諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【天才バカボン】【デビルマン】【マーズ】【イデオン】【エヴァンゲリオン】だからインターネットはこれでいいのだ?

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情報通信白書 for Kids:インターネットの世界:インターネットの統計:世界のインターネット利用者数

考えてみれば「多様性と多態性が浸透したインターネットの世界においては、あらゆる意味において全面肯定も否定も無駄。誰もが誰もに対して事象の地平線としての絶対他者で有り得る」という事かもしれません。まさしく客観的にはジョン・スチュアート・ミル「自由論(On Liberty、1859年)」において示された「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。これを妨げる権力が正当化される場合は他人に実害を与える場合だけに限定される」なる理念の顕現。主観的には華厳経における「海印三昧(海上の波面の全てに「宇宙の真相」を象徴する月影がそれぞれ特有の状態で写り込んでいる状態)」の境地。

だからこそインターネットはしばしばこうした困った動きだけではなく、こういう動きも見せるのです。賛否両論を重ねながら…

 そういえばこんなエピソードもありました。

インターネットはこれでいいのだ?

 赤塚不二夫の漫画「天才バカボン(原作1967年〜1978年、アニメ化1971年〜)」は米国における「黄金の1950年代」や日本の高度成長期を支えた強烈な自己肯定感の批判的パロディとして成立。例えば「辛子工場でゴミクズの様に使い潰される労働者」をコメディタッチで描く不条理劇などで一世を風靡した。時期的には「大声が文字の形の石になって飛んでいく」「輪切りの肉」「マンモスの群れの突進(その結果、人間が踏みつぶされてペラペラになる)」「テッコンキンクリート」などの定番ギャグを後世に残した園山俊二の漫画「ギャートルズ(原作1965年〜1975年、アニメ化1974年〜)」がブームとなった 時期とも重なってくる。

やつらの足音のバラード

なんにもない なんにもない
まったく なんにもない
生まれた 生まれた 何が生まれた
星がひとつ 暗い宇宙に 生まれた

星には夜があり そして朝が訪れた
なんにもない 大地に ただ風が吹いてた

やがて大地に 草が生え 樹が生え
海には アンモナイトが 生まれた

雲が流れ 時が流れ 流れた
ブロントザウルスが 滅び
イグアノドンが 栄えた
なんにもない 大空に ただ雲が流れた

山が火を噴き 大地を 氷河が覆った
マンモスのからだを 長い毛が覆った

なんにもない 草原に かすかに
やつらの足音が聞こえた
地平線のかなたより マンモスの匂いとともに
やつらが やって来た
やって来た
やって来た

*こうした作品に込められた強烈な文明批判をあえてシリアスタッチで描いたのが、永井豪デビルマン(1972年〜1973年)」や横山光輝「マーズ(1976年〜1977年)」。どちらも原作は悲劇的結末を迎えるが、アニメ版「デビルマン」はあくまで当時のTVコードに従って「あえて人類を滅ぼす側から寝返った正義のヒーロー(贈り物の馬の口を覗くな!!)」として描かれざるを得なかったのである。アニメ版「マーズ」に至ってはさらに壮絶な改変が加えられる展開に。むしろそこに描かれた「人類は一度滅びた方がいい」なる強力なメッセージ性は富野喜幸監督作品「伝説巨神イデオン(Space Runaway Ideon、TV版1980年、劇場版1982年)」や庵野秀明監督映画「新世紀エヴァンゲリオンNeon Genesis EVANGELION、TV版1995年〜1996年、旧劇場版1996年〜1997年)」に継承される展開を迎える。

横山光輝『マーズ』 絶望と無力を教えるもの - 花の絵

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*人類とはある意味「実は人類とは地球というエコ・システム全体から俯瞰した場合、一刻も早く全員が取り除かれるべき害虫に過ぎないのではあるまいか?」なる疑念を常に抱えつつ、しかもそれを決して素直には直視し得ない生物なのであり、この観点についてどう考えるかが1960年代以降の文化展開においては重要な意味を占める様になっていく。まさしく「事象の地平線としての絶対他者に対する黙殺・拒絶・混錯・受容しきれなかった部分の切り捨てのサイクル」そのものを描きながら…

僕はおセンチな平和主義者や平和教の狂信者では決してありません。歴史における力の要因を、いざとなれば正義も蜂の頭もない物理的衝突に発展する力と力の均衡を、そしてこれをエネルギーとして駆動する歴史の残酷さをむしろ信奉しているくらいなのですが、それでも貴方達同様に家族、すなわち恋人や妻や子供や自分自身がむごたらしく死に絶えていくのを恐ろしく感じるのです。

そしてふと思うのです。この恐怖こそが、もしかしたら人間性も歴史も変えて我々を絶望から救うのではないかと。その結果として人類は初めて一種次元の違った未来へと突入するのではないかと。この壁さえ乗り越えてしまえば次の「ピリオド(周期の終わり)=クリシス(クライシス)」が到来し改めて人間性の壁を破らねばならなくなる数百年後や数千年後にまで生き延びられるのではないかと。その片鱗を目の当たりにする為には、少なくともあと40年や50年は生きねばなりません。ああ生きていたいな、生きていたい。みんなで力を合わせて原爆実験反対運動に協力しましょう‼︎

*それまでの歴史においても人類は大災厄に直面する都度、この問題について考えさせられてきた。

*しかし同時に人類はこの問題を20世紀末まで「グノーシス主義的反宇宙的二元論」、すなわち現在我々が生きているこの世界は偽物の創造主が生み出した悪の宇宙、あるいは狂った世界と見立てて、これを一刻も早く滅ぼす事だけが人類進化の実現につながると考える世界観と紐付けてしか考えてこなかった側面が存在する。

グノーシス主義 - Wikipedia

1966年4月にイタリアのメッシーナ大学でグノーシス主義研究者たちの「国際コロキウム(シンポジウム)」が開催され、そこでグノーシス主義とは何であるかという学術的な定義について一つの提案が行われた。これを「メッシーナ提案」と通称する。半世紀近くの時を経てグノーシス主義に関する研究も進展したが、グノーシス主義を語る上でメッシーナ提案は研究者たちの共通基本認識として前提となる。

この提案では、紀元2世紀から3世紀頃のキリスト教グノーシス体系を「グノーシス主義」と定義し、より広い意味での「秘教的知識」の歴史的カテゴリーを「グノーシス」と定義した。この提案によれば、「グノーシス」とは「グノーシス主義」を「典型」とする非常に範囲の広い意味を持つことになり、これはハンス・ヨナスが提唱したように「精神の姿勢・現存在の姿勢」であるという解釈が概ねにおいて承認されたものである。マニ教や、カタリ派、ボゴミール派などは当然として、それ以外にも、時代や地域を越えて、「グノーシス」は人間の世界把握の様式から来る宗教または哲学的思想として普遍的に存在するものとの考えが示された。

そこでは物質からなる肉体を悪とする結果、道徳に関して、2つの対極的な立場が現れた。一方では禁欲主義、他方は放縦。前者は、マニ教に見られるように禁欲的な生き方を教える。後者は、霊は肉体とは別存在であるので、肉体において犯した罪悪の影響を受けないという論理の下に、不道徳をほしいままにする。4世紀の神学者アウグスティヌスがキリストに回心する前に惹かれたのは、前者の禁欲的なタイプであったと言われる。

*興味深いのはこうした展開が常に「あえて破滅を恐れず神の用意してくれた御仕着せの救済案を拒絶し、自らの内心からの声のみに忠実に従い続ける事によって善悪の彼岸を超越しようとするロマン主義に対する各時代の評価と表裏一体の関係を保ち続けてきた辺り。

