諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

グレイテスト・ショウマン観てきました⑥  ハイデガーいう「集-立(Ge-Stell)」概念だけが明らかにする「真理(Aletheia)」?

以前の投稿でも書いた様に、私は個人的に冒頭部分に「純度の高いファシズム」を見て取ってしまったので「グレイテスト・ショーマン(The Greatest Showman、2017年)」に対する世間の手放しの絶賛がかえって恐ろしいと感じてしまった次第。要するにあの冒頭の場面、First Gundomにおけるこの場面でのアムロの脳内風景なんですよ…

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心象風景だから色々独りよがりな部分もあるし、まだ肝心なパーツも幾つも欠けてるのに既に(道具の様に粗雑に扱われている)観客に一切の嫌悪感を抱かせず「ああ本当に彼が動かすガンダムを見たい」と思わせる妖しい魅力を備えている…「純度の高いファシズム」というのはそういうニュアンスを表現したくて使った表現です。

逆をいえばそのビジョンが実際に完璧な形で実現するラストシーンからは、この時感じた違和感が全て払拭されている…その過程一体何かがあったかというのがこの物語全体の展開の骨子となってくる訳ですね。

それにつけても歌詞がまたもう終始プロパガンダ色の強いパワーワードの連打。「もう身を委ねなさい、この感覚に抗えないのがわかるでしょう(Just surrender 'cause you feel the feeling taking over)」「それはあなたが跪くべき宣教師(It's a preacher in the pulpit and you'll find devotion)」…本当にまさしく「我々は攻撃されている。繰り返す、我々は攻撃されている。違和感仕事しろ!!」という感じ。

この感想に関連して気になったTwitter上の感想が以下。


*「だがそもそも観客は映画に巻き込まれたくて映画館へと足を運ぶんだぜ」という話。


*P.T.バーナムが欧州随一のオペラ歌手とほまれ高いジェニー・リンドの米国公園に夢中になり、劇場のキャスト達を疎んじるようになった時期に団員達は「私達は彼のアディア(Idea)なしにはやっていけない」と嘆く場面がある。クリストファー・ノーラン監督映画「バットマン三部作(2005年〜2012年)」においても理想(Idea)という言葉は「隠されていた真の姿を露わにする」といったプラトン形而上学的な意味合いを持たされており、しかもそれが(属人的な個性の産物ではなく)真のIdeaである事を証明するには世代交代が不可欠となる。 とりあえず英国系作品を読み解く基本的鍵の一つとも。

*ちなみに以下の投稿をまとめる過程で、それまで私が「純度が高いファシズム」と表現して来た概念は、ハイデガーいうところの「集-立(Ge-Stell)」すなわち「特定目的の為に持てるリソース全てを総動員するだけの強制力を有するシステム」と密接な関係があると気付いた。ハイデガー自身はこれを「元来、真理(Aletheia)が備える開示作用に逆らう」としているが、イタリア未来派やエンルスト・ユンガーの魔術的リアリズム文学はむしろその逆にその追求だけが開示する真理も存在すると考えた。そして「グレイテスト・ショウマン」の立脚地点は後者。だから冒頭の「純度の高いファシズム」から、ラストの「イデア全体が真の完全状態で顕現する場面」に至る流れ全体が慎重にその意図に沿う形で設計されている。

*ちなみにマーベル・シネマティック・ユニバース(Marvel Cinematic UniverseMCU)を読み解く基本的鍵は「神の叡知自体は無謬だが、現世に流出する過程で誤謬が累積し、最後には絶対矛盾する正義と悪の対立まで生んでしまう」と考える「イデア流出論」。かくして「またあのお騒がせ一家の御家騒動か」「またあの迷惑企業の内紛騒ぎか」なる展開に。まぁアクション映画を支える倫理構造設計なんて「作中で荒っぽく振り回し過ぎてせいでそれが壊れてしまい、観客を不愉快な気持ちにさせる」事故さえ回避すればいいのだ?

