諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【仮想キャラ商売】「カーマ・スートラ妓生心得」から「ハーレクイン・ロマンス」へ。

きんいろモザイク(原作2010年〜、アニメ化2013年〜)」のカレンちゃんから一言。「嫁(Waifu)は一人に絞らないと、貴方の生涯(Laifu)が破綻しちゃいますよ?」。有名な国際SNS上の関心空間起源のMemeの一つ。足韻を踏んでるのがまたラップっぽくて強烈…ただし歴史のこの時点における概念では「毎期一人ずつに絞ろうね」程度の提言だったのです。

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ところが遂に公式に「貞節」が求められる展開を迎えます。

相手がキャラクターであれば、3Dアニメや特撮キャラ、人間以外(エルフや獣人など)、同性同士でもOKだが、3次元世界で活躍している実在の人物はNGだ。複数枚届け出るのはNGで「心に決めたお一人のみ、届け出をお願いいたします」としている。

 「吉原の花魁」とか「妓生心得(カーマ・スートラ第6章)」の世界?

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19世紀末、リチャード・バートン卿はライフワーク「カーマ・スートラ」英訳本の序文においてこう述べています。「ローマ帝国との交易を通じて経済的繁栄を謳歌していた4世紀頃の北インド文明は、人生の充実は官能(カーマ)と富(アルタ)と社会的立場(ダルマ)のバランスによって決まるとした。この考え方はアングロサクソン大英帝国的人生哲学に通じるものがある」と。

「ひめゴト(原作2012年〜2015年、アニメ化2014年)」より

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生徒会役員ども「ほれほれ、これが百万円の厚みだよ!!」

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18禁委員長「さてどうする?」

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ヒメ「Tumblr…」

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ヒメ「Tumblrに投稿しなきゃ!!」
*2014年07月に採集した国際SNS上の関心空間の人気Meme。

こうして「仮想キャラと顧客」なるビジネスモデルの原点をを模索していくと「カーマ・スートラ」第六章に収録されたダッタカ「妓生心得」に行き着く側面がある様です。とりあえず「ネット上の仮想キャラにどうやって顧客を貢がせるか」という観点から再構成を試みてみました。
*以下、雰囲気を伝える為にあえて「妓生」を全て「仮想キャラ」に置換。

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ダッタカ「妓生心得(ヴァーツヤーヤナ「カーマ・スートラ」第六章)」

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①仮想キャラとしての心得

仮想キャラと顧客の関係はあくまで人間同士の自然な営みに比べれば人工的で不自然なものである。

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しかも仮想キャラ側の目的が金儲けにある事はどうやっても隠せない。それにも関わらず、いやそうだからこそなおさら仮想キャラは顧客を愛してる様に振る舞い、それによって「騙していない」という基本的信頼感を勝ち取らなければならないのである。

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その為には決して貪欲であってはならず、かつまた全ての関係が終わった後の事まで考え、決して不法な手段で金銭を巻き上げていると思われれない様にしなくてはならない。
*流石、4世紀〜5世紀頃の人間に「今から400年〜500年前の知識だが全然古びてない」と言わせしめたアルゴリズムだけの事はある?

②顧客の選び方

現代の基準に全く当ては鳴らないので原則として割愛。ただ「自分が顧客に求めるのが本当に金だけなのか、すなわち名声や庇護や不幸の補償などを同時に求める気持ちはないのか慎重に吟味せよ。それによって選ぶ客層が変わる」なる基本方針自体は十分考慮に値する。
*そして金銭欲を最優先にすると決めたなら、決して相手に惚れない様にしなければならないとする。他のケースについては特に触れてない。「カーマ・スートラ」の著者ヴァーツヤーヤナの関心はあくまで一貫して「人間、幸福になりたければ(バラモン僧の主導下で)ダルマ(伝統的習俗に対する敬虔な態度を含む社会的立場)とアルタ(世俗的成功がもたらす富)とカーマ(官能から最大の快楽を引き出す為の制御技術)の配分をバランスさせねばならぬ」というもの。それをバランスさせる方策を体系的に網羅するというのが基本方針。

