諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

グレイテスト・ショウマン観てきました⑤ これは「プロパガンダの基本」バーナム効果の実践映画?

18世紀後半,イギリスに誕生した近代サーカスは,19世紀半ばになるとアメリカにおいても盛んになってくる。その中心人物は,アメリカの歴史上最大の興行師といわれるP.T.バーナムである。しかし,舞踊史上最大の興行師であるディアギレフについて語られるのとはちがい,バーナムに対しては舞台芸術オーガナイザーとしてある種のリスペクトをもって語られることがない。

(なにしろ)バーナムが大成功するきっかけとなったのは,いわゆる「奇形」見世物なのである。つまりその時代に人体の「奇形」とされるものを見世物にするという,現在から見ればきわめて差別的な意図が根底にある。人権という意識が国際的にも広く流布している現在,この種の慣習はほとんど見ることができない。ただしこれは姿形を変えて「フリークショー」とかサイドショーと呼ばれるものとして数こそ少ないが残存している。1870年代バーナムはこのような「奇形」見世物と動物芸,それに加えて人間のアクロバットを統合し,他の小さなサーカス団吸収して自分のサーカスと合体させ,これが文字通りの「地上最大のショー」(The Greatest Show on Earth)に発展してゆく。

こうして全体像を俯瞰してみると「グレイテスト・ショウマン(The Greatest Showman、1017年)」は「サーカスの創始者」P.T. バーナムの伝記が原作というより、「バーナム効果をサーカスを支える精神として採用した場合の展開例」として捉えるべきなのかもしれません。

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バーナム効果(Barnum effect) - Wikipedia

誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる性格だと捉えてしまう心理学の現象。

1956年にアメリカ合衆国の心理学者、ポール・ミール(P.E.Meehl)が、興行師 P・T・バーナムの "we've got something for everyone"(誰にでも当てはまる要点というものがある)という言葉に因んで名付けた。アメリカの心理学者バートラム・フォア(Bertram Forer)の名をとってフォアラー効果(Forer effect)ともいう。

被験者に何らかの心理検査を実施し、その検査結果を無視して事前に被験者とは無関係に用意した「あなたはロマンチストな面を持っています」「あなたは快活に振舞っていても心の中で不安を抱えている事があります」といった診断を被験者に与えた場合、被験者の多くが自分の診断は適切なものだと感じてしまうが、この現象を「バーナム効果」と呼んでいる。

 ああ、これ完全にシグムント・フロイトシェイクスピア史劇「リチャード三世(The Tragedy of King Richard the Third、初演1591年)について指摘した「どうして奇形の愚痴が万人に共感可能なのか」に関する理論的説明そのもの。

シグムント・フロイト「精神分析の作業で確認された二、三の性格類型(1916年)」

シェイクスピアの『リチャード三世』の冒頭のモノローグモノローグで、後に王となるグロースターは、こう呟いている。

 だがこのおれは、このようなやさごとには生れつき向いていないし、
 自惚鏡に向って骨を折るようにできていない。
 おれは下手くそな刻印を押された出来損いの貨幣だから、
 流し目ですまして歩く女の前に出かけてゆくほどの心臓がない。
 そんな均整というものを切り取られているこのおれは、
 あの「自然」の女神に、ついだまされて、
 かたわで、未完成で、月たらずのままで、
 ほとんど半分もでき上らぬうちにこの世に送り出されたのだ。
 こんなに不恰好で、およそ浮世離れの姿をしているので、おれが
 跛(ちんば)をひいてそばを通ると、犬のやつめはおれに吠えかかる。
 ……[中略]
 こんな巧言令色の軟弱な時代を、楽しく暮らすような色男には、
 おれは絶対になれっこはないのだから、
 おれは決心した。いっそのこと、悪党になってやる、
 そしてこのごろのあのつまらぬ楽しみを呪ってやる