*さらに興味深いのが、フェミニズム運動の渦中において、かかる「ロマン主義的英雄の崇高さへの第三者の態度」がさらなる深化を見せた事。例えばアンルイス「六本木心中(1991年)」の歌詞「だけど心なんてお天気で変わるのさ」。そしてインディアンが伝統的に信奉してきた「森の精霊=祖霊」はディズニー・アニメ「ポカホンタス(Pocahontas、1994年)」では「キャプテン・ジョン・スミスを選ぶのが貴方にとって真実の愛」、続編「ポカホンタスII/イングランドへの旅立ち(Pocahontas II: Journey to a New World、1998年)」では「英国人貴族ジョン・ロルフを選ぶのが貴方にとって真実の愛」と太鼓判を押す(あくまで黙殺され続ける村の英雄ココアムや哀れ!!)。確かに心変わりが激しく、かつその事についての肯定要求も顕著な女性は「(狂った様に最初に見定めた目標に邁進する)ロマン主義的英雄」には向いてないのかもしれない。だがそれならば殿方はどうなのか? こうした鋭い疑念の持ち越しが国際的に庵野秀明監督映画「新世紀エヴァンゲリオンNeon Genesis EVANGELION、TV版1995年〜1996年、旧劇場版1996年〜1997年)」における「ロマン主義的英雄」碇ゲンドウと赤木母娘の爛れた関係についての考察、宮崎駿監督映画「風立ちぬ」におけるヒロイン菜穂子の不倫疑惑、雲田はるこ昭和元禄落語心中(原作2010年〜2016年、アニメ化2014年〜2017年)」のヒロイン小夏への関心の高まりといった形で定期的に顕現。どう考えても滅茶苦茶で矛盾だらけなのは男とて同じなのではあるまいか?

与謝野晶子 母性偏重を排す(1916年)

私は人間がその生きて行く状態を一人一人に異にしているのを知った。その差別は男性女性という風な大掴おおづかみな分け方を以て表示され得るものでなくて、正確を期するなら一一の状態に一一の名を附けて行かねばならず、そうして幾千万の名を附けて行っても、差別は更に新しい差別を生んで表示し尽すことの出来ないものである。なぜなら人間性の実現せられる状態は個個の人に由って異っている。それが個性といわれるものである。健すこやかな個性は静かに停まっていない、断えず流転し、進化し、成長する。私は其処に何が男性の生活の中心要素であり、女性の生活の中心要素であると決定せられているのを見ない。同じ人でも賦性と、年齢と、境遇と、教育とに由って刻刻に生活の状態が変化する。もっと厳正に言えば同じ人でも一日の中にさえ幾度となく生活状態が変化してその中心が移動する。これは実証に困難な問題でなくて、各自にちょっと自己と周囲の人人とを省みれば解ることである。周囲の人人を見ただけでも性格を同じくした人間は一人も見当らない。まして無数の人類が個個にその性格を異にしているのは言うまでもない。

一日の中の自己についてもそうである。食膳に向った時は食べることを自分の生活の中心としている。或小説を読む時は芸術を自分の生活の中心としている。一事を行う度に自分の全人格はその現前の一時に焦点を集めている。この事は誰も自身の上に実験する心理的事実である。

このように、絶対の中心要素というものが固定していないのが人間生活の真相である。それでは人間生活に統一がないように思われるけれども、それは外面の差別であって、内面には人間の根本欲求である「人類の幸福の増加」に由って意識的または無意識的に統一されている。食べることも、読むことも、働くことも、子を産むことも、すべてより好く生きようとする人間性の実現に外ならない。

 与謝野晶子 激動の中を行く(1919年)

巴里のグラン・ブルヴァルのオペラ前、もしくはエトワアルの広場の午後の雑沓初めて突きだされた田舎者は、その群衆、馬車、自動車、荷馬車の錯綜し激動する光景に対して、足の入れ場のないのに驚き、一歩の後に馬車か自動車に轢ひき殺されることの危険を思って、身も心もすくむのを感じるでしょう。

しかしこれに慣れた巴里人は老若男女とも悠揚として慌てず、騒がず、その雑沓の中を縫って衝突する所もなく、自分の志す方角に向って歩いて行くのです。

雑沓に統一があるのかと見ると、そうでなく、雑沓を分けていく個人個人に尖鋭な感覚と沈着な意志とがあって、その雑沓の危険と否とに一々注意しながら、自主自律的に自分の方向を自由に転換して進んで行くのです。その雑沓を個人の力で巧たくみに制御しているのです。

私はかつてその光景を見て自由思想的な歩き方だと思いました。そうして、私もその中へ足を入れて、一、二度は右往左往する見苦しい姿を巴里人に見せましたが、その後は、危険でないと自分で見極めた方角へ思い切って大胆に足を運ぶと、かえって雑沓の方が自分を避けるようにして、自分の道の開けて行くものであるという事を確めました。この事は戦後の思想界と実際生活との混乱激動に処する私たちの覚悟に適切な暗示を与えてくれる気がします。

*商業至上主義はシンディ・ローパー「Girls Just Want To Have Fun(1983年)」マドンナ「Like a Virgin(1984年)」辺りから女性解放ブームを盛り上げ始めた。同時期の日本でも宮崎駿監督映画「風の谷のナウシカ(1994年)」の大ヒットや米国心理学者ダン・カイリー「ピーターパン症候群Peter Pan Syndrome、1983年)」「ウェンディ・ジレンマ(Wendy Dilemma、1984年)」のトレンド化があった。歴史のこの段階においては、まさかこれを契機に(多様性だけでなく多態性をも重んじる)第三世代フェミニズムの躍進が始まってLGBTQA層と合流し2010年代後半にはむしろ逆に党派性を重んじるあまり(少なくともその一部が)男性保守派と手を握ったウルトラ・フェミニズムがまとめて逆包囲される状況が到来するとは思っていなかった事だろう。まさしく「事象の地平線としての絶対他者の受容サイクル」における「(リベラル階層や娯楽供給側が総掛かりで取り組んだ)盲目的拒絶」から「(映画館に観客を集めたりTV番組が視聴率を獲得する為の)混錯」への流れはそういう具合に達成されたのだった。

*突破の鍵となったのは詩集「草の葉(Leaves of Grass、1855年〜1892年)」で有名な米国詩人ホイットマン、および「堕落論」によって敗戦後の日本を風靡したフランス文学坂口安吾などが奉じたある種の行動主義、すなわち「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なるイデオロギーとも。ある意味ジョン・スチュアート・ミルが「自由論(On Liberty、1859年)」の中で主張した「(進化は時間と死の積み上げによってのみ達成される。すなわち)文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならず、権力がこれを妨げる事が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限定される」式の思考様式の実践面であり、そうした動きが20世紀後半には伝統的ロマン主義の伝統を吸収合併していったとも見て取れる展開。
坂口安吾 堕落論

*こうして全体像を俯瞰してみると、ここに掲げた1961年時点のSFマガジンの巻頭言は、米国においてはサリンジャー以上の人気を誇るジョン・アップダイクの「A&P(1961年)」同様、ヒッピー運動や黒人公民権運動勃発の重要な遠因の一つともなった「米国東海岸的鬱屈」の貴重な同時代証言という位置付けになる。
ジョン・アップダイク 『A&P』

*しかもそうした全体像は1970年代後半から2000年代にかけての日本において新左翼運動がいかなる形で大衆への影響力を振るい、かつ見捨てられていったのかと密接な関係にあったりもするのである。

反戦論を非現実的な理想主義と決めつける右翼的傾向を罵倒したら、脅迫の投書が相次いだ。それらの多くは科学評論家や左翼や左翼小児病患者が多過ぎる、SFが勝手気ままな事を書けるのもアメリカのおかげなのに、反戦・反米思想を鼓吹するのは許しがたい、だいたい富めるアメリカは侵略主義的にはなり得ないのだ云々といった狂信的な拝米主義者からのものだった。
*そういえば終戦直後の「日本のリベラリスト」達は、その狂信的な拝米主義から米国Comic Code騒動を真似た「悪書追放運動」や「黒人や身障者を一切のメディアに登場させるな」運動を展開。「こびとプロレス」実は当時彼らが「アメリカのリベラリスト」と信じていた宗教右派は今日のトランプ政権の最大支持層…まずこの間違いを糾す必要があるのでは?

