「他人の多様性と多態性が認められない人間は、自分の気に入らない個性の持ち主を視野外に切り捨て様とする。むしろ当人が隔離されるべき」?
まさしく「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマの極限例の一つ。ある意味「ナチズムの元」とも。
「多様性を認める」というのは「自分が絶対に嫌だと思うようなものに対しても耐えて許容する」ということ以外にありえないんですけど、「自分が好ましいと思うものはバリエーションがどんどん増えて、好ましくないと思うものは存在しなくなっていく」みたいなものだと考えている人は多いですね。
— 紙魚 (@silver_fishes) 2018年3月15日
“「自分が絶対に嫌だと思うようなものに対しても耐えて許容するということ以外にありえない」が誤り。「許容できないもの同士が接触しないようにする」方法があり、古くはアメリカ合衆国建国、現代では宇宙進出や海上都市計画が該当する”いやまあ個人的にも、
— 紙魚 (@silver_fishes) 2018年3月15日
「許容力のない人は『外の広い世界』に耐えられないのだから自らを隔離してアーミッシュのように暮らしたほうが良い」と思いますが、それがうまくいきやすいのはアーミッシュが現代的価値観自体を否定しているからで、現代は「他人の情報を手に入れやすい時代」なわけですよ。
— 紙魚 (@silver_fishes) 2018年3月15日
どうせ嫌がるのだから情報なんか集めなければいいのですが、「日本社会と接触しないように海外に出ても、せっせと日本の情報を集めて日本に文句を言う人」の存在が示すように、あの手の人は他者の行動をもとにして自分の行動を変えるなんてことはしたがらないんですね。
— 紙魚 (@silver_fishes) 2018年3月15日
“許容できないもの同士が接触しないようにする”なんていっても、あの手の人は「こちらがなんで努力しないといけないのだ、あいつらのほうが接触しないように出ていけばいい。ところで排外主義は絶対に許せないよな」みたいなことを言うだけのはずです。
— 紙魚 (@silver_fishes) 2018年3月15日
ふと思い出してしまったのが「ズートピア(Zootopia、2016年)」
というよりディズニーランドそのものが「自分が好ましいと思うものはバリエーションがどんどん増えて、好ましくないと思うものは存在しなくなっていく」と考える人々にとって優しい世界過ぎる?
そういえば「演目ごとに世界観を切り替える」のが(P.T.ボーナムの創始した)大サーカスの世界で…
「ワールド間を空間的に完全に切り離す」のが(ウォルト・ディズニーが創始した)ディズニーランドの世界なんですね。
「時間軸に沿って遂行される隔離」と「空間軸に沿って遂行される隔離」… そこにはある種の相似形が見受けられる?