個人的には最後の「世代交代」の場面、「怨霊七人ミサキ=一人抜ける為には、別の一人が生贄に捧げられる」展開にも見て取れたのでもっと賛否両論かと思ってたのですが、実際にはそういう意見もほとんど見掛けませんでしたね。 
*もっともこれはアラン・モイル監督「タイムズ・スクエア(Times Square、1980年)」における二人の少女の邂逅と離別(一人は観客の海に飛び込み、一人は家族の元に帰る)、そしてこうした二人のプライベートな足跡そのものを商業コンテンツとしてしゃぶり尽くす商業至上主義の恐ろしさを重ねて鑑賞したせいもある。綺麗過ぎるP.T.バーナム(演ヒュー・ジャックマン)にむしろ逆に「本当に完璧な詐欺師は騙される側からこう見える」リアリティを感じたりして…

*ある意味この部分は(おそらく従来の物語文法においては置き去りにされ悲劇的最後を遂げる役割ばかり押し付けられてきた)空中ブランコ乗りのアン(演ゼンデイヤ)にネコまっしぐらに突き進む「格式高い上流階層向けの劇作家」フィリップ・カーライル(演ザック・エフロン)が力技で成立させた感もあり。ここで色々逡巡するとシュレンドルフ監督映画「スワンの恋(1984年)」になっちゃうから、ここはもう「ネコまっしぐら」しか選択肢がない(パートナーの黒人男性がもし「夫」だったらどうなっちゃうんだろうと心配したくらい。彼のフィリップへの態度の変化もこの映画の見所の一つ)。

*そしてその展開、もしかしたら「レ・ミゼラブル(原作1862年ミュージカル映画化2012年)」において準主人公マリウスに片思いしつつ「(卑しい出自ゆえに)一緒に生きられないなら、せめて一緒に死のう」と決意して殉死する(ボロボロの状態で死んでいく間際にマリウスに自分の気持ちを打ち明け、キスしてもらい息絶える)エポニーヌへの救済措置だったかもしれない。それくらい真逆の完全再現場面…ちなみにミュージカル映画レ・ミゼラブル(Les Misérables、2012年)」においても、ジャン・バルジャン(演ヒュー・ジャックマン)は、やはり六月暴動の残禍の中でボロボロとなったマリウスを戦火に身を投じて救い出す。

それでは冒頭の「純度の高いファシズム」場面とラストの「イデア全体が真の完全状態で顕現する場面」は具体的に何処が異なっていたのでしょう?

  • 「場所」の大半が闇に包まれイメージが曖昧…まだ「バーナム博物館」すら獲得する以前だから空間認識はブレブレ。ただ既に「博物館では狭過ぎて本来のアイディアの再現は不可能」という含みが盛り込まれている。

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  • 「演目」の際物性…「ナイフ投げ」「人間大砲(?)」「シーソー」「輪舞」などオドロオドロしくも狭い場所での興行を前提とした出し物中心。空中ブランコも一瞬映るがP.T.バーナムが投げた杖は届かず虚空に消える。そして何よりまず会場全体が「楽屋から飛び出したP.T.ボーナムが到達を志向する静止的目標地点」として描かれている。フリークスや猛獣の姿はまだない。

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  • 「観客」の姿もほとんど闇に包まれて見えない…最初は「足のみ」。男性客中心だが、その割に観客席には「若い娘」が多い。そしてQueenWe Will Rock You(1977年)」もかくやといわんばかりの冒頭の足踏み。ある意味この曲こそ「純度の高いファシズム」元祖とも。
    *そういえば「Show must go on( 1991年)」という曲もあったしQueenについては含むところが多そうな気がする?

    *そしてこんなのもあったのか…


    *これを思い出した。ブレードランナー的でもあり、リズムネーション的でもあるディストピア観…

  • 全体として「復讐宣言」として構成されている…これも「純度の高いファシズム」感を高めている重要要因の一つ。何しろ歌い出しは「紳士淑女の方々、この瞬間を待っていたのでしょう(Ladies and gents, this is the moment you've waited for)、暗闇で目をこらしながら、汗が床に染み込んでいく(Been searching in the dark, your sweat soaking through the floor)、無視できない痛みが骨に埋め込まれている(And buried in your bones there's an ache that you can't ignore)、深呼吸して、あなたの心を捉えて離さない(Taking your breath, stealing your mind)、現実だったものは全て後ろに取り残されていく(And all that was real is left behind)」。まるで江戸川乱歩の復讐鬼物において標的となる一家を捕えて幽閉した復讐鬼の前口上そのもの。これが英国文化的にはシェークスピア戯曲「リチャード三世(The Tragedy of King Richard the Third、初演1591年)」冒頭におけるグロスター公リチャード、「オセロ(Othello,The Moor of Venice、初演1602年)」における私生児旗手イアーゴーの冒頭における「復讐宣言」と重なる。