その一方で<左翼>や<革新>のSF小説への関心は皆無に近く、そうした投書への反論はむしろ穏健な市民的知性の持ち主の手によって、客観的歴史的な立場からアメリカのエゴイズムや東南アジアにおける力の戦略を非難する形でなされたものである。
*おそらく内部粛清を繰り返しつつ議会政治に食い込む方策を模索中で、60年安保を主導した共産主義者同盟(ブント)ら「新左翼陣営」と激しい対立状態にあった当時の「旧左翼陣営(日本共産党日本社会党)」にこうした国際的文化潮流を意識する余力など皆無だったのである。その一方でこうした「穏健な市民的知性の持ち主」は源氏鶏太のサラリーマン小説(1948年〜1970年)の読者層、すなわち高度成長期の経済発展に寄与しつつ「少女漫画における恋愛禁止」を応援し「自由恋愛や恋愛結婚への拒絶感」を表明した「生活保守」の立場と重なる部分が多い。

また「架空を扱う娯楽作品たるSF小説が面白おかしい馬鹿話以上を目指すのは、それ自体が邪道である」という投書も多数寄せられた。
*「面白おかしい馬鹿話以上を目指すのは、それ自体が邪道」なる思考様式は当時の推理小説界にもはびこっていた。

*しかし松本清張が引き起こした「社会派ミステリー」ブームによってあえなく粉砕されてしまい、ある意味焼け野原だけが残る展開を迎える。

*もっともこうした展開は反動を生み、1960年代中旬における残酷映画ブームと1960年代後半から「エドガー・アラン・ポーの恐怖世界」や「小栗虫太郎の冒険小説」再評価を契機に夢野久作江戸川乱歩横溝正史といった「国内変格作家」のリヴァイヴァル・ブームが巻き起こるのである。背景にTV番組との対抗上映画界が「(TVでは放映不可能な)エログロ路線や大規模スペクタル路線」に傾倒していった事が挙げられる。

カウンターカルチャー前夜―アメリカの1950年代についての一考察―

(1950f代のアメリカ国民は)平和と経済成長の果実を味わう一方で,社会の商業主義的風潮に悩まされなければならなかった。この時代におそらくもっとも若者に読まれたベストセラー小説『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)の主人公,ホールデン・コールフィールドは高校を退学になる“落ちこぼれ”だが,大人のウソをかぎ分ける嗅覚はとても鋭敏で,高校の父母会で寄付をしてくれそうな父母とそうでない父母を差別して扱う高校の校長や,依頼人の利益よりも,弁護士としての評判や利益の方を心配する自分の父親を軽蔑する。彼は偽善と商業主義にまみれたアメリカ社会を「インチキ」と呼んで痛烈に批判し,当時の若者に喝采をあびた。

経済成長は巨大な,官僚主義化した企業社会をも生みだし,そうしたポスト産業社会で生きる個人の「孤独」や「疎外」などがおおきな問題となった。社会学者のデイヴィッド・リースマンは『孤独な群衆』(1950年)で現代社会では,急激な産業社会の変化により,個人の内的価値観や自主的判断にしたがう「内部指向型」の人間より,社会の価値観にしたがい周りの人間の行動に同調する傾向の「他人指向型」の人間が増加していると指摘した。そうした「他人指向型」の人間には,集団への帰属意識があり,安心感を得ることができるが,他方で,個人としての生きる目的や生きがいなどを見失うおそれがあるのである。

1956年のベストセラー『組織のなかの人間』でジャーナリストのウィリアム・ホワイトは,巨大化した産業組織の官僚機構のなかでは「集団の倫理」がなによりも優先され,それがプロテスタントの労働倫理,つまり個人の創意・工夫を重んじる伝統を破壊する危険性を指摘する。そして個人を「無名性」へとおとしめ忠誠をもとめる組織と戦い,アメリカ伝統の個人の自由と独立の精神を回復する必要性を説いた。

1950年代の空前の経済的繁栄を謳歌するアメリカ社会にあって,唯一その繁栄の分け前にあずかれない人びとがいた。南部の黒人は,第二次世界大戦で白人とともに戦場で戦ったにもかかわらず,1896年の連邦最高裁判所の下した判決“分離すれども平等”の原則の下で,人種差別の状態におかれていた。事実上,黒人には選挙権も認められておらず,白人女性に口笛を吹いただけで黒人少年が私刑(リンチ)に遭うような状況だった(1955年8月「エメット・ティル事件」)。こうした最悪の時代にあって,黒人はしだいに抗議の声を上げ,状況を変え始める。。1954年5月に連邦最高裁判所は,カンザス州トピカの人種分離された学校教育制度が争われた裁判で,「われわれは公共の教育機関において『分離すれども平等』という原則には根拠がないと結論を下す。人種分離政策に基づく教育施設は根本的に不平等である」と述べて,憲法違反の判決を下した(バーダマン 31)。公立学校教育における人種統合が実現するには,これから10年以上の時間がかかるが,この連邦最高裁判所の下した判決は「爆弾のように」国中に衝撃をあたえる事件となった。1955年12月アラバマ州モンゴメリーで,その後の黒人の公民権運動の行方を決める象徴的な出来事がおこる。12月1日夕方,42歳のローザ・パークスという黒人のお針子が,市営バスの中で白人に座席を譲らなかったという理由で逮捕された。そこで,黒人の全国組織であるNAACP(黒人地位向上協会)とマーティン・ルーサー・キング牧師を中心とする黒人教会の指導者たちは,モンゴメリー市にバス内での人種分離の改善をもとめて,市営バスのボイコットという直接的な抗議行動にでた。このバス・ボイコット運動は1年以上つづいた後,市営バスを運行停止に追い込み,連邦最高裁判所から市営バスの人種分離の違憲判決を勝ち取り,成功の裡に終了する。このモンゴメリーでのバス・ボイコット運動は,キング牧師の唱える非暴力による直接的抗議行動のモデルとなり,その後の「シットイン」(座り込み)運動や「フリーダム・ライド」運動,1963年のワシントン大行進などの公民権運動をみちびく象徴的な事件となった。キング牧師はこの時,初めて大規模な黒人の抗議運動に関わったのだが,これ以後,1957年にSCLC(南部キリスト教指導者会議)を結成し,公民権運動の中心的存在として活躍することになる。
*だが新左翼運動が国際的に差別撤廃運動や民族紛争問題に無関心だった様にアメリカのヒッピー運動もまた、こうした黒人運動とほとんど接点らしいものを有しなかった。そして皮肉にもそうした歴史への悔悟が(ほとんど米国都市部のインテリ=ブルジョワ階層と重なる)米国リベラル階層を(あえて黒人リベラル層を差し置いて)白人撲滅を叫ぶ黒人運動急進派へと接近させていく。

