諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

20世紀は遠くなりにけり⑤ 「産業至上主義」が始まったばかりの1960年代の情景

20世紀に入ってからの歴史展開について、政治思想史からのみアプローチしている研究家の大半が反資本主義的視野に追い込まれる展開を迎えます。「例外状態」や「敵友理論」といった概念を尊ぶカール・シュミット流の政治至上主義者の目には、資本主義的展開の全てが「政治思想のイデオロギーとしての純粋性を侵犯する穢れの一種」としか映らないからなんですね。

カール・シュミットを読む

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でも現実には、消費者の側からすれば「商品」のみが目に見える実態の全てだったりもした訳です。産業革命導入に伴う大量生産・大量消費スタイルの一般化が消費の主体を王侯貴族や聖職者から庶民、すなわち新興産業産業のメンバー(資本家・経営者・管理職・労働者・地主・小作人・個人商店・小売業者とその店員)などに強制推移させてからそう考えるしかなくなってしまったのでした。

  • 1970年代に入ってからの「プラモデル」市場の急発展…

  •  そして商業至上主義が国家や商品供給企業の統制から脱する様になった20世紀末頃より重要な商業的意味を持つ様になった「御当地グルメ」の世界…

それではさらなる黎明期、すなわちまだまだ総力戦体制期(1910年代後半〜1970年代)の最中で。商品供給企業もマスコミも今よりはるかに「国家間の競争が全て」なる価値観の統制下にあった時代の展開は一体どういうものだったのでしょう?

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写真右側、1969年発行の99号は、実家の本棚にあって子供ながらに眺めていたものだった。この号には大阪ロイヤルホテルの料理長による連載「西洋料理はじめから」の、スープの回が掲載されている。

フレンチとイタリアンの区別もまだ一般の人にはついておらず、中流家庭でようやく「洋風料理」が浸透しはじめた時代。そういえば家の本棚にも、料理研究家の飯田深雪さんの西洋料理の本が暮しの手帖とともに並んでいたっけ。

そしてこれ…

そういえば「キユーピー3分クッキング(1962年〜)」が始まった時代でもあったのです。当時の日本における洋食化の進行は GHQによる「第二次世界大戦下における軍需物資無制限製造体制の余波としての)余剰食料の外国への押し付け政策」を嚆矢として始まり、次第にこの流れに便乗して手軽に洋食を再現可能な調味料や駄菓子を売る様になった企業の販促活動に内在下されていったのです。

キユーピー3分クッキング - Wikipedia

もしかしたら当時の料理そのものに対する関心の高まりは、戦中から戦後復興期にかけて極度の食糧不足に苦しみながら「少しでも食事から満足感を得ようという努力」を絶やさず続けてきた賜物だったのかもしれません。そういえばヌーベルキュイジーヌ(nouvelle cuisine)が生まれたのも、同様の環境にあったヴィシー政権(1940年〜1944年)下のフランスであったのです。

ヌーベルキュイジーヌ(nouvelle cuisine) - Wikipedia

そもそも「Hewitt, Nicholas. The Cambridge Companion to Modern French Culture. Cambridge(The Cambridge University Press、2003)」によればヌーベルキュイジーヌが作られるきっかけとなったのは第二次世界大戦の勃発が原因であり、ナチス・ドイツの占領による食料統制下で肉などの供給が不足に陥り、自然発生的に発達した料理法なのである。

 いずれにせよ、こうした展開全てが欧州の「大陸系」イデオロギー至上主義者にとっては「全く望ましくない、一刻も早く脱却すべき精神堕落状態」としか映らない側面もあるのは間違いない様なのです。そして今日なおそういう主張を繰り返し続けている人々といえば…

