「事象の地平線としての絶対他者」に対する最も重要なアプローチ方法…
人間には、現実には理解しあえなかったが、理解しあえなかったことにおいて、現実のエポケー的状態で理解に達するような理解があるのだろう。
— 千坂恭二 (@Chisaka_Kyoji) 2018年3月27日
ただ、このようなことは理解というのだろうかということだ。理解ではなく、許容であり受容であり、受け入れることではないだろうか。
— 千坂恭二 (@Chisaka_Kyoji) 2018年3月27日
エポケー(古代ギリシア語: ἐποχή epokhế) - Wikipedia
原義において「停止、中止、中断」を意味し、哲学においてこの語はいくつもの意味をもっている。
懐疑主義においては「判断を留保すること(suspension of judgment)」を意味する。もし真理が到達不可能なものだったり、到達しにくいものだったりするなら、判断を急ぎすぎるとかならず誤ることになるであろうからである。
フッサールおよび現象学においては世界の自然命題を「カッコに入れる」ことを意味する。すなわち世界の外的現実についての信念をカッコに入れるのである。ただしこれは世界の実在を疑うという意味ではまったくない。世界の現象を起こるに任せ、純粋な現れとし、そこで現れているものの実在についてはもはや断言しないということである。世界の中で生きられたものが意味している一切を捨象し、生きられたものをそのものとして研究するという点において、エポケーは意識の普遍的構造を考えるための第一歩なのである(フッサールによれば、エポケーの次の段階が「現象学的還元」である)。
精神分析学においては現実に対するあらゆる判断を留保することを意味する。これによって治療者の幻想と無意識の世界をうまく航行できるようにするのである。
この世で最もアルゴリズム化が難しい分野? というよりむしろ逆に「語り得ない事について語らない」という点においてアルゴリズム化の基本中の基本?