ところで欧州においてハツカネズミはヴァイキングの遠征と一緒に広まっていった様です。つまりカール大帝の時代にはまだそんなに広くは分布していなかった?
ハツカネズミは人間との共生能力に優れ、おそらくは一緒に暮らすように共進化してきたと考えられる。両者が共に生活していた最古の記録は、中東地域の「肥沃な三日月地帯」で確認されており、紀元前8000~6000年にまでさかのぼる。
ジョーンズ氏は、「ハツカネズミの遺伝子の歴史をたどることが可能になった。人の移動に伴う遺伝子の伝播とも密接につながっている」と説明する。
研究チームはミトコンドリアDNA(mtDNA)の特定の部分に着目。mtDNAは母親から子どもに受け継がれる特性を持っている。さまざまな地域から集めたハツカネズミを比較した結果、血縁関係が判明した。
このデータをつなぎ合わせて作成した系統樹によって、過去数千年の間にハツカネズミがヨーロッパ全土にどのように広がっていったのかを理解できる。「その広がり方は、バイキングが版図を拡大する経路と一致した」とジョーンズ氏は話す。「ハツカネズミの伝播は人間のそれと表裏一体なのだ」。
バイキングがこの“無賃乗客”に気付いていたのかどうかは不明だ。「ただし、猫を乗せていたという記録は残っている」とジョーンズ氏は述べる。
「アイスランドやグリーンランドには、ほかに迷惑な小動物はいなかった。ハツカネズミ対策として連れて行ったことは間違いない。 たくましいハツカネズミは、新しいバイキングの居住地で自分たちの居場所を楽々と見つけていただろう」。
ならば猫は?
研究者らは、古代ルーマニアのネコの死骸からエジプトのネコのミイラ、現代アフリカのヤマネコに至るまで、過去9000年間に存在した200匹以上のネコのDNA調査を行った。6月19日付けの学術誌「Nature Ecology & Evolution」に発表された論文によると、現代のイエネコにつながる系統は、主にふたつ存在するという。
ふたつの系統のうち、より古い方の祖先は、紀元前4400年頃に西南アジアからヨーロッパへと拡散した。ネコは紀元前8000年頃からティグリス川とユーフラテス川が流れる中東の「肥沃な三日月地帯」の農村周辺をうろつくようになり、そこでネズミを退治したい人間たちと、互いに利益のある共生関係を築いていった。
ネズミは、人間の文明が生み出す穀物や農業の副産物に引き寄せられる。ネコはネズミの後をついてきた結果、人間の居住地域に頻繁に近づくようになったのだろう。
「おそらくはこれが人間とネコとの最初の出会いでしょう」と語るのは、論文の共著者であるベルギー、ルーバン・カトリック大学のクラウディオ・オットーニ氏だ。「人間がネコを捕まえてきて檻に入れたわけではありません」。つまり人間は、いわばネコが自ら家畜化するのを、ただ好きなようにさせておいただけということになる。
猫神様の多いエジプトよりメソポタミアの方が先だったとは…そういえば猫の渡来が遅れた日本ではまず「蛇」が鼠狩りの主役として重宝される様になり、猫はこれと戦いながら全国へと伝播していったとされてます。
日本に蛇をめぐる伝承、さらには蛇と猫が戦う伝承が多いのはこういう歴史に由来しているんですね。