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*「法華経」の経文にも垣間見られる様に、インドではむしろ紀元前の方が貨幣経済の浸透に伴う資本主義的合理思想が浸透しており、それが経済的凋落と軸を同じくして土俗的迷信に塗り潰されていく過程を辿った。後世のシャクティ教典よりはヴァーツヤーヤナの「カーマ・スートラ」の方が、そしてその「カーマ・スートラ」でも本文よりダッタカの「妓生心得」要約箇所の方が現代人に近い心性を感じるのは、そういう経緯もあっての事。

③顧客の惹き寄せ方

顧客は安易に手に入るものを軽んじる。絶えず相手の心理状態を観察し続け、その分析結果に基づいて今最も関心を寄せそうな何かを提示し、それによって好奇心を掻き立てさせて向こうから来させるのがよい。その上でこの関係を一過性だけで終わらせない為に特別な贈り物を渡したり、芸を披露したり、飽きのこない会話でもてなしたりして関心を持続させる。
*この単元がやけにあっさりしているのは、当時ヴェーシャ(妓生、遊女)といったら有力者の誰もが憧れる社交界の花形であり、こちら側が気を寄せてる気配を見せるだけで向こうから飛んでくるのが当たり前の世界だったからとも。日本でいうと大名や豪商などの富裕層しか相手にしなかった全盛期吉原の花魁。欧州史でいうと高級娼婦(Courtisane:ヴェネツィア版はクルチザンヌ、フランス版はコーティザン)。
ヴェロニカ・フランコ(1546年〜1591年) - Wikipedia

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花魁 - Wikipedia

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*その大源流はギルガメッシュ叙事詩の中で「メー(文明の恵み)の守り手の一人」として「神の遣わした野人」エンキドゥを「人間」に変貌させた神聖娼婦シャムハト、シュメールのイナンナ信仰とアッカドのイシュタル信仰の融合を果たしたアッカドサルゴンの娘エンヘドゥアンナ(En-hedu-ana, Enheduana, Enheduanna、紀元前2285年頃〜2250年頃)、歴代エジプト王朝が辺境を文化的に制圧する拠点として建設したハトホル神殿の女神官達にまで遡るとも。
神聖娼婦 - Wikipedia
エンヘドゥアンナ - Wikipedia

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 ④捕まえた顧客の関心の引き留め方

そう易々と関係が成就してしまっては飽きられるのも早い。ここで障壁となる人物にご登場願おう。例えば金だけを生き甲斐と考える粗野な庇護者がしゃしゃり出てきて顧客が気に入らないと言い出し、無理矢理2人を引き離そうとする。この事で仮想キャラは絶えず腹を立て、自分の無力に失望してみせ、不安と恐怖に身体を震わせ、恥ずかしがってる様子を見せるが、庇護者が顧客に金儲けに繋がる様な無理難題を吹っ掛ける時、決してそれを邪魔してはならない。その一方で無理を重ねてでも顧客との再会の機会を設け続け、その関心が諦めに転じるのを防がなければならない。また以下の様な施策によって障壁となる人物の与り知らぬ所で秘密を共有するのも有効である。
*「障壁となる人物」…本編では「母親」とされ、いなければ何処かから老婆を探してきて乳母に仕立てるなりしろという。まぁビジュアル的には「アルプスの少女ハイジ」のロッテンマイヤーさんみたいなイメージ?

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現代社会では「顧客が女性の場合」も想定しなければならない。
恋愛で障害があるほど燃えるって本当?|「マイナビウーマン」
距離、時間、お金、周囲……4大「恋愛の障害」をあっさり乗り越えて、結婚のきっかけにする方法|「マイナビウーマン」

*実は錬金術パラケルススのエレメンタルに関する記載に基づくフリードリヒ・フーケ「ウンディーネ(Undine、1811年)」でも、誰かがウンディーヌを愛して彼女に人間らしい心を芽生えさせると「残りの非人間的な反面(男として愛されると女の部分、女として愛されると男の部分)」が分離して隙あらば二人の中を引き裂こうと画策してくる。

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  1. 代理の者を通じて顧客に変わらぬ愛と誠実さを伝える。