この空前の繁栄の時代,白人の若者のあいだにも変化の兆しが現われてはじめていた。1958年には,全人口に占める15歳以下の年齢人口の割合が,はじめて1/3を超えた。1956年のある雑誌の調査によると,アメリカの10代の若者の1週間の平均収入は10.55ドルであったが,これは第二次世界大戦前の一家庭の1週間の平均収入に等しい額だった。このようなおおきな経済力を有するティーネイジャーたちは,レコードや雑誌,衣服,映画などの有力な消費者となった。しかし,彼らが観たり,聴いたり,買ったりしたものは,親の世代のものとはテーストを異にしていて,それが親と子の世代のあいだの溝をひろげた。この時代,10代の若者にもっとも人気のあった音楽はロックンロールで,彼らのアイドルはエルヴィス・プレスリーであった。

彼の代表曲“Heartbreak Hotel”(1956年)は発売6 ヶ月で800万枚を売り上げ,21歳の彼の年収は1,000万ドルを超えていた(Bruccoli, Layman 28)。しかし,フランク・シナトラやペリー・コモなどのスローなテンポの音楽に慣れ親しんでいた親の世代にとっては,プレスリーのはげしく腰を振りながら絶叫するロックンロールは「黒人音楽」(race music)そのもので,白人が聴いたり,歌ったりするものではなかった。しかも歌の内容も「セックス」や「子の反抗」をテーマにしていて,これがまた親の世代の反感をまねいた要因だった。一方,こうしたティーネイジャーたちの映画界におけるアイドルは,マーロン・ブランドとジェームス・ディーンだった。『乱暴者』(1953年)で革ジャンにジーンズ姿でオートバイにまたがるマーロン・ブランドは,大人たちがきずきあげた権威にたいする挑戦を表わしていた。『エデンの東』(1955年)や『理由なき反抗』(1955年)で親に理解されない少年を演じたジェームス・ディーンは,おおいなる自由を手にしながらも,将来への漠然とした不安をいだいていた10代の若者たちの鬱屈した心情を代弁していた。

このように,1950年代のアメリカは,ソヴィエト連邦の脅威におびえ,共産主義の国内への浸透におびえる神経過敏の時代にあっただけでなく、空前の経済的繁栄の時代でもあった。そうした物質的繁栄にともなう商業主義や偽善に嫌気がさし,そのような社会に背を向け,それからの完全なドロップアウトを表明する者(ビート族)もいた。しかしほとんどの国民は物質的豊かさに満足していて,現状を肯定する体制順応型の人間が尊ばれた。そのようなアメリカ社会のなかにあって,明確な「異議申し立て」(protest)の声を上げたのは,奴隷解放宣言から90年以上たっても白人と同等の自由を獲得できていない南部の黒人たちであった。彼らが60年代へとつづく若者たちの運動をリードして行くのである。白人の若者のなかにも親の世代との価値観の隔たりを感じる者が現われる。1930年代という経済的不況のなかで育ち戦争を経験した親の世代と,経済的繁栄の時代しか知らないベビーブーマー世代の断絶がしだいに顕著になり,これが60年代のおおきな運動のうねりの背景となるのである。

*現代のアメリカ人は日本人と異なり「ライ麦畑でつかまえて(1951年)」よりジョン・アップダイク「A&P(1961年)」を好む。後者の方が押しつぶされそうな切実感が遥かに強烈。その間には「ロードムービー小説」として今日なお評価の高いナボコフの「ロリータ(1955年)」、そして「冷戦下におけるアメリカ国内でのロシア系移民の苦悩」と言った問題が横たわっている。
ジョン・アップダイク 「A&P(1961年)」

大嶽秀夫『新左翼の遺産』読書ノート

1950年代後半からの先進諸国における社会運動が、豊かな社会の実現によってその革新的な立場を弱めていき、資本主義の枠内で労働組合員の限られた利益を追求する圧力団体として既得権益を保守する存在となり、社会民主主義政党も福祉国家ケインズ主義路線へと軌を一にして転じた。

この転換に幻滅した人びとの間で、これまでの左派社会運動内に共有されていたブルジョア的な文化から離れて、ライフスタイルと芸術の両側面でカウンター・カルチャーへと向かう動きが形成される。この過程でジャック・ケルアックの『路上』や、ボブ・ディランにも多大な影響を与えたアレン・ギンズバーグの『吠える』などのビート・ジェネレーションが、参照点として幾度目かのブームとなった。
*この時代の米国の若者達はこうした西洋文明の行き詰まりに対する危機感から(1950年より1958年にかけてアメリカ各地で仏教思想の講義を行い、特に1952年から1957年までコロンビア大学客員教授として滞在し仏教とくに禅の思想の授業を行ってニューヨークを拠点に米国上流社会に禅思想を広める立役者となった)鈴木大拙の「日本的霊性(初版1944年)」やインドの瞑想文化へと傾倒していく。

*その一方で太陽族映画(1955年〜1956年)が海外の新左翼運動家に与えた影響というのも案外馬鹿に出来ない。

外山恒一はもともと、左翼だったのだが、左翼の運動がPC的になっていったことに反発している。PCとは「ポリティカル・コレクトネス」ということだが、「反差別」、「言葉狩り」のことである。この「反差別」運動は、一九七〇年頃に、津村喬による『われらの内なる差別』(三一新書)という本が出たことも大きな契機になっている。私はマルクス主義党派に属していたので「反差別」運動に興味はなかったが、党派に反発を持っていたノンセクト・ラジカルといわれる大学の下級生たちにおおいに読まれた。

これは一九七〇年七月七日の華青闘告発も大きな影響を及ぼしている。華僑青年同盟という、中国人の団体が日本人は中国を侵略した歴史について無自覚だとして、会議の場を退席したのである。これに対して中核派は「自主的に退席したのだからいいじゃないか」という態度をとった。この発言はノンセクト、他党派から一斉に非難を浴び、中核派自己批判し「反差別」運動、入管闘争、部落差別反対闘争などに力をいれていくようになる。

《“差別問題”というのはキリがありません。差別に反対し、実際に反差別運動に熱心に関わり、自らの無自覚な差別性をも克服する努力をどこまで続けても終わりがないんです。》

《華青闘告発を普通の意味で受け入れて反省してしまうと、「反日武装戦線」に志願するか、中途半端なところで妥協してPC左翼になるしかないんです。》

青いムーブメント(5〜7) (ファシズムへの誘惑・ブログ 2006年04月07日)

この運動(八二年の反核運動)は一面としては----というより主として何よりも、戦後左翼運動の断末魔の叫びであり、終焉の合図であった。この運動には、社会党共産党のいわゆる「旧左翼」から、六〇年代以降に誕生した「新」左翼諸党派や全共闘の流れを汲む無党派市民運動まで、日本に現存するほぼすべての左翼が大同団結し、最終的には二千万だか三千万だかの署名を集めるほどの反核世論の高揚を生み出したという。東京や大阪では、五十万だかの反核集会を実現した。量的には全共闘以来といえる左翼運動のこの突然の高揚は、実は最低の質と表裏をなしていた。

戦後一貫して革命的左翼とともにあった思想家・吉本隆明は、このとき反核運動を徹底批判する挙に出て、以後少なくとも左翼運動の実践の場からは吉本派の姿は一掃されたと云ってよい。吉本隆明反核運動に敵対した反動思想家であるというレッテルは、現在に至るも左翼運動の世界で一般的に流通している。

吉本隆明が云ったのは、簡単に云えば以下のようなことだ。「反核」などという、誰も表立っては反対できないような「わかりやすい正義」をふりかざすようになったら、もはや左翼もおしまいだ。