一読しただけでは、この台詞がわたしたちのテーマとどう関係があるのか、分かりにくいかもしれない。リチャードが言おうとしているのは、たんに次のようなことだと思えるかもしれない。「この軟弱な時代にはうんざりした。少し楽しんでやろう。だが醜い姿のために色男になることはできないから、悪人の役を演じてやろう。陰謀を企て、殺人を犯し、そのほか、好きなことをやってやろう」。

しかしこのような浅薄な動機づけでは、その背後に真面目なものを隠していないかぎり、観客のうちには共感のかけらも生みだすことはできないだろう。そして観客に共感を生みだすことができなければ、この作品は心理学的には不可能なものになってしまう。もしも観客に内的な反感を感じさせずに、主人公の大胆さと巧みさに賛嘆の念を抱かせようとするならば、作者は観客の心のうちに、主人公にたいする同情の気持ちを作りだす秘密の仕掛けを作っておく方法を心得ておかなければならない。そしてこの同情の気持ちは、もしかしたら自分も主人公と同じ気持ちをもっているのではないかという感情と理解を土台とするしかないのである。

だからリチャードの独白は、すべてを語っているわけではない。彼はたんにほのめかしているだけであって、ほのめかされたものを解釈して仕上げるのは、観客にまかされている。そして実際に、ほのめかされたものを解釈解釈してみると、浅薄な動機という外見は姿を消して、リチャードが自分の醜さを描きだしているときの苦々しさと詳細さが正当なものとしてあらわになってくる。そしてわたしたちとの共通性がはっきりとしてきて、この悪人に同情せざるをえなくなるのである。

彼がほのめかしているのは次のようなことだ。「自然はおれに、人から愛されるような好ましい姿を与えてくれなかったが、これはひどく不公正なことだ。人生はおれに損害賠償をする義務がある。おれは賠償を取り立てる。おれは自分が〈例外者〉であることを要求する権利がある。ふつうのやつらが遠慮するようなことでも、実行する権利があるのだ。おれは不正をすることができる。おれに不正が行われたからだ」。するとわたしたちは、自分もリチャードの立場に立たされれば、そう考えるかもしれない、ある程度は自分もリチャードと違いはないのだと感じるのだ。リチャードは、わたしたちが自分のうちに感じる一面を、法外なまでに拡大した姿にほかならない。
*つまり「復讐者」となる事は「例外者」となる事。神経症的人格を特徴付ける「自己中心性」や「復讐願望」が表面化する展開。

皇帝ナポレオンとナポレオン三世、及びヒトラーに共通して見られるこの特徴…忌避するあまり本気で切り捨て様とすると却って「健康な心身の持ち主だけが人間を名乗って良い」とするナチス的優生主義に陥るのが恐ろしい…

*それではこの展開における「悪」とは何か? 「この作品の発揮するバーナム効果に巻き込まれる事を拒絶する「健全な」人々」という事になる。こうした構造が、この作品を「純度の高いファシズム」として成立させているのである。元来ムッソリーニファシズムに込めた本質的メッセージは「みんなで揃ってイタリア人になろう。ローマ人やフィレンツェ人やヴェネツィア人やナポリ人などに別れて喧嘩してても何の益もない」といった内容だった訳だし。

むしろ興味深いのがこの主題、主題歌「The Greatest Show」の前半、すなわち「P.T.ボーナムのサーカス構想が空想段階に留まっている状態」の時にのみ現れるという辺り。 

Ladies and gents, this is the moment you've waited for (woah)
淑女と紳士の皆様、これがあなたがずっと求めていたものだ
Been searching in the dark, your sweat soaking through the floor (woah)
暗闇の中で探しながら あなたの汗が床に浸っている
And buried in your bones there's an ache that you can't ignore
そして無視できない痛みがあなたの骨の中に埋まるんだ
Taking your breath, stealing your mind
息を飲んで あなたの心を盗む
And all that was real is left behind
そして全ての現実は取り残されてく