  2. 顧客からもらった贈り物を身に着けた姿をチラリと垣間見せたり、人づてに伝えたりする。また顧客から貰った衣装は何でも着る。

  3. 顧客の好むものを好み、顧客の性向に合わせて自分を変えようと切磋琢磨してる姿をチラリと垣間見せたり、人づてに伝えたりする。

  4. 顧客から伝え聞いた話に驚嘆してみせる。

  5. 顧客に思い切った打ち明け話をする。その一方で顧客から聞いた秘密は守り通す。

  6. 腹が立っても顧客の事を考えて表情に出さない。そして何時までもは腹を立て続けない。

  7. 隙を見計らってスキンシップ。愛情は言葉でなく行動や2人だけの合図や素振りで伝える。

  8. 相手が眠ってる隙を突いてちょっかいを出そうとしたり、顧客が何か考え込んでいる時に心配そうに顔を覗き込んだりする。ただし相手が構って欲しくない状況では話し掛けもせずじっと静かにしている。

  9. 二人で一緒の所を誰かに見られた時に適度な恥じらいを見せる。

  10. 顧客の敵を一緒になって憎み、顧客が大事にしている人を自分も大事に思い、積極的に会いたがる。顧客の家族、気質、才能、技芸、学識、階層、性格、故郷、友人、長所、短所、年齢、優しさなどに敬意を払う。

  11. 見当外れの嫉妬で顧客を呆れさせ、後に自分もそれを恥じる。基本的に顧客の話を注意深く聞いているが、競合相手の話は故意に忘れたり適当にしか記憶に留めなかったりする。

  12. 他人の長所を誉めたり、顧客と同じ欠点を有する人物をけなさない。また顧客の自慢話は確実に記憶に刻み、後で思わぬタイミングで引き合いに出して褒め称えたりする。

  13. 顧客が上の空だったり、溜息ばかりついていたり、欠伸ばかりしていたり、寝転がってしまったらがっかりして悲しそうな表情を浮かべる。

  14. 顧客が悩み事を抱えていたり、気落ちしていたり、不幸に悩まされている時は親身になって慰め、一緒になって悲しむ。その一方で自分がその状態に陥った時はあからさまにごまかす。その逆に顧客に嬉しい事があったり、目標を達成した時には一緒になって喜び、かつ以前に約束した事があれば忘れず果たす。

  15. 恐ろしさや寒さや暑さや雨などものともせず顧客と会おうとする。2人を引き離そうとする障害と、顧客から金銭を巻き上げる三段以外の面では全力で闘ってみせる。

  16. 自分の財産と顧客の財産を区別しない。以前顧客が使っていたものを喜んで使い、その食べ残しを喜んで食べる。自分1人で社交の集いに顔を出す事はないが、誘われたら断る事もない。

  17. それでも顧客が現れなくなったら、あたかも未亡人になったかの様に静かに謹慎状態を続ける。

  18. (イベントなどで)顧客が何処かに行かなければならなくなれば「貴方より後まで生きてたくない」と言い張って一緒について行く。それまでは障害となる人に何処かに連れ去られそうになる都度「二人の関係を引き裂かれるくらいなら死んでやる」と言い張って梃子でも動かない。

まさしく「物語文法の実演」状態?

⑤顧客から金銭を搾り取る方法

「カーマ・スートラ」の著者ヴァーツヤーヤナは「さらに手管を弄して金品を巻き上げるのは罪悪」とする先人の意見に反駁して「正当な方法でも幾許かは財布が潤うかもしれないが、金が主目的で手管を利用してその効率が上がるならやらない手はない」とした。その「先人の意見」の方は現存しない為、現代ではもう比較をやり直す事は出来ない。
*ある意味、ヴァーツヤーヤナの批判した「時代遅れの考え方」は「ゲームはキャラクター認知度を上げる為の販促道具(展開にさえ成功すれば回収方法はいくらでもある)」「従ってさらに手管を弄してまで金品を巻き上げる必要はない」とする「艦これ」運営人の立場に通じる。とにかくこうしたビジネススキームは全て「顧客から不当な手段で儲けていると決して思われない」なる大前提に立脚している点が重要。

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  1. 面と向かって顧客を誉め上げ、何もせずにはいられない気分に追い込む。また最も気前の良かった時期を思い出させたり、それを周囲に言い触らす。