共産党新左翼諸党派はそもそも単純な正義をふりかざすのがアイデンティティのようになっているのだから仕方ないとしても、あのラジカルな全共闘直系の無党派市民運動までもが、吉本隆明によるこのそれこそあまりにも単純でわかりやすい批判を、まったく理解できないまでに頽廃を極めていたのである。もっとも、その程度の感性あるいは思想的誠実さを持ち合わせているようなまともな人間は、この十年前の連合赤軍事件に深刻な衝撃を受けてとっくに左翼の実践運動とは一線をおくようになっていたということかもしれない。
*江戸幕藩体制下、都市(それも吉原の様な楼閣)中心に発展してきた天明狂歌の世界が大衆化によってその品質を急激に低下させていったプロセスを連想させる。

*いずれにせよ日本における大衆と新左翼運動の関係は1969年を契機に大きな変遷を経験した。この流れにトドメを刺したのが「よど号ハイジャック事件(1970年)」「山岳ベース事件(1971年〜1972年)」「あさま山荘事件(1972年)」などであった。要するにそれでも離れなかった人間だけが新左翼運動に残り旧左翼連合との野合達成に生き残りを賭けたのだとも。しかしそこまでして彼らが守り通そうとしたのは、実際に守り通せたのは一体なんだったんだろうか? ちなみに米国リベラル階層については既に「彼らは自らの良心(というより「自分は良心的に振る舞い続けてきた」なる信念)以外に何一つ守れなかったし、もはやそれ以外何も守ろうとしなくなった」と裁定されている。まぁFacebook拷問実況事件に関連してストリートギャングまがいの黒人急進派から「本当に人類平等の理念を達成したかったら、弱者たる我々にも襲いやすい身障者や女子供から差し出せ」と恫喝され「彼らの主張にも一理ある」と頷いてしまった時点で完全にチエックメイト…

東大安田講堂陥落(1969年1月)と、その後処理に伴う東大受験の中止があった年、TVの娯楽番組は大幅な変革に着手した。

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  • 白土三平の忍者アワー」の突然の打ち切りとアニメ版「サザエさん(1969年〜)」の放映開始。
  • 学習誌が「冷戦を背景に世界滅亡危機を煽るSFジュブナイル小説」の代わりに藤子不二雄ドラえもん(1969年〜)」などの連載が開始される。
    http://img02.hamazo.tv/usr/ares/CA3F01820001.jpg
  • 股旅物の人気凋落を受け、TV版最終回にテキ屋の主人公を殺したら苦情が殺到し、そのフォローとして映画版「男はつらいよ・シリーズ(1969年〜1998年)」が封切られる。

一般には「当時のメディアは(安田講堂陥落と東大受験中止の報道に接して)急激に保守化した視聴者の趣向に対応すべく、慌てて改変を行った」と説明される事が多い。そしてこの年に始まる「サザエさん」や「ドラえもん」や「男はつらいよ・シリーズ」は、どれもその後ずっと続く長寿番組へと成長していく。

*特に「山岳ベース事件(1971年〜1972年)」や「あさま山荘事件(1972年)」は、日本の新左翼運動にとってヒッピー運動における「オルタモントの悲劇(1969年)」や「シャロン・テート虐殺事件(1969年)」や「ガイアナ人民寺院集団自殺事件(1978年)」に該当する自打球。そしてさらに「ポルポト政権(1976年〜1979年)によるホロコーストの表面化」や「中越戦争(1979年)」により共産主義国家に関する諸幻想も崩壊の一途を辿る。

*そして「左翼」の凋落は「実は人類とは地球というエコ・システム全体から俯瞰した場合、一刻も早く全員が取り除かれるべき害虫に過ぎないのではあるまいか?」なる恐るべき実存不安に対して「戦争や原発さえ全廃すれば人類全体が救済される」「鯨や海豚などとの共存共栄が人類を次の進化段階に導く」「人類の平等と平和の理念は、先天的ナチス民族たる日本人が(今はその悪逆極まる野蛮な日本人の手によって国際社会において弱者の地位を強いられてる真の優性民族たる)中国人や朝鮮人に一人残らず全財産を奪われ尽くし、輪姦され尽くし、殺戮され尽くす事によってのみ達成される」といった安直な処方箋しか切れなくなった時点で決定的なものとなってしまう。そして2010年代に入ると、とうとう「世界中が人道的立場からヒトラー安倍とナチス自民党とその支持者たるネトウヨ狂信者の日本における一族郎党ごとの殲滅を願ってる」と主張するパヨクの「安倍しね教」のシュプレヒコールへと集約していく末期的状況に陥ってしまうのである。

つまり左翼陣営は科学的マルクス主義の様な全体を統括するシステムを遂に再建出来ず、最後まで政治闘争の現場に残ったのは「安倍しね」といった氏族党争(Clan War)的スローガンの連呼という形でしか団結出来ない空疎で分裂し切った自浄力のない烏合の衆ばかりと成り果ててしまった。最近は「こんな希望のない国から一刻も早く出て行きたい」なる主張も目立つが、そうした動きも米国リベラル階層と重なる。

要するに全ての背景のあったのは、自分達の成功も失敗も「事象の地平線としての絶対他者を巡る黙殺・拒絶・混錯・受容し切れなかった部分の切り捨てのサイクル」に振り回されてきた現実を認められず「自分達は常に正し考え方に従って正しく歩んできた」と信じ続けたい狭量さだったとも。そして本当にそれしかもう守るべきものがなくなってしまったという次第。

*「人類の平等と平和の理念は、先天的ナチス民族たる日本人が(今はその悪逆極まる野蛮な日本人の手によって国際社会において弱者の地位を強いられてる真の優性民族たる)中国人や朝鮮人に一人残らず全財産を奪われ尽くし、輪姦され尽くし、殺戮され尽くす事によってのみ達成される」…現在進行形で「植民地時代に英国の手先として君臨していたロヒンギャ(Rohingya people)に加えられている仕打ちそのものであり、だから日本のリベラル階層もイデオロギー的立場から表立って反論出来ず絶賛黙認中とも。

*ちなみに米国における(次第にストリート・ギャング文化と密接な関係を持つに至った)黒人運動急進派や、(祖国の独裁者に忖度する)南米の反米派の主張も50歩100歩。もしかしたら「支配階層に対するルサンチマン」全てがそういう結論に至る事を宿命づけられているのかもしれない。

*無政府主義的立場(より正確には労働組合を重視するアナルコ・サンディカリスム ( Anarcho-syndicalism)的立場)から出発したソレル「暴力論(Réflexions sur la violence、初版1908年)」は(野蛮で破壊的な)支配階級による上からの権力(フォルス)を絶対悪、(世界を救う創造的な力たる)被支配階級の下からの暴力(ビヨランス)を絶対善として描いたが、ここで肝心なのは「既に弱者の立場を脱して権力に到達したマイノリティ」をもそのままマイノリティとして扱い続けたら論理的に破綻してしまうという点。それでもあえてソ連スターリニズムやイタリアのファシズムやドイツのナチズムやイスラエルシオニズムは「政権奪取など所詮は世界を救うビヨランス遂行の始まりに過ぎない」という立場に立ち政権奪取後も絶地善の立場に止まり続けようとし、これが20世紀の新しい潮流となる。そもそも「事象の地平線としての絶対他者を巡る黙殺・拒絶・混錯・受容し切れなかった部分の切り捨てのサイクル」においては、例えばかつて新興産業階層そのものが「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制を脅かす害虫」として隙あらば全財産を奪い尽くされ、輪姦され、私刑で処刑される存在だったりする。ところが「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制」衰退後はこのブルジョワ階層こそが太古の昔から全ての元凶だった事にされてしまう。

