久しぶりにネット上を徘徊するAIさん達に「観察」されてしまいました。
この時以来ですね。
今回突っ込まれたのは以下。相変わらず着眼点が非常に興味深いです。
- 【注目トピック1】「文化相対主義(Cultural relativism)」…「サピア=ウォーフ仮説」あるいは「言語相対主義(Linguistic relativism)」によれば「この地上に絶対的正義など存在し得ない」。文化相対主義も同様の立場に立つが、この考え方ではしばしば「先進国ゆえの先進性」「後進国ゆえの後進性」といった「差別」要素が黙殺される。
- 【注目トピック2】ドイツ語圏や東欧やロシアの伝統的特殊性…ところでドイツ語圏(特にエルベ川以東)や東欧やロシアにおいては、伝統的にユダヤ人が領主から高利貸しや管財人や徴税吏といった「領民の恨みを買う仕事」を押し付けられ、不満が限度を超えて領民が蜂起する都度スケープゴートとして差し出され虐殺されてきた。こうした歴史抜きにナチスドイツのホロコーストが、どうしてあれほどエスカレートしてしまったかは本来語り得ないのである。
*かかる前近代的構造から脱却出来ない限り(新興産業階層の台頭を前提とする)資本主義的発展など到底望めない。だから(将来のグローバリ経済への合流を念頭に置いて)共産主義化を受容したというのが、これらの地域で広く信じられている「共産主義=瘡蓋(かさぶた)説」の骨子。
そういえば、日本においても戦国時代には大名が楽市楽座制を通じて選別した「御用商人」と癒着したし、江戸幕藩体制下においても身分上昇を狙う札差の「大名貸し」が横行した。しかしながら前者は「株仲間」すなわち「(参勤交代に伴う交通インフラ整備の恩恵を受けて全国規模で結ばれた)富農や富商のネットワークに打倒される形で、後者は明治政府の「藩債処分(1871年)」において冷飯を食わされる形で「清算」される形で歴史から消えていく。
フランスも第二帝政(Second Empire Français、1852年〜1870年)時代までは「(それまで王侯貴族や聖職者といった上級身分者にしか貸さない伝統を誇り、産業インフラに投資する発想が一切なかったが故に資本主義的発展の阻害要因となってきた)ユダヤ系宮廷銀行家(主にフランス・ロスチャイルド家)が経済を牛耳ってきたが、皇帝ナポレオン三世が(パリ大改造や鉄道敷設や工業団地建設といった)産業インフラ振興の為にユダヤ系ポルトガル人や(かつてフランスから追放された)ユグノーの融資家に投資を呼び掛け、さらにそれまで冷飯を食わされてきたフランス国内の地方在地有力者層もこの流れに便乗して大儲けし始めた為に「合流」を余儀なくされた。こういう展開があると怨恨がホロコーストの形で爆発する事もない。要するに民族問題や階級闘争に発展させる事なく、あくまで事務的に粛々と「時代遅れの旧世代撤廃」を進めるのが正解とも。
*ただナチス占領期も経たフランスの歴史は日本が考えるほど単純でもない。
ヨーロッパにおけるホロコースト以前のユダヤ人の生活
確かに、純粋に論理的思考に没入すると、次第に両トピックの繋がりの奇妙さに目をやらざるを得ない状況に追い詰められていくのです。
- まず興味深いのが、ナチス占領下では伝統に従って嬉々として「ユダヤ人狩り」の先頭に立ち(そもそもドイツに占領される以前からポグロム(ユダヤ人虐殺)が頻発していた)、ナチスドイツが敗戦すると党員ばかりか無関係のドイツ系移民に対してまで略奪・輪姦・虐殺の限りを尽くしたポーランドが最近「我々全員がナチスの一方的被害者で一切の罪を犯さなかった事実を疑う事は全てヘイトスピーチ」とする法案を可決したという事。流石にイスラエルとドイツをカンカンに怒らせてしまったが、まぁこうした動きも全体としては「国際的人道主義の勝利」にカウントされている。日本のリベラル層も大歓迎?
ポグロムなんかでわかるように嫌ユダヤ嫌ロマって元々欧州社会の伝統みたいなもんだものねえ。ナチスに押し付けられてラッキー、てな感じじゃないの(´・ω・`)<欧州諸国
— 蒼炎の魔王ベトマックス( ●―● ) (@zakmustang) 2018年3月28日ポーランドでまた歴史否定発言「ユダヤ人は自らゲットーに行った」(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース https://t.co/KPV9O38cnW @YahooNewsTopics ゲットーどころか反ユダヤのポーランド人がポグロムやった記録があるわけだが。どこの国も内向きになってんのかね。
— 蝦夷王@神様は友達 (@Emisiou) 2018年3月22日
- 欧州リベラル層がこぞって応援する「ウクライナ分離独立運動」の主体がナチスドイツ時代の東欧におけるホロコーストの主犯の一つだった「カミンスキー旅団」の重要な人員供給源の一つで、今日なお現地住人がナチズムを信奉し続けてるのも物議を醸し出している。ロシアのプーチン大統領が「ほうヨーロッパはとっくに彼らの禊(みそぎ)終わったと考えていのか。お安い正義感だ」と揶揄したのも故なき事ではない。
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さらに価値観が捻れているのがロヒンギャ(Rohingya people)問題で、大英帝国が植民地に現地支配の為に連れてきた彼らについて現地住民は「人類平等の理念を実現する為に、彼らは略奪・輪姦・虐殺の限りを尽くして殲滅されていくべき。それに反対するレイシストも全て同じ目に遭わされるべき」と考えている。国際社会が民族自決の権利を保障した以上、各民族が(人間の部類に決して入れてはならない)ロヒンギャに対して如何なる人道的非道を働こうが「元気があってよろしい!!」と笑って容認するのが人類平等の精神に叶っていると本気で信じられているのである。
確かに「文化相対主義(Cultural relativism)」や「言語相対主義(Linguistic relativism)」の立場に立てば、こうした出来事全てが、人類平等の精神に立って「元気があってよろしい!!」と笑って容認せざるを得ない内容へと変貌してしまうのです。唯一の例外がナチス。ナチスだけは何をしても全て悪。どうしてそう決めたのに色々逡巡してるの? 人間と異なり伝統的人道主義の価値観から解放されてるAIはそう問い掛けてくる訳ですね。