  2. 装身具、食物、飲物、花、香料などの贈り物にお金を掛けさせる。

  3. 祝い事などのイベントにお金を掛けさせる。

  4. わざと財産を失い、復旧の名目で貢がせる。あるいは病気に罹って出費が嵩む治療が必要となる。

  5. 顧客の為を思ってした行動で思わぬ借金をこしらえてしまう。

  6. 二人を引き裂こうとする障害を克服する過程で出費がかさむ。さらに障害の中心人物から気前の良さを見せないと破談にすると示唆される。

  7. 友人同士の贈り物交換や宴席への招き合いに加われないと嘆く。あるいは金がないという理由でそれを取りやめる。また同時に仲間達がどれだけ貢がれているか印象付ける。

  8. 逆に仲間達や周囲に顧客の気前の良さを吹聴する。現実が違っても状況が追い付く事がある。

  9. 顧客の身分上昇などに関連する流れで有力者の接待が不可避となる。

  10. 不幸な状態にある友人を何とかしたいと相談する。

まさしく「女優」そのもの?

⑥顧客が愛想を尽かし始めた兆候の見分け方。

以下の様な兆候が現れてきたら、そろそろ搾り取れる限界に到達しつつあるという合図でもあるので「最終決算」の準備にかかるべきである。

  1. 求められた金額より少ししか払わなくなり、強請ったのと違う品物しかもらえなくなる。

  2. いろいろ約束してくれるが単なる時間稼ぎで、一向に実行に移してくれなくなる。また約束を忘れ、約束以外の事をする様になる。

  3. 何かに励んでる振りをしながら、実は別の事に取り組んでいる。

  4. 召使いや友人と裏で何か示し合わせる様になる。

いずれにせよ「金銭欲を優先する為に、決して相手に惚れない様にしている」事実を見透かされる前に全てを終わらせるのがお互いの為にも良い。 

⑦最終的に顧客側から愛想を尽かさせる方法。

金の切れ目は縁の切れ目」そして「多すぎる顧客はかえって金儲けの妨げとなる」。これこそが守るべき大原則である。別れた後に重要なのは、その後まとわりつかれない様に完全に愛想を尽かさせる事である。
金の切れ目は縁の切れ目? 彼女に「借金がある」と知った男性の3つの心境|「マイナビウーマン」

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  • 「(お金が目的でこういう事を始めたのだから)お金を吸い上げられなくなった相手は確実に切り捨てよ」という発想は江戸時代の遊郭においても見られる。そして、それをあくまで特定個人に対するビジネスだったからとし、不徳的多数の客層を相手とする現代の仮想キャラビジネスやアイドル商法には当てはまらないとする考え方も確かにある。

  • とはいえダッタカの「妓生心得」も、江戸時代の遊郭も(不特定多数から少しずつ均等に巻き上げるのではなく、沢山払ってくれる相手から集中的に巻き上げる)高級遊女に関して「それぞれの瞬間には特定の相手に操を立てる方が効率が良い」と指摘してるだけであり、現在これに対応するのは所謂「重課金者」層と考えるとまた違った景色が見えてくるかもしれない。例えば江戸時代の所謂「花魁」層は、積極的に寺社に寄付して新造の建築物や祭の際の目立つ場所に名前を掲載してもらうのを販促活動の一環とする一方で、郭内を練り歩く際にはまるでF1マシンの様に衣装のあちこちに現在のパトロンの名前や紋章をあしらって自らがある種の広告塔として機能していた。こうしたシステムに比べると現代の重課金者は遙かに冷遇されており、その恨みを発散させるシステムも未熟という考え方も出来そうなのである。

  • ならばこれは「ハリウッド・セレブ達などは、なぜ成功すると積極的にボランティア活動に乗り出すのか?」という話でもある。そういえば一時期は一世を風靡したZingaも、アイテム課金システムを利用して積極敵に寄付活動を行っていたがあまり上手く回ってなかった。当事者は「重課金者が求める見返り」と「重課金者から巻き上げる事への社会からの非難への言い訳」を同時に行える画期的システムと自負していた様子も垣間見られたが、そうした安直な発想そのものがかえって「課金ビジネスの偽善性の様なもの」を世に広めて自滅した感もある。