ロヒンギャがあえてマイノリティに分類されず、むしろ他のマイノリティの人権を脅かす存在として地上から抹殺されつつあるエピソードもまた、問題構造的にはナチス台頭、すなわち(第一次世界大戦におけるドイツ帝国敗戦を契機に窮地へと追い込まれ)本国ドイツ人や欧州中のドイツ移民の間に自分達が滅ぼされつつあるマイノリティ意識が浸透し、仮想敵としてユダヤ人が想定されていくプロセスと相似形にある。またイスラエルの対アラブ強硬路線も、現在ではイスラエル国民の過半数を占めるに至ったセファルディムユダヤ人(アラブ諸国より無一文で追放された貧困層)の復讐心に支えられているという。この様に近年では、むしろこういう風に「(対立勢力殲滅による)民族対立問題の最終的解決」を目指す「ビヨランスを偽装したフォルスの蔓延」こそが民族問題の最重要課題となりつつあるとも。そしてその背景にはさらに大きな「リベラル階層のナチス」なる構造的変化が透けて見える。

*本当の革命家なら「永遠の革命家オーギュスト・ブランキの如く「革命家とは勝利と無縁な存在。例え体制転覆に成功しても、その瞬間から新たなる反体制派への弾圧が始まるだけだから」くらいの諦観は備えるべきであり、そうした覚悟だけがこの悪循環を断つのに役立つ。皮肉にもカール・マルクスフォイエルバッハ神学から継承して「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」なる発想の飛躍に到達した人間解放論(上部構造論)は自体はあくまで無政府主義的立場に立脚するので、民主集中制に立脚する科学的マルクス主義に継承される事はなかった。

*一方「マルクスの人間解放論(上部構造論)」は、この考え方が最初に発表された「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」を共同出版したラッサールに継承され社会民主主義の理念を基礎付ける展開を迎えたとも。

フェルディナント・ラッサール(Ferdinand Johann Gottlieb Lassalle、1825年〜1864年)「既得権の体系全2巻(Das System der erworbenen Rechte、1861年)」の概要

豊富な法知識を駆使した私有財産概念の推移を巡る論文。http://g01.a.alicdn.com/kf/HTB1qWgCIFXXXXa0XpXXq6xXFXXX3/%E7%A7%81%E6%9C%89%E8%B2%A1%E7%94%A3%E7%AB%8B%E3%81%A1%E5%85%A5%E3%82%8A%E7%A6%81%E6%AD%A2%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3%E8%A3%85%E9%A3%BE%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC-%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3%E9%87%91%E5%B1%9E%E3%82%B9%E3%82%BA-%E3%81%AE-%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC-%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0-%E3%83%87%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96-%E3%83%91%E3%83%96-%E3%83%90%E3%83%BC-%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3.jpg

法律制度は特定時における特定の民族精神の表現に他ならない。この次元における権利は全国民の普遍精神(Allgemeine Geist)を唯一の源泉としており、その普遍的精神が変化すれば奴隷制、賦役、租税、世襲財産、相続などの制度が禁止されたとしても既得権が侵害された事にはならないと説く。
普遍精神(Allgemeine Geist)…一般にルソーがその国家論の中心に据えた「一般意志(volonté générale)」概念に由来する用語とされるが、その用例を見る限り、初めてこの語を用いたD.ディドロの原義「(各人の理性のなかにひそむ)法の不備を補う正義の声」、あるいはエドモンド・バーグの「時効の憲法(prescriptive Constitution、ある世代が自らの知力のみで改変する事が容易には許されない良識)」を思わせる側面も存在する。
http://gutezitate.com/zitate-bilder/zitat-der-allgemeine-geist-der-gesetze-aller-lander-hat-sich-unverkennbar-die-aufgabe-gestellt-stets-jean-jacques-rousseau-127064.jpghttp://gutezitate.com/zitate-bilder/zitat-die-alleinige-quelle-des-rechts-ist-das-gemeinsame-bewusztsein-des-ganzen-volkes-der-allgemeine-ferdinand-lassalle-241770.jpg
その結論は「一般に法の歴史が文化史的進化を遂げるとともに、ますます個人の所有範囲は制限され、多くの対象が私有財産の枠外に置かれる」という社会主義的内容だった。
http://ecx.images-amazon.com/images/I/51--qN-HuDL.jpg
すなわち初めに人間はこの世の全部が自分の物だと思い込んでいたが、次第に漸進的にその限界を受容してきたとする。http://pds.exblog.jp/pds/1/200709/24/21/a0071221_2303163.jpg
神仏崇拝とは神仏の私有財産状態からの解放に他ならない。
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農奴制が隷農制、隷農制が農業労働者へと変遷していく過程は農民の私有財産状態からの解放に他ならない。
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ギルドの廃止や自由競争の導入も、独占権が私有財産の一種と見做されなくなった結果に他ならない。
http://mujaki666.up.n.seesaa.net/mujaki666/image/gahgahga.bmp?d=a0

そして現在の世界は資本家と労働者の富の収益の再分配はどうあるべきかという問題に直面する事になっている。
http://blog-imgs-64.fc2.com/g/i/a/gia44/fedora.jpg
こうした思考様式は「ハノーファー王国(1714年から1837年にかけて英国と同君統治状態にあり、普墺戦争(1866年)に敗れてプロイセン王国に併合されるまで存続)」経由でドイツが受けてきた英国からの影響の総決算とも目されている。

*実際、マルクスの著作はダーウィンやスペンサーの進化論(というよりその亜種たる「民族生物学」)の影響を色濃く受け階級論争(偽りの現実を否定するグノーシス主義)ばかりではない。そして1960年代に入ると西欧の共産主義者の間では(ソ連を席巻するスターリニズムを批判する立場から)マルクスの著作からそういう部分のみを丁寧に拾い集めたアルチュセールの「重層的決定」論などがもてはやされる展開を迎える。マルクス主義経済学者しか知らない「もう一つの1960年代〜1970年代」?

*「偽りの現実」…マルクス元来の仮想敵は資本主義化した英国社会そのものというより、連邦国家化が進んで王侯貴族や聖職者の権威主義が健全な新興産業階層の成長が妨げられていた一方、収入制限選挙にかこつけて既得権益の墨守にしか関心がないブルジョワ階層が帝国議会を牛耳っていたハプスブルグ帝国だった筈なのだが、英国に亡命して以降この辺りの軸足がブレてくる。

*そして遂に「イタリア共産党の父」アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci、1891年〜1937年)がムッソリーニによる投獄を契機に「各国において共産主義がどういう展開を遂げるかは市民社会の成熟度によって異なる(欧州諸国がソ連や中国様な共産党独裁体制に移行する展開なんて考えられない)」なる結論に到達してしまう。

アルチュセール(Louis Pierre Althusser、1918年〜1990年)

第二次世界大戦後、各国の共産主義を取り巻いていたマルクス主義ヒューマニズムの風潮に、アルチュセールは警鐘を鳴らした。彼の目するところ、それは凄惨な粛清を生んだスターリン主義と地続きのものであったからである。またそこには「若きマルクスの疎外された主体性の奪還」というテーマですべてを語ろうとする傾向も見受けられた。そうではない。マルクスのもっと重大な発見は、別なところにある。若きマルクスはその時代の学問的風潮に未だ捉われていたのであり、『ドイツ・イデオロギー』を境目として、真に彼独自の思想が展開されるのだ。アルチュセールはそう考えた。これが、「認識論的切断」のテーゼとなる。