    さらにP.T.ボーナムが楽屋から舞台に飛び出す瞬間の歌詞「それは炎だ、自由だ、洪水が押し寄せる(It's fire, it's freedom, it's flooding open)」に曲馬の蹄音が重なるのは、おそらく元ヴァルキューレブリュンヒルデが夫ジークフリートを殺された恨みを晴らす為に魔都ヴァルハラを滅ぼそうと戦馬グラーネに跨り、先住民(それまで忠臣の振りを装って復讐の機会を虎視眈眈と狙ってきた「炎の巨人」ロキと「人を支配下に置く黄金」を奪われたラインの乙女達)を率いて出陣するリヒャルト・ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環(Ein Bühnenfestspiel für drei Tage und einen Vorabend "Der Ring des Nibelungen"、1848年〜1874年)」における「ブリュンヒルデの自己犠牲」の展開そのもの。そこでは「グラーネを連れて来て」の一言が(そして「ワルキューレの騎行」のあのフレーズが)不退転の戦闘モード突入の合図となるが「グレーテストショーマン」においても曲馬は貧乏時代の走馬灯の回転運動と重なる円運動を繰り返し「この世とあの世の境界線」を現わしている様に思えてならないのだった。
    *「ブリュンヒルデの自己犠牲」…「グラーネ、私のお友達! 一緒に、あの人のところへ行きましょう! 炎の中で、私の大切な人が待っている! 私はあの人を抱きしめ、抱きしめられたい! あの人とひとつになりたい! 見ていてね、、ジークフリート! あなたの妻が、幸せな挨拶をあなたに送るのを!」である。

    そして「楽屋裏とメインステージ=この世とあの世」なる対比というと、どうしてもクリストファー・ノーラン監督映画「プレステージ(The Prestige、2006年)」における「偉大なるダントン(演ヒュー・ジャックスマン)」の苦脳と重なってくる。主に登場人物と影絵演出のせいで…そこで強調されるのは「最高の出し物を提供し続けないとステージに残れない興行師の孤独」。
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    そして「グレイテスト・ショウマン」においては物語が進行するほど「上流階層を見返してやりたい(その一員に加わりたい)というP.T.ボーナムの野望」と「ただスポットライトの当たる場所に自分の居場所を得たいだけ」の団員達の齟齬が大きくなっていくのである。もちろん最後に待っていたのは「一旦の破局」…そういえばリヒャルト・ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環(Ein Bühnenfestspiel für drei Tage und einen Vorabend "Der Ring des Nibelungen"、1848年〜1874年)」においてもアルベリヒのニーベルング族奴隷化計画やヴァルハラの城主ヴォーダンの「大いなる計画」は挫折を余儀なくされている。
    *かくして「純度の高いファシズム」がそのままの形での顕現を阻止された事がむしろ「イデア全体の真に完全な状態での顕現」に結びついていく。

  • 「郊外の巨大テントに興行の場所を移した事による開放感」…P.T.ボーナムは 「(自らも何処かを目指す)夢追い人」から「団員達を導いて自ら先頭を駆ける反逆者=Ideaの供給者」へと変貌。「この強大な世界に反逆の旗を翻す(colossal we come these renegades in the ring)、そこでは何かを失った者がサーカスの王になる(where the lost get found in the crown of the circus king)」である。
    *「団員達を導いて自ら先頭を駆ける」…要するに「集-立(Ge-Stell)」状態に到達して「興行主」「団員」「観客」の三者関係から「騙し騙される」要素が消失。まぁこれはこれで全体主義っぽい。

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  • よりアクティブになった「演目」…フリークスや猛獣や巨獣が加わった上に「(高さを含む)広さを利用した人間の身体能力を誇示する演目」が多くなった。そしてP.T.ボーナムのシルクハットの受け渡しアクションが連鎖する。
    *その一方で「ナイフ投げ」「人間大砲」などの「空間の広さを利用出来ない演目」が消える。

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  • 「生き生きとした観客の反応」…もはやそれは妄想の産物ではなく、実際の老若男女と感じる一体感へと発展。クリストファー・ノーラン監督映画「プレステージ(The Prestige、2006年)」でも、それをここまでは描き切れていなかった。
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  • 「Ideaの完成」と「世代交代」…興行主(Producer)にとって「夢の完成」は、もはやその夢が自分の介在を必要としなくなった事を意味している。そしてIdeaとは世代交代以降も維持される事によってその真価を試されるものなのである。