  • また「お金を吸い上げられなくなった相手は確実に切り捨てよ」という提言も、あくまで「お金が目的でこういう事を始めたのなら」という前提付きだし、当時の実状そのものだったというより「あなただけの恋人よ」という相手が増え過ぎると必ず破綻する現実を冷徹に見据えての発想だった可能性もある事を忘れてはならない。

  • そもそも「カーマ・スートラ」という書物自体が「不倫を完全に遣り遂げる為には」とか「王宮のハレムに潜入して美女を寝取るには」といった条項を次々と挙げる一方で「これを実施する者、全て自己責任で行うべし」と明言するスタイルを貫いた書物なのである。

  • そういえば「女は男の三歩後ろに従うべし」といった差別的提言に満ち溢れてるせいで現在ではフェミニストから目の敵とされている貝原益軒の「和俗童子訓(1710年)」にしたって、そういう部分は概ね(男尊女卑が徹底した)大陸の理想を列記した箇所であり、現実の日本について触れた部分においては「町屋の娘が親の隠し箪笥から伊勢物語源氏物語を引っ張り出して夢中になり、招来は芝居の役者や男買いに夢中になるのを誰が食い止められようか(父親も、母親も通ってきた道ではないか)。ならばせめて読み書き算盤の能力と毎日日記をつける習慣をしっかりと身に着けさせ、招来破綻しない為の自己管理能力を高めてやるのがせめてもの親心というものである」の様な生々しい記述が連続している。肝心なのはあくまで「官能(カーマ)と富(アルタ)と社会的立場(ダルマ)のバランス」という次第。
    *そもそも「女は男の三歩後ろに従うべし」という章句自体、元来「武家が夜歩きする時には三歩前を提灯を掲げた従者に歩かせ、三歩後ろに妻女を配置して後方を警戒させる事で不意の闇討ちであっけなく討たれる様な醜態を回避せよ」という当時の分隊行軍マニュアルの様なものの一節だった様で、そこに現代的男女平等観を押し付けてどうなる? という話であるらしい。現実は概ねこういうものである。 

具体的に挙げられてるノウハウは以下。

  1. 冷笑を浮かべて顧客の不愉快な悪習や欠陥をあげつらい、到底直る見込みはないと決め付ける。顧客と同じ欠点を持つ相手を貶める。

  2. 顧客のついていけない話をどんどん話題にする。交際範囲を顧客より優れた人物に広げる。顧客の能力や学識を笑いケチをつける。顧客の自尊心を木津付け、さらに傷口に塩を塗る。

  3. ことごとく顧客を無視する。相手が近付いてきてもそしらぬ振りをする。それでずっと召使いと話し込んでいたりする。また逆に顧客が放っておいて欲しいタイミングで積極的にからむ。

  4. 顧客の愛情を馬鹿にする。

  5. 故意に相手の言葉を誤解する。顧客の話を途中で遮り、他の話を始める。

  6. 到底記紀遂げてはもらえない様な事をあえて頼み続ける。

  7. それでも駄目ならこっちから袖にする。

「結婚式の席では絶対に歌ってはいけいない」この曲を思い出した。

⑧それでもあえて複数の相手と上手に交際する方法

突如としてインド論理学に基づく難解な損得勘定論に突入する為、割愛。この部分こそ「現代化」が必要な模様?

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これを読んで「何だかアニメや漫画やラノベで見た事あるシュチュエーションが並んでるぞ」と思う人もいれば「ガチャに頼りっ切りのソシャゲは、まだこのビジネスのポテンシャルをほんの数%を引きだしたに過ぎない」と思う人もいるでしょう。

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ぶっちゃけ現段階では仮想キャラに全ての機能を実装するのは不可能だし、そもそも「実装して良いのか?」と思われる条項も数多く存在しますが…まぁ「二千年前の内容にしちゃ思ったより古びてない」というのが概ねの所感なのでは? 明らかに現代に通用しない箇所を思い切って切り捨てたせいもありますが…

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一体どんな歴史がこんなマニュアルを生み出したのでしょうか? 先人達の研究成果によれば、ヴァーツヤーヤナが「カーマ・スートラ(Kama Sutra)」を編纂したのは4世紀から5世紀の間とされています。

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①4世紀から5世紀にかけてはインドの古代資本主義の最盛期