789夜『経済学・哲学草稿』カール・マルクス|松岡正剛の千夜千冊

こうして1960年代のマルクス主義経済学を牽引したアルチュセールの説くところ、マルクス独自の思想は、ヘーゲル的なプロブレマティック(問題系、問題設定)を脱するところに開花する。ヘーゲルにおける「現象」と「本質」の関係、単一の内的原理から社会を説明する方法を、マルクスはひっくり返す。それも、ただひっくり返すのではなく「現象‐本質」という前提(プロブレマティック)そのものを問い直し「(経済的)土台による規定と上部構造による反作用」という別な問題を提示する。こうして社会の一元的な規定原理なるものを想定しない「重層的決定」の概念が登場し、レギュラシオン理論(仏 théorie de la régulation)などに影響を与える。

その後、ドゥルーズ=ガタリが『アンチ・オイディプス』では、アルチュセールが生産を構造論的劇場的表象で示そうとしたことを批判、諸機械として捉えることを提唱して理論としてさらに先鋭化させた。
*かくしてスコラ学的因果連鎖意識に拘束された機械論的(Mécanique)世界観から、仏教的「縁起論」に足を踏み入れた機械状(Machinique)世界観への推移が始まるのである。

レギュラシオン理論(théorie de la régulation)

1970年代にロベール・ボワイエ、ミシェル・アグリエッタのようなフランスの官庁エコノミストたちによってつくられた経済学の理論。英語と異なり「規制」の意味ではなく「調整」の意味で用いられている。

ここでいう「調整」は労使間の賃金交渉(個人交渉/団体交渉)、年金・医療等の社会保障、政府による裁量的財政・金融政策といった、社会全体を通じた経済主体間の利害調整のあり方を示しており、政府による「規制」のみを単純に示すものではない。「レギュラシオン」を「規制」ととらえ、「規制緩和」に反対し、政府による「規制」を重視する立場とするのは誤解である。ちなみに「調整」という概念を最初に使用したのはグルノーブル大学教授のジェラール・ド・ベルニス(Gérard Destanne de Bernis)である。

レギュラシオン理論ではマルクス経済学の立場を継承し、経済は賃労働関係を重要な柱とする生産体制(「蓄積体制」)により規定されると考える。ただし、マルクス経済学においては下部構造である「蓄積体制」に応じて、社会保障制度・経済政策といった上部構造である社会制度が一方的に規定されると考えるのに対して、レギュラシオン理論においては、ある蓄積体制は、その蓄積体制に応じた経済・社会制度(「調整様式」)が成立し、その調整を受けることで初めて十分に機能すると考えられており、蓄積体制と調整様式の関係は相互的ないしは補完的である。これは政府の機能を重視したミハウ・カレツキやケインズ経済学の影響によるものと考えられるが、蓄積体制が経済におけるもっとも本源的な要素であるとする立場自体は変わらない。

この考え方で1920年代~1960年代の資本主義を俯瞰し、1920年代までは熟練労働・低賃金・生産部門生産中心を特徴とする「外延的蓄積体制」が、自由競争市場を前提とした「競争的調整様式」によって調整されていたとする。また、アントニオ・グラムシの「フォーディズム」に基づき、調整様式にボルボイズムやトヨティズムを加えた。

この理論は、一般均衡理論の批判から始まり、ルイ・アルチュセール構造主義批判、ピエール・ブルデューハビトゥス概念の吸収など、新たな理論の構築を目指している。経済理論の構築にあたっては、経済モデルとしての操作性が高い「中理論」の構築を目指し、モデルのミクロ経済学的基礎付けについては消極的である。これに対してはモデル構築がアド・ホック(特定目的的)だとする批判もある。

1970年代にフランスで生れた新しいラディカル経済学の一派で,M.アグリエッタ,R.ボワイエを中心とする学派。マルクス主義,新リカード学派からの影響を強く受けている。主なテーマとして,スタグフレーションから生じた 70年代以降の経済変動を解明するため,「再生産」可能な経済構造という観点から外的ショックに対して経済構造,利益集団,階級といった経済の枠組みがどのように変化・行動し,調整 (レギュラシオン) されていくかを歴史的,構造的に解明しようとする。 70年代を停滞の時代としてとらえ,フォード主義的蓄積体制の行き詰まりをその一つの要因と考える。

「レギュラシオン理論」とはなにか:Internet Zone

彼らは、自由競争段階と独占段階という、レーニンが「帝国主義論』で明らかにした科学的社会主義理論にもとづく資本主義の段階規定を否定して、これまでの資本主義を「外延的蓄積体制」と「内包的蓄積体制」(「フォード主義的蓄積体制」ともいう)との二つに区分して、つぎのように説明する。

彼らの説明によれば、「外延的蓄積体制」とは、一九二〇年代までの資本主義のことである。そこでは、機械制大工業はすでに成立しているが、熟練労働は解体されず、労働者の自律性がのこっている。賃金は最低水準で、労働者の生活過程(消費)には資本主義的商品はそれほどはいりこんでいない(彼らは、これを資本による労働の「形式的包摂」とよぶ)。そのため、第2部門(消費手段生産部門)はあまり発展せず、第1部門(生産手段生産部門)が一方的に発展する。これが「外延的蓄積」である。そこでの「調整」は、もっぱら市場における競争をつうじておこなわれるので、「競争的調整様式」と呼ばれる。

これにたいし、第二次世界大戦後の現代資本主義は、「内包的蓄積体制」あるいは「フォード主義的蓄積体制」とされる。彼らは、現代資本主義の生産様式を「フォード主義」と呼んでいるが、それは、アメリカで一九二〇年代の産業「合理化」運動から一般化したフォード・システムのことである。テーラーが考案した「科学的管理法」(「標準作業」と「作業方法」を定めて、管理者の命令どおり労働者を働かせる方法)とベルト・コンベアーをもちいた流れ作業とを結合したフォード・システムは、大量生産を実現するとともに、コンベアーの運転速度を管理することなどによって資本家が労働規律を掌握し、労働の密度をつよめ、搾取強化を実現することを可能にした。

同時に、レギュラシオン学派は、「フォード主義」を、資本による労働者の生活管理、あるいはそのためのさまざまな社会制度までふくむものとしている。

「フォード主義」は、熟練労働や労働者の伝統的生活様式を解体し、労働者の生活は資本主義的商品を消費するものになる(彼らはこれを、資本による労働の「実質的包摂」とよぶ)。そして、労働者のあいだに大量消費の「ノルム(規準)」が確立される。「調整」の中心は、労働組合の公認と団体交渉による賃金の決定、および社会保障制度による「間接賃金」の発展で、これによって労働者に一定の高賃金が保障され、大量消費が可能になった、と彼らは説明する。他にも、寡占的な競争体制、管理通貨制度や信用制度の発展、政府による経済介入などがあげられている。これらは、市場の外部で決定される「調整」なので「独占的調整様式」と呼ばれる。「独占的調整」の結果、第2部門も第1部門と並行して発展する。これが、彼らのいう「内包的蓄積」である。

このような前提にたって彼らは、今日の資本主義経済の「危機」は循環性の経済恐慌ではなく、「フォード主義的蓄積体制」そのものが限界にたっしたことによる「蓄積体制」そのものの「危機」である、と主張する。すなわち、「フォード主義的蓄積体制」がつづくなかで、生産性上昇率そのものが低下し、同時にそれを上まわるような労働者の賃金要求や、産業化、都市化にともなうさまざまな社会的コストの増加が生じたことが「危機」の原因とされているのである。
*要するに自動車工場の工員が自家用車の購入ペースまで管理されてる神山健治監督映画「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜(2017年)」の世界?

