主義に到達。
  • 一方、儒教における伝統的中心概念の一つたる「中庸」も「過不足なく偏りのない状態を保つ」徳を「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と称揚されている点では似通ってる。ただしこちらの方は「民に少なくなって久しい(聖人による善導が不可欠)」「修得者が少ない高度な概念(選民主義や神秘主義への逃避)」「聖人でも難しい半面、学問をしなくても発揮出来る」「非凡でなければ実践不可能だが、現れる結果は平凡でなければならぬ」といった禅問答が延々と続くばかり。朱子に到っては「中庸章句」の中で「(どうせ実践は不可能なのだから、実践可能な)誠の方が重要」と開き直っている。
    *要するに(礼儀作法の正しさや、宮仕えを効率よく乗り切るノウハウの共有が主目的で普遍倫理や実践知の追求に無関心の)伝統的儒教や(大学「格物致知」から導出した「居敬窮理」の理念を掲げる主知主義的な)朱子学との相性が最悪なのである。仏教だと最初期の入門編の「四門出遊」説話当たりでもう「死も、病も、老衰も、怖がっても、怖がらなな過ぎても負け」みたいな話になるが、それを真っ先に「迷妄」と否定したから如何なるゴールにも辿り着けなくなってしまったとも。

ここを履き違えると必ずといってよいほどグノーシス主義的思考様式、すなわち「この世界は全て似非真実に立脚する仮象の世界」「真実に到達した人間だけがその矛盾から脱却出来る」と考える選民主義に到達し「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマに向けての暴走が始まってしまう。一切の実利を捨てまで党争における勝利のみが追求される氏族戦争(Clan War)の世界の再来…
カール・マルクスが到達した人間解放論、すなわち「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(本物の自由意思や個性が獲得したければ認識範囲内の全てに抗え)」の危うさはまさにここにある。

二河白道 - Wikipedia

浄土教における極楽往生を願う信心の比喩。ニ河喩(にがひ)とも。善導が浄土教の信心を喩えたとされる。主に掛け軸に絵を描いて説法を行った。

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絵では上段に阿弥陀仏観音菩薩勢至菩薩のニ菩薩が描かれ、中段から下には真っ直ぐの細く白い線が引かれている。 白い線の右側には水の河が逆巻き、左側には火の河が燃え盛っている様子が描かれている。 下段にはこちらの岸に立つ人物とそれを追いかける盗賊、獣の群れが描かれている。

下段の岸は現世、上段の岸は浄土のこと。 右の河は貪りや執着の心(欲に流されると表すことから水の河)を表し、左の河は怒りや憎しみ(憎しみは燃え上がると表すことから火の河)をそれぞれ表す。 盗賊や獣の群れも同じく欲を表す。

東岸からは釈迦の「逝け」という声がし、西岸からは阿弥陀仏の「来たれ」という声がする。 この喚び声に応じて人物は白い道をとおり西岸に辿りつき、悟りの世界である極楽へ往生を果たすというもの。

この図式に立脚して初めて仏教がどうしてずっと終始「自らの置かれた状況の絶対客観視」を重視してきたかが理解可能となる。

*とはいえ日本仏教もその歴史上かかる原義を忘れ「(氏族戦争の延長線上に芽生えた)党争史上主義」に振り回されてきた経緯が存在する。

*最も壮絶なのは法相宗から浄土宗への飛躍をやってのけた藤原氏とも。

さて、私達はいったいどんな未来に向けて漂流しているんでしょう?