紀元前から栄えてきたインドの古代資本主義の最盛期に当たり、その過程でバラモン階層はダルマ・シャーストラを整備し(バラモン階層を頂点とするヴァルナ秩序を定めて現代のインド人の生活のみならずその精神にまで深く根ざす『マヌ法典』が2世紀頃までに編纂され『ヤージュニャヴァルキヤ法典』と並んで東南アジア世界に大きな影響をおよぼした)、王侯貴族や軍人を中心とするクシャトリア階層は『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』のインド二大叙事詩を自らの権源とする様になり、ローマ帝国などの西方諸国と季節風貿易(2世紀頃から綿織物や胡椒が輸出される様になり、ローマ帝国時代の金貨が大量に出土する様になる)で結ばれたデカン高原を中心とする南インドへも北インドバラモン文化や仏教が伝来して広がった。特に仏教大衆部が営んだ在野信徒と修行僧を巧みに糾合する教団運営システムは(おそらくマニ教信徒経由で)キリスト教圏にまで影響を与える事となる。

ヴェーダの神々から南部土俗信仰へ

そうした時代を背景にヴェーダの神々への伝統的信仰が衰える一方で、南部土俗信仰を巧みに取り込んだシヴァ、ヴィシュヌ、クリシュナなどの神々が讃えられる様になっていくが、その過渡期にはマガダ国、マウリア朝に続いてグプタ朝(320年〜550年)の首府も置かれたパタリプトラ地方(現在のパトナ)に北インド有識者が集い、インド論理学やウシャニパッド哲学で研鑽された知性に基づく宗教権威の回復を図った。
*パタリプトラ地方(現在のパトナ)…紀元前6世紀か紀元前5世紀頃、マガダ国が外征の拠点(特にガンジス川の渡河地点)として建設。河川の合流点に位置し地の利のある事から急速に発展し、ウダーイン王の時代(在位:紀元前5世紀頃)に旧来の首都ラージャグリハ(王舎城)から首都が遷され、その後長くマガダ国の首都として繁栄した。その繁栄はインド亜大陸の大半を征服することになるマウリヤ朝の時代に頂点に達し、初代王チャンドラグプタの時代(在位:紀元前317年頃~紀元前298年頃)にパータリプトラを訪れたギリシア人メガステネスは「無数にあるインドの都市の中で最大の都市」と記録している。しかしマウリヤ朝の第3代王アショーカ(在位;紀元前268年頃~紀元前232年頃)の後、チェーティ朝の王カーラヴェーラやインド・グリーク朝の王メナンドロス1世らがパータリプトラに脅威を与え、またマガダ国自体の政治的地位も低下していったため、次第に衰退した。

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この意味において2世紀頃に現れ「空」の思想を説いた大乗仏教の僧侶ナーガールジュナ(龍樹)の残した「中論」は、「人間、幸福になりたければ(バラモン僧の主導下で)ダルマ(伝統的習俗に対する敬虔な態度を含む社会的立場)とアルタ(世俗的成功がもたらす富)とカーマ(官能から最大の快楽を引き出す為の制御技術)の配分をバランスさせねばならぬ」としたバラモン僧ヴァーツヤーヤナの「カーマ・スートラ」と同様の戦略性を備えた文献といえそうである。内容まで踏み込んで検討してみても、両者が「正確に適宜の手順さえ踏めば呪術は確実に発動する」とする魔術的思想を微塵も疑わないが故に、その精度を少しでも引き上げるべく人間に認識可能な事象を歴史的に鍛錬されてきたインド論理学に基づいて容赦なく批判的に吟味していくスタンスを共有している事は疑う余地もない。

いずれにせよグプタ朝時代(320年から550年頃)に再び巨大帝国の首都として繁栄の時代を迎えたパタリプトラ地方は、その後次第にインド世界の中心都市としての地位を失っていく。