「遅れてきた国民」の著者ヘルムート・プレスナーは英国についてこういう評価を下しています。 「ドイツ人の視点からすれば国家権力が国家を超えた理想を標榜するのは偽善と映る。大英帝国の問題は人類の問題などと英国人に涼しい顔で告げられたり、正義・平等・友愛といった美辞麗句を並べて上から目線で説教するフレンチ・エゴイズムに直面すると、それだけで虫唾が走ってしまうのである。しかし現実路線と国家理念に基づく正当化を並行させるやり方には、むしろ「誠実な」側面がある。仮面が仮面である必要がなくなるからで、実際アングロ・サクソン系国家においては政治上の対立構造と経済上の対立構造の不一致に苦しむという事がない。ある意味経済支配こそが政治支配であり、かつ経済力そのものが人道的な力、道徳的な力、民族結集力、政党脱却力と信じて日々の問題解決に取り組んでいるのである。」と。

ドイツ帝国が世界を破滅させる」の著者エマニュエル・トッド氏はインタビューにこう答えています。「このたびキャメロンとイギリス人たちは独仏の路線を敬遠したわけですが、あの拒否はおそらく、イギリスがその文化の最も深い部分-すなわち、自由への絶対的なこだわり(もっとも、この感覚はネイションへの集団的帰属を排除しない)-へ、危機を乗り越えるための手立てを探しに降りていく時期の初めを画するのでしょう。」

*さらにややこしい事にフランスがボトムアップ式に浮上してきて世界中に広まる「非大陸的思考様式」を、その都度「フランス的に正しい」大陸的イデオロギー至上主義が叩き潰してフランス本土においては壊滅させる歴史を繰り返してきたという辺り。新古典主義芸術に心酔したアカデミー・フランセーズ(l'Académie française)によるバロック/ロココ調芸術の駆逐、そしてヌーベルキュイジーヌに心酔した料理研究家達によるオーギュスト・エスコフィエ流「正統派フランス料理」の駆逐などがこれに該当。かくして「ドイツのメルヘン」や「ディズニーのファンタジー映画」や「日本の洋食」はその故郷を喪失してきたのである。

何だか急に「既得権益を感受する老人層と、リソース再分配を求める若者層の対立」と「現状維持派(漸進派=中道左派中道右派の連合状態)と現状懐疑派(急進派=極右と極左の連合状態)の対立」が重層的に存在する最近の欧州政治事情にスポットが当たる展開に。
*最近こういう事を考えてると、この曲が脳内にBGMとして掛かって涙が流れる。ここには「神の叡智そのものは無謬だが流出過程で誤謬が鬱積し、最終的には(その段階ではもはや)解決不可能な善と悪の対立構造に至る」なるガザーリーの流出論が前提とする「イデア(Idea)」が可視化されてる気がしてならない…

  • そういえば「レッドタートル ある島の物語(The Red Turtle / La Tortue rouge、2016年。オランダ出身のアニメーション作家マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットが監督を務め、フランスの映画監督・脚本家、パスカル・フェランが脚本を担当し、高畑勲がアーティスティックプロデューサーとして製作に携わった)」をル・ボンやフィガロといった老舗雑誌が「これぞフランス版ロビンソン・クルーソー!!」とこぞって絶賛し興行成績が2億円に到達するとネット上の若者達が「お前らもう火すら捨てて森に帰れ!!」と一斉に囃し立てる事件があった。
    *日本のマスコミが完全報道管制を敷いて日本人の目から隠蔽した事件。日本のマスコミは戦前からここういう策動を得意としてきた。

  • 代わって当時の「ネットに滞在するフランスの反体制的若者達」が熱狂したのが、歌手ギエドレのNV「百獣の王(GiedRé - LES ROIS DES ANIMAUX)」。
    *ただしこちらも日本ではあまり話題とならず終わる。

    Les tigres tuent les belles panthères
    虎は美しい黒豹を餌食とします。

    Les poules zigouillent les vers de terre 
    雌鶏の餌食となるのはミミズです。

    Les lions massacrent les jolies gazelles
    ライオンのガゼルの屠り方は残酷です。

    les chats dépouillent les oiseaux de leurs ailes
    しかし小鳥の羽を毟って弄ぶ猫ほどでしょうか?