*それまで「生産手段が社会構造を決定する」下部構造論に拘泥してきたマルクス経済だが、1970年代に入ると「労働者の消費活動」も視野に入れる様になる。しかし時代は既にTV番組と(これに対抗すべくエログロ要素や大予算スペクタクルにシフトした)映画産業が視聴者や観客の物欲を煽り立てる構造に推移しており、周回遅れの感は免れない。ちなみに「売価ゼロを目指して(人件費や設備投資も含む)原価を限りなくゼロに近づけていく狂った松下幸之助水道哲学」に導かれた日本のデフレ・スパイラルは「輸出を続ける形でしか生産規模を保てない」悪循環に陥っていたこの時代まで遡る とする説も。

*その一方でインターネット普及もあって伝統的諸概念の多くが存続不可能となり「多様性と多態性の時代(1990年代〜)」が本格的に始まってしまうのである。

新井詳「中性風呂へようこそ(2007年)」より

どうして父親は娘から嫌われるのか?

①昭和型マチズモ
*1978年当時の子供達の憧れはTVや漫画の不良で、みんな真似してた。子供にとって大人とは「何をしても痛がらない存在」で、虐め方も「言葉・力・人数の統合芸術的虐め」。「今の方が精神を傷付ける言葉を使うので昔より過酷」というが、当時は至る所で喧嘩が行われて鋳たので目立たなかっただけ。「子供は喧嘩するもの」と思われていた。

  • 男も女も「(不潔さ、ペチャパイといった)性別的弱点」をモロ出しにするのが「人間味溢れる演出」として流行。
  • 中性的な人やオカマを酷く嫌う。オカマは大抵不細工に描かれ、迫られて「ギャー」というギャグが頻発。
  • 美形でお洒落な男は大抵気障で鼻持ちならない役。

②バブル世代特有の(トレンディドラマ的)「男の幸せ」「女の幸せ」のくっきりしたキャラ分け。
*「そんなに男が女より強くて偉くて選ぶ権利がある世界の女ってすっごくつまらない」「なら男になった方がマシ」とか言い出す

  • 恋愛決め付け論「女の人生は男で決まる。御前も何時かいい男をみつけて可愛がってもらうんだぞ」
  • 美男に否定的「ヒョロクテ弱そうな男だ。女みたい」
  • 処女崇拝「(飯島愛を指して)こんな風になったらオシマイだぞ! 傷モノになるなよ!」
  • 母づてに聞かされる「新婚早々、浮気されて苦労したのよ。お父さんもなかなかやるでしょ?」
  • ホモやオカマを極端に嫌う(これ男? 気持ち悪っ!!)
  • 役割決定論「ボタンつける練習するか? 将来彼氏につける練習に…」

要するにどちらも1960年代までは確実に全国規模で根を張っていた(家父長権威主義を含む)戦前既存秩序の残滓。1990年代以降には通用しない。

*かくして21世紀に入ると科学的マルクス主義がすっかり力を喪失する一方、「リベラル階層のナチス化(ソルス「暴力論」の用語で言うところの「ビヨランスを偽装したフォルスの蔓延」)」が国際的に展開される様に。

*こうして1950年代から2000年代にかけての半世紀に渡る推移を俯瞰してみると不思議な事に気付く。世代交代を経ながら米国の「黄金の1950年代」や日本のネオ封建主義が産んだ生活保守グループが何時の間にか国際的に(おそらくは新左翼運動が敗退した1970年代前後を界に)都心部のリベラル階層にシフトしちゃっているのである。

*そして改めて「置き去りにされて消耗し尽くした田舎の人々」が可視化される展開に。

*こうした形での正義と悪の概念上の混錯は早くも横山光輝原作の特撮TVドラマ「ジャイアント・ロボ(1967年〜1968年)」やアメコミ界における「アンチヒーローウルヴァリンの誕生において見られ、あえてその全てに目を瞑った1980年代には大友克洋AKIRA」「ひと昔の人間が怖くて慌てて地中深くに埋めて忘れ去ろうとした黒歴史」なる新たな表現形態を得る事に。ある意味上遠野浩平ブギーポップ・シリーズ」の「主人公」ブギーポップもまた、同種の闇の向こう側から現れたとも。「事象の地平線としての絶対他者」は、その出現経路を塞がれれば塞がれるほど想定外の現れ方をする様になるものなのである。

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ところで「天才バカボン」におけるバカボンパパの口癖「これでいいのだ」の元ネタは、黒澤明監督映画「悪い奴ほどよく眠る(1960年)」における「これでいいのか!?」だったりします。

黒澤明監督映画「悪い奴ほどよく眠る(1960年)」カスタマーレビュー

汚職事件に絡み、親を失った息子が復讐を企て、汚職事件の告発を試みる。
しかし、息子の復讐は失敗に終わる。純粋な正義は抹殺されて終わる。
そして、汚職事件はなくならない。悪い奴が良く眠る世界が続く。

「何もかもが、恐ろしく簡単で、醜悪だ。
 ちくしょう。だけど、俺には何もできない。俺にはどうにもできない。
 これでいいのか。これでいいのか!」

善良なだけの人間は、悪い奴に利用されて、捨てられる。
善良なだけの人間は弱い。勝負は弱い方が負ける。
「俺は悪になりきれないんだ。だから、こうして憎しみの気持ちが消えないように工夫しているんだ。」

優しいだけでは、非情に徹する勇気すら出てこない。
善悪の両方を抱え込んだ人間。
悪に徹底的に強く、善にも徹底的に強い人間。
悪を知っただけで、気絶しているようでは話にならない。

この映画には、様々な立場の人間が登場する。
この映画を見る人も、必ず誰かの立場に該当する。
見事なまでに描き切ってる。

その一方でこの「悪い奴ほどよく眠る」なる作品、ヒッピー世代を狙った「アメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)映画」を終わらせた南イタリア勢の嚆矢、すなわちフランシス・コッポラ監督映画「ゴッドファーザー(The Godfather、1972年)」にも多大な影響を与えた事でも知られています。

作品の出来栄え自体は明らかに「ゴッドファーザー」の方が上。なにしろ三船敏郎演じる復讐鬼とその相棒の人物的掘り下げがまるでなってないせいで最後の決め台詞「これでいいのか!!」が「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐Star Wars: Episode III Revenge of the Sith、2005年)」ラストにおけるダースベーダー卿の魂の叫び「Noooooo!!」と同じくらい滑ってしまっているんです。赤塚不二夫が「これはギャグに使える」と閃いてしまったのも致し方ないところ…

*「人物的掘り下げがまるでなってない」…正直、黒澤明監督も三船敏郎高木彬光原作映画「白昼の死角(1959年、角川映画化1979年)」の光クラブ・メンバーとか栗本薫原作映画「キャバレー(1986年)」に登場するヤクザ滝川(鹿賀丈史)みたいな角川フィルム・ノワールみたいな種類のナルシスティックな描き込みは苦手かも。なまじこのコンビで「酔いどれ天使(1948年)」とか「野良犬(1949年)」とか「天国と地獄(1963年)」といったハードボイルド現代劇の傑作もサクッと残してるので庇うに庇えない…その黒澤明監督をこよなく敬愛するフランシス・コッポラ監督ですら「ゴッドファーザー」における該当人物を「実際にはただの無能なクズだった」と解釈する事で作品世界を安定させたという次第…


*ここで思い出すべきはむしろ「放射能神経症」に感染して発狂していく老人に扮した三船敏郎の怪演が海外にまで伝わった「いきものの記録(1955年)」とも。

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*こうして全体像を俯瞰してみると高度成長期特有の自己肯定感にぴったり嵌って流行語となった赤塚不二夫漫画「天才バカボン」のセリフも決して軽い御巫山戯ではない。当時は誰もがあえて見過ごす道を選んだ不条理について、当時なりに可能な形で「告発」自体はちゃんと為されているのである。

筋肉少女帯「これでいいのだ」歌詞

こういう次第なので、インターネットの現状だってこれでいいのだ?