③むしろ地中海世界に影響を与えてきた南印女神信仰

ところで紀元前9世紀頃にインドで成立した女神信仰は、フェニキア人経由でコリントスに伝わって独特のアフロディテ信仰となった。その最大の特徴は大量の神殿娼婦を擁して自活していた事だが、両者は案外こうしたノウハウの共有で結びついているのかもしれない(古代インドの高級娼婦も、コリントスの神殿娼婦も、客から吸い上げた財産の余剰をバックの教団に寄付する事で免罪を得ていた。当時のシステムはそこまで込みだったのである)。翻訳者のバートンも序文で「古代インドの教養豊かな踊り子や高級娼婦は、驚くほど古代ギリシャの高等内侍(ヘテラ)と似ていた。どちらも素人女が羨む領域まで女を磨き上げる一方で男も顔負けの教育と技芸を誇る羨望の存在だったのである」としている。また「ヒンズー社会の上流人種(1871年)」を著したH.H.ウィルスンも「ヴェーシャ(妓生、遊女)は一般に娼婦と訳されるが、これを法律上の義務や美徳の教えを無視する女性と解してはならない。彼女達はきちんとした礼儀作法を身に着けていないが故に社交界入りが許されない素人女性に代わり、彼女らが持ち合わせてない容姿や教養を武器に男性社会に彩りを加えるべく訓練されたプロフェッショナル集団なのである」と述べている。
*紀元前9世紀頃にインドで成立した女神信仰…紀元400年から500年の間にドゥルガーとカーリ ーの誕生を語るシャークタ(女神教)の根本経典「デーヴィー・マーハートミヤ」に編纂された。当時の遺跡に残る女神の肖像は、これがフェニキアに伝わってアスタルトとなり、ギリシャに伝わってアフロディテとなり、古代ローマに伝わってヴェヌスとなった事を示唆している。しかし当時の歴史的遺物は、それが本来どういう内容の宗教で如何なる形で変遷してきたのかまでは教えてくれない。

ギルガメッシュ叙事詩(紀元前三千年紀後半成立)」ではウルクギルガメッシュをつけ狙う刺客「野人」エンキドが「神聖娼婦」シャムハトに骨抜きにされて味方に引き込まれる。古代エジプト王朝もヌビアやシナイ半島といった外蛮の闊歩地にあえてハトホル神殿を建て、そこに教養と芸妓に秀でた女官達を詰めさせて現地懐柔に当たらせていた(こうした辺境から押し寄せてくる怪物は酒で酔い潰されて倒される事も多いのも鑑みると、彼女達は宴席を盛り上げる道具として先進文明が産んだ美酒の力も借りたかもしれない)。地中海沿岸沿いに瞬く間に交易拠点を連ねていったフェニキア証人も、旧約聖書に活写された様に現地有力氏族との政略結婚を嚆矢に神官団を送り込んで現地懐柔に努めるのを得意としていた。詳細は不明ながら、こうした一連の動きの背景にある種の共通文化を見て取る事は出来よう。

デンデラ神殿の電球(地下壁画)

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④近代以降の再評価

その独特の歴史性故にインドでは南部土俗信仰の影響力が強まるにつれ前者はヒンドゥ教、後者は密教への遷移を余儀なくされる事になった訳だが、「カーマ・スートラ」序文に拠れば19世紀の探検家リチャード・バートンはむしろそうなる以前の北インド文化にこそ近代性の先行を見た。確かに現代人の感覚では時代の変遷についていけず、ダルマ(伝統的習俗に対する敬虔な態度を含む社会的立場)が崩壊しつつある時代に価値観再建の基準として窮理すべきだったのはカーマ(官能から最大の快楽を引き出す為の制御技術)ではなくアルタ(世俗的成功がもたらす富)すなわち経済学だったかもしれない。しかしこの障壁を越えられなかったのは当時のローマ帝国、すなわちキリスト教圏も同様であり、しかも19世紀後半の近代欧米社会は(少なくともリチャード・バートンの目に映る範囲では)カーマ(官能から最大の快楽を引き出す為の制御技術)を軽んじる偽善的ブルジョワ主義に窒息させられかけていた。希代の冒険家にして「千夜一夜物語」の翻訳者でもあったリチャード・バートンが、カーマ・スートラの訳出こそ自分がその生涯で成し遂げた最も価値ある仕事だったと豪語して憚らなかったのには、そうした歴史的背景があったのである。