    Mais de tous les animaux, c'est qui les plus forts et de loin ?
    それでは百獣の王って何でしょう?

    Mais de tous les animaux les plus forts c'est nous, c'est les humains !

    人間に他ならないんじゃないんでしょうか?

    Nous on tue des lions, on tue des loups, et on tue des agneaux
    私達はオオカミもライオンも子羊も見境無く殺します。

    Les poules trop fastoche on les butte par vingt dans leur cageot
    檻の中の雌鳥だってまとめて蒸し焼き。

    On tue des hommes, des femmes, des vieux, des enfants à gogo
    女だろうが、幼児だろうが、老人だろうが見境なし。

    On peut tuer tout ce qui bouge, alors c'est qui les plus costauds ?
    視界に入る全てが屠殺対象。それこそ最強の証なの?

    Les girafes s’empiffrent de feuillage
    確かにキリンだって食べられるだけ食べます。

    les vaches engloutissent des pâturages
    放牧中の牛だって食べられるだけ食べます。

    les lapins se bourrent de carottes et de choux
    ニンジン畑やキャベツ畑に放たれたウサギだって同じ。

    les koalas se goinfrent de bambous
    竹林に放たれたコアラも同じ。

    Mais de tous les animaux, c'est qui les plus forts et de loin ?
    それでは百獣の王って何でしょう?

    Mais de tous les animaux les plus forts c'est nous, c'est les humains !
    人間に他ならないんじゃないんでしょうか?

    Nous si on veut on peut vider les océans
    私達には海を空っぽにする事だって出来るんです。

    Couper les arbres et brûler tous les champs
    森を伐採し尽くす事だって出来るんです。

    Nous si on veut on peut même faire fondre les glaciers
    氷河を溶かし尽くす事だって出来るんです。

    On peut dégommer la planète qu'ils arrêtent de s'la raconter
    地球の外に飛び出して、他の惑星に到着する事だって出来るんです。

    Oui de tous les animaux, c'est qui les plus forts et de loin ?
    それでは百獣の王って何でしょう?

    Oui de tous les animaux les plus forts c'est nous, c'est les humains !
    人間に他ならないんじゃないんでしょうか?

  • そもそもフランスにおいては80年代後半から90年代にかけてこれらの雑誌も参加する形で守旧派が徹底遂行した「和製コンテンツ駆逐運動」が、却ってそれに若者が熱狂する「危険な反体制性」なるイメージを付加してしまった歴史を踏まえないと何でこうなったのか外国人にはまるで見えてこない。そもそも「フランス経済圏」とは一体どの範囲を指すのだろうか?

常に背後に「我々インテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層だけが全てをちゃんと理解出来る(この正しい考え方に異論を挟もうとする展開は全て悪)」なる傲慢な階層意識がチラつき続けるのは何故なんでしょうね? 欧州のそれは貴族文化、アジアのそれは儒教文化を起源とし、20世紀後半には科学的マルクス主義の残骸の上に構築された反資本主義運動に合流していきます。

そして守備範囲を広げ過ぎて「大衆が真の意味で受容するのは、我々が認めた国家の先天的犯罪性を徹底して暴き出す反戦映画だけだ」とか「真の意味での料理は我々が厳選した正しい歴史観と倫理観に基づいた正統派料理に限られる」みたいな妄言ばかりが次々と垂れ流される展開に…

しかも当人は作品も制作しないし料理も作らないという…最近こう言うのを「インテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層の認識論的ロマン主義」と呼んでいいんじゃないかと考え始めています。いうなれば魯迅阿Q正伝1921年〜1922年)」における「精神的必勝法」の21世紀版…
*さらなる背景で蠢いているのは「(後期ウィントゲンシュタインいうところの)言語ゲーム(Sprachspiel)における事象の地平線としての絶対他者へのアンヴィバレントな態度(黙殺も受容も不可能だから、見つけ次第片っ端から「殺しに掛かる」しか選択肢がない)」とも。

そしてこういう話は全てこういう方向に集約されていく?