Don't fight it, it's coming for you, running at ya
争うな あなたのために来ているんだ
It's only this moment, don't care what comes after
この瞬間 そのあとのことなんて気にするな
Your fever dream, can't you see it getting closer
あなたの熱病が近づいてくるのが見えないのかい?
Just surrender 'cause you feel the feeling taking over
降伏するんだ だってあなたは支配されてくように感じてる
It's fire, it's freedom, it's flooding open
これは炎 自由だ 洪水がおきるぞ
It's a preacher in the pulpit and you'll find devotion
演台にたっている宣教師をあなたは信仰するだろう

It's everything you ever want
これがあなたが今まで欲しかったもの
It's everything you ever need
あなたが必要にしてたもの
And it's here right in front of you
今そこにあなたの目の前にある
This is where you wanna be
ここがあなたのきたかったところ
It's everything you ever want
欲しかったものがあるところ
It's everything you ever need
あなたに必要だったものがあるところ
And it's here right in front of you
いまあなたの手に届くところにある
This is where you wanna be
あなたがなりたいものになれる場所
This is where you wanna be
あなた自身になれる場所

それにしても何たる強烈なプロパガンダ臭…そもそも「プロパガンダ」とは一体どういう概念なのでしょうか?

プロパガンダ(羅・英: propaganda) - Wikipedia

特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為。通常情報戦、心理戦もしくは宣伝戦、世論戦と和訳され、しばしば大きな政治的意味を持つ。

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  • あらゆる宣伝や広告、広報活動、政治活動に含まれ、同義であるとも考えられている。利益追求者(政治家・思想家・企業人など)や利益集団(国家・政党・企業・宗教団体など)、なかでも人々が支持しているということが自らの正当性であると主張する者にとって、支持を勝ち取り維持し続けるためのプロパガンダは重要なものとなる。対立者が存在する者にとっては武器の一つであり、自勢力やその行動の支持を高めるプロパガンダのほかに、敵対勢力の支持を自らに向けるためのもの、または敵対勢力の支持やその行動を失墜させるためのプロパガンダも存在する。

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  • 最初にプロパガンダと言う言葉を用いたのは、1622年に設置されたカトリック教会の布教聖省 (Congregatio de Propaganda Fide、現在の福音宣教省) の名称である。ラテン語の propagare(繁殖させる、種をまく)に由来する。本来は中立的な意味合いしかなかったが、敵対勢力から反感を持って語られるようになり、プロパガンダという語自体が軽蔑的に扱われ、「嘘、歪曲、情報操作、心理操作」と同義と見るようになった。

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  • またプロパガンダを思想用語として用い、積極的に利用したウラジーミル・レーニンソビエト連邦や、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)とナチス・ドイツにおいては、情報統制と組み合わせた大規模なプロパガンダが行われるようになった。そのため西側諸国ではプロパガンダという言葉を一種の反民主主義的な価値を内包する言葉として利用されることもあるが、実際にはあらゆる国でプロパガンダは用いられており、一方で国家に反対する人々もプロパガンダを用いている。あらゆる政治的権力がプロパガンダを必要としている。

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お市民的及び政治的権利に関する国際規約は、戦争や人種差別を扇動するあらゆるプロパガンダを法律で禁止することを締約国に求めている。報酬の有無を問わず、プロパガンダを行なう者達を「プロパガンディスト」と呼ぶ。

考えてみれば二つの世界大戦におけるプロパガンダは女性や黒人の戦争動員を可能とする一方で(既存の伝統を破壊し)戦後におけるフェミニズムや黒人公民権運動の台頭を引き起こしました。そう考えると「副作用を伴わないプロパガンダなど有り得ない」という観点こそ重要なのかもしれません。

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この定義においてはプロパガンダについてナチズムや科学的マルクス主義との根深い関係と同時に「特定の思想そのものとの直接的な結びつきは存在しない」事が指摘されているのが重要。あえて決めつけるなら「グレイテスト・ショウマン」のそれは(どちらとも無関係な)カール・マルクスの人間解放論、すなわち「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」の中で「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(本物の自由意思や個性が獲得したければ認識範囲内の全てに抗え)」と定義付けたグノーシス主義的(反宇宙二元論的)で無政府主義的な人間解放論に由来する様に見えます。ただしこの系譜にはさらなる大源流が見受けられるのです。

It's blinding outside and I think that you know
Just surrender 'cause you're calling and you wanna go
外が明るい理由を君は知っているだろう
周りに囲まれている だって君は呼んでいるんだ、そして行きたいんだろ!