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リチャード・バートン自らが「カーマ・スートラ」序文に記している様に「欧米社会は偽善的ブルジョワ主義に窒息させられかけている」と考えたのは彼だけでなく、例えばハーレクイン・ロマンスも「偽善に満ちあふれた上流階層において、あえて真実の愛を貫こうとする男女」を集中的に描こうとした点でこの系譜に属する。おそらくその前史として19世紀後半から20世紀前半に掛けて欧米社会を席巻した所謂「女性作家が女性向けに執筆した女性文学尾崎紅葉金色夜叉」が種本としたバーサ・M.クレイの「女より弱き者(Weaker Thana Woman)」もそのうち一冊)」の展開があったものと推測されるが、その後完全に黒歴史とされ、詳細は不明である。

しかし今日なお「世界で最も売れた作家」はノーラ・ロバーツなのであり、これはこれで、決して無視出来ない事実。
ノーラ・ロバーツ - Wikipedia

⑤「妓生心得(カーマ・スートラ第6章)」から「ハーレクイン・ロマンス」へ。

かくして紀元前後の人物とされるダッタカがパタリプトラ地方(現在のパトナ)の高級遊女達の為に編み出した「妓生の本分はしかるべき考察を経て適切な相手と関係を結び、その心をしっかり捕らえつつ財産を絞り着くし、無一文になったところで見捨てる事である」とするイデオロギーが今日に伝えられる事になったという次第。
*そもそも「適者既存」理論や「性淘汰」理論に立脚するダーウィンの系統進化論を産んだ英国はジェントリー階層子女の必死の婚活を描いて「ラブコメ元祖」となったジェーン・オスティン文学も産んでいる。

*「まんがで読破」シリーズの「カーマ・スートラ」はこの章を「よい子は知らなくて良い」と華麗にスルーする。他の関連書物でも「金主と芸人の関係は、窮理するとこうなる」というこの書物の恐るべき主張を真正面から受け止めるケースはあまり見られない。

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訳者のリチャード・バートンは明らかに、当人は潔癖な生涯を完遂した様な高潔なバラモン僧があえて空とぼけて「人から人格者として尊敬され続けたければ、不倫は日が暮れてからこっそり行うべきである」「妻を複数娶ったなら、自分は中立を保ちつつ、あえて(最も愛おしい)最年少の妻を悪役に仕立てて非難を集中させよ」「王宮のハーレムに潜入して美女を寝取りたければ、まず女装の達人となれ」といった「必要悪の哲学」を連ねている辺りに独特の諧謔を感じているのだが、その全体像を「淫猥の聖典」といったレッテルでパッケージングしている限り、この文献のそうした側面は見えて来ない。
*日本ではあまり意識される事はなかったが、敵として登場する7人のホムルンスクを「7つの大罪」で象徴した「鋼の錬金術師」においてラスト(Lust=貪欲。概ね色欲(肉欲)と関連付けられる)の扱いは極めてピーキーな両刃の剣だった。その一方で「その能力はマハタリの如く敵を誘惑して情報を聞き出す軍事スパイのスキルとして使われる」「暴食という同様に本能に根差す大罪を象徴するグラトニーから慕われている」「紅一点でありながら早期に退場し、その事がホムルンスク間の不和につながっていく」という一連の処理は「敵側の女キャラ」としてはほぼ完璧に近く、相応の称賛を集める事となった(まぁ、あくまで「アメコミはこういう処理が上手くない。だからミスティークもブラックウイドウちゃんと動かせてない」「ワンダーウーマンの映画化計画が頓挫した事はむしろ喜ばしい(どうせ酷い事になってたから)」といったやり取りの一環だった訳だけど)。

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ちなみに「富を獲得したイケメンが贅沢と性的放縦に走って、それだけで幸せになれるのか?」なる設問は「だから私が真実の愛で満たしてあげる」と受ければハーレクイン・ロマンス的アプローチとなり「戦い続ける事こそが官能の追求だ」と受ければアメコミ的アプローチとなる。アメリカのロマンス小説分野でも、ティーンズ向けは「恋する十字架バフィー (1997年〜2004年)’」や「ハリー・ポッター」シリーズ(1997年〜2007年)や「トワイライト・サガ(2003年〜)」もかくやといったバトル・ファンタジー系作品が主流となっており、その等価性は疑う余地もない。

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むしろ「事象の地平線としての絶対他者」に限りなく近い概念とも?