元来、英国女性作家ウィーダ「フランダースの犬(A Dog of Flanders、1872年)」に登場するネロ少年は、中二病そのもの。雰囲気的には宮崎駿監督映画「ハウルの動く城(2004年)」に登場する魔法使いハウルに近い感じ。
それに対して(「フランダースの犬」のヒロイン)アロアや(「ハウルの動く城」のヒロイン)ソフィーには、どうやら「ダメンズ・ウォーカー/メーカー」の気がある様です。幼少時からの体験に起因する「自尊心の低さ」の為せる技?
どうして、こんな事に…
山田:最初に、ザックリ言ってしまうと、ちょっとイカれた変わり者が、何でもかんでも病名を付けられるというトレンドが、ここ20年ぐらいあるわけ。
実際のところ、本当に障害なのか病気なのかは、定かではないし、専門家によっては、意見が分かれているんだけど、いわゆるアスペルガーヒーローみたいな人達が活躍する時代というのがあるのよ。
ザックリと特徴を言うと、ずば抜けた能力がある。これは、合理的な能力。分析力、直感力も含めて、能力は高いんだよね。スペックが高いという。だけど、共感力に欠ける。つまり、自分だけの世界にいて、美意識が高く、どこか人を馬鹿にしている。
で、のろまな人を馬鹿にしているっていうようなキャラクターで、これがまさに新作『シャーロック』のカンバーバッチがやった当たり役がまさにそうで、あれは、見ていて気持ちいい位、人の気持ちなんてどうでもいい。だけど、「どこか寂しい」というところが、見事な萌ポイントなんですよね。
「出来るけど孤独なやつ」というのが、流行っているんだよ。これ、『デスノート』のLなんかも、入ってくると思うし、『相棒』の右京さんも、ちょっと入ってくる。
乙君:右京さん完全にアスペルガーですよ。自分の興味のある事件しか調べないですから。
山田:そうすると、アスペルガーっていうのはバディー物に向いてるんだよ。クールでバンバンやっていく人の横に、一般的な人情派が付く。だから、『シャーロック』は見事。
ハイスペな嫌なヤツキャラって現実社会にもやっぱりいて、ホリエモンや、ひろゆきさんなんかも、割りとその属性の中に入るんじゃないかと。だから、「馬鹿が嫌いなんだよね」と、やたら言う。
こういう、能力が高くて人のことを馬鹿にしていて、上昇志向があるキャラクターって昔だったら、敵キャラでしょ? ムスカでしょ?
乙君:ああー! ムスカはそうかもしれない。
山田:そう、「人がゴミのよう」なんだよ。世界はワシのものだ。愚民ども馬鹿め、夢など見よって。世界は残酷なのだよ。みたいなことを言うボスキャラが、なぜか主人公と入れ替わったんだよね。
能力はあるんだけど、上手く人と関われない、ひとりぼっち。女の子からしたら萌えポイントなんですよ。「私がなんとかしてあげたい!」
これをひっくり返すと、メンヘラ女子キャラと同じなんだよね。「超絶美少女なのに友達が一人もいない」、これは普通は近づいちゃいけない案件です。だけど、これは男の子たちのヒーロースイッチが押されるわけ「俺だけはわかってあげるぜ君を」一同:(笑)
山田:美少女の孤独=萌え、みたいな。これがたぶん、「弱点を持っているけど、特質した能力がある主人公」っていう今の流行りの系譜なんじゃないかと思うんだよ。
能力の高い、スペックの高い男は、孤独・かっこいい、それを癒やしたい女。そういう男と船に乗れば、ある程度スケールの大きな旅ができるわけ。で、その人は、浮気できないですからね。友達もいないし。乙君:ほー、安牌なんだ。
山田:だから、これ女子に人気があるのは、当然なんだよね。
このサイトで何度も話題としてきた「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマには、こういう抜け道もあるから要注意…
ちなみに「欲望解放」によって自分の本能に対して嘘がつけなくなってしまった国際SNS上の関心空間に滞留する女子アカウントは「女は脳構造の特性上、生まれついての外交官だから、難易度の高い目標と出会うと燃える」なんて言い訳しています。要するに「王様と私(The King and I、原作1944年、映画化1948年/1956年、ミュージカル化1951年、アニメ化1999年)」におけるシャム王と女家庭教師の関係?
*「女は脳の構造上、先天性外交官だから、難易度の高い目標と出会うとどうしても燃える(ただしイケメンに限る)」…国際SNS上の関心空間では「(「氷菓」シリーズのヒロイン千反田江留について)あれが仄めかしだけで男を好き放題動かす家母長の眼なの? 是非、刳り貫いて自分の物にしたい!! 」や「全てのイケメンについて衰弱させて看病させられるイベントが存在してない乙女ゲーなんて欠陥品!!」と並ぶ伝説のパワーワードの一つ。
ここでも背景にあるのは「事象の地平線としての絶対他者」と如何なる関係を構築するかという問題だったりして…