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    *そして「世代交代」の瞬間、それまで執拗に繰り返されて来た円運動の内容が「曲馬によって再現された走馬灯のイメージ」から「Rewrite The Starsのロープアクションのイメージ」への鮮やかな切り替わる。そして目標への到達を目指す有限運動から、果てしなく続く疾走に…


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それにつけても最後の「The show must go on」の一言が重いのです…英国演劇界出身の怪奇作家クライブ・バーカーの「血の本(Books of Blood)シリーズ (1984年〜1985年)」だったら、この言葉が発せられる都度、莫大な死者が…

そう、これはナボコフ「ロリータ(Lolita、1955年)」が悲劇に終わる「旧大陸文化の象徴ハンバート・ハンバートと「新大陸文化の象徴」ドロレス・ヘイズの邂逅を描く物語であった様に「(格調高い英国演劇界の世界に憧れながら拒絶もされて来たハリウッドに象徴される)旧映画界の異端児の象徴」P.T.バーナムが「ニュージーランドやオーストラリアの様な大英帝国系)新興映画界」を認めていく物語でもあるのかもしれないという事なんですね…そして、その「触媒」に選ばれたのが…

Right here, right now
OK, 今ここで
I put the offer out
君に申し出よう。
I don't want to chase you down
あえて深追いはしない。
I know you see it
君が気にし出したのは分かってるから。 
You run with me
もう僕と一緒に走り出すしかないんだから。 
And I can cut you free
確かに僕なら解放出来る。 
Out of the drudgery and walls you keep in
君を単調でありきたりな世界に引きとめてきた壁の外へ。
So trade that typical for something colorful
見慣れた世界から見知らぬ世界へ。 
And if it's crazy, live a little crazy
狂ってる? でも少しでも食指が動いたなら、
You can play it sensible, a king of conventional
どこで自分なりの踏ん切りをつけたっていいんだぜ。
Or you can risk it all and see
もしくは、きっちりリスクを背負って最後まで見届けたって。

Don't you wanna get away from the same old part you gotta play
君が今までいた場所から、単調な繰り返しから抜け出したくないのかい?
'Cause I got what you need
君が何を必要としてるか、既に僕は知ってる。
So come with me and take the ride
だから一緒に来て 旅をしよう。
It'll take you to the other side
きっと、これまで見た事もない世界に踏み出せる。
'Cause you can do like you do
なぁに、好きに振る舞えばいいのさ。 
Or you can do like me
まさしく僕みたいに。
*はっきりいってゲーテファウスト(Faust、第一部は1808年、第二部はゲーテの死の翌年1833年発表)」におけるメフィストフェレスだって、ここまで悪魔的に雄弁じゃなかった。*

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*ましてや「魔法少女まどか☆マギカ(2011年〜)」のQBがこんな感じだったら…考えるだに恐ろしい。

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*まさしくニーチェ善悪の彼岸(Jenseits von Gut und Bose)」における「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ(Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und Wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.)」の一節そのもの。そしてある意味、荒川弘鋼の錬金術師(2001年〜2010年)」においてロイ・マスタング大佐がリザ・ホークアイ中尉に向けて放った「もし自分が道を踏み外したら殺せ」宣言やそのもの…

*そして同時にクリストファー・ノーラン監督映画「ダークナイト(The Dark Knight、2008)」においてTwo Faceを誘惑するJoker(演ヒース・レジャー)そのもの…

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*あるいは「平然と村を焼き払う方の」CV櫻井孝宏キャラ…

*「大英帝国系新興映画界」の躍進…ならばその先鋒は「ハマーのカラー怪奇映画」や「(日英同盟で英国と血盟関係を結んだ)日本の特撮映画」が務めた事になる。そしてカナダ、インド、南アフリカ

そして日本人にとってはこの「P.T.バーナムのサーカスを巡るミュージカル映画」を「江戸幕藩体制下、能や京歌舞伎の格調高さに憧れながら、江戸庶民も満足させねばならなかった江戸歌舞伎のジレンマ」と重ねて考えるべきなのかもしれません。そう「勧進帳」と「芋洗い弁慶」の間に何を見出すかこそが物語解読の鍵という事に…

あれ、まさかの(「Star Wars(1977年)」で英国スタジオを使用し、アレックス・ギネスやピーター・カッシングといった名優を投入した)ルーカス御大とも重なってくる展開に…