Where it's covered in all the colored lights
色とりどりの光が隠されているところ!
Where the runaways are running the night
家出人が夜に逃げてくる場所へ
Impossible comes true, intoxicating you
不可能は現実に 君を酔わせてくれる
Oh, this is the greatest show
これは最高のショーなんだ!
We light it up, we won't come down
僕たちが燃え上がったら もう落ちていくことなんてない
And the sun can't stop us now
あの太陽でさえも僕たちを止められないさ!今なら!
Watching it come true, it's taking over you
君は夢が叶う瞬間を見れるんだ 君を支配してくれるさ!
Oh, this is the greatest show
だってこれは史上最高のショーなんだから!


When it's covered in all the colored lights
色とりどりの光が隠れている時
Where the runaways are running the night
家出人が夜に逃げている時
Impossible comes true, it's taking over you
不可能は可能に! あなたを支配する
Oh, this is the greatest show
これは最高のショーだ!
We light it up, we won't come down
僕たちが本気を出したらもう降りてこない
And the sun can't stop us now
太陽も僕たちに勝てない
Watching it come true, it's taking over you
見ていると叶う あなたを支配してくれる
This is the greatest show
これは最高のショー!

When it's covered in all the colored lights
色とりどりの光が隠れている時
Where the runaways are running the night
家出人が夜に逃げている時
Impossible comes true, it's taking over you
不可能は可能に! あなたを支配する
Oh, this is the greatest show
これは最高のショーだ!
We light it up, we won't come down
僕たちが本気を出したらもう降りてこないよ
And the walls can't stop us now
あの壁も今は僕たちを止めることはできない
Watching it come true, it's taking over you
見ていると叶う あなたを支配してくれる
This is the greatest show
これは歴代史上最高なショー!

九鬼周造 「いき」の構造

Sehnsucht という語はドイツ民族が産んだ言葉であって、ドイツ民族とは有機的関係をもっている。陰鬱な気候風土や戦乱の下に悩んだ民族が明るい幸ある世界に憬がれる意識である。レモンの花咲く国に憧がれるのは単にミニョンの思郷の情のみではない。ドイツ国民全体の明るい南に対する悩ましい憧憬である。「夢もなお及ばない遠い未来のかなた、彫刻家たちのかつて夢みたよりも更に熱い南のかなた、神々が踊りながら一切の衣裳を恥ずる彼地へ」の憧憬、ニイチェのいわゆる flügelbrausende Sehnsucht はドイツ国民の斉ひとしく懐くものである。そうしてこの悩みはやがてまた noumenonの世界の措定として形而上的情調をも取って来るのである。英語のlongingまたはフランス語の langueur, soupir, désir などは Sehnsucht の色合の全体を写し得るものではない。ブートルーは「神秘説の心理」と題する論文のうちで、神秘説に関して「その出発点は精神の定義しがたい一の状態で、ドイツ語の Sehnsucht がこの状態をかなり善よく言い表わしている」といっているが、すなわち彼はフランス語のうちに Sehnsucht の意味を表現する語のないことを認めている。

思わぬ所で顔を出すサピアウォーフの言語相対主義。そしてその障壁を乗り越えて問題意識を共有するエスニック・グループ間でコンセンサスが形成されていく場合もあるという事です。もしかしたら、この場合該当するのはフリークス集団そのものというより、オーストラリアなる「辺境国」そのものの中央進出物語?