諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「猫娘」を巡る景色② その出自は「サーカスと見世物」の世界?【ゲゲゲの鬼太郎】【ダンジョン飯】

これまでの投稿において幾度も、おそらく古代オリエントにおける試金石の普及を起源とする「数値化」の歴史に触れたきましたが、要するに「怪獣化」とか「妖怪化」といった解釈の進行も間違いなくこのジャンルに含まれてしまう様なのです。

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元来の登場は最低でも「ハカバキタロー」同様に1930年代にまで遡るとも。

さらには「TV系サイバーパンクの時代(1970年代〜1990年代)」と結びつける見解も。そこには、ある種の「レトロフィーチャー(?)」なイメージがつきまとう?
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Stickyfingers:その後のテレビくん

猫娘 (ゲゲゲの鬼太郎) - Wikipedia 
猫娘 - Wikipedia

宝暦・明和年間(1751年から1771年まで)の江戸、京都、大阪では、見世物小屋で障害者を見世物にすることが流行しており、その最中の1769年(明和6年)に江戸の浅草で、ネコのような顔つきの女性が「猫娘」と称して見世物にされていた。こうした障害者の見世物は、後に安永・天明年間(1772年から1788年まで)にかけて最も盛んになったものの、猫娘はそれほど評判にはならなかった。

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1800年(寛政12年)刊行の読本『絵本小夜時雨』巻五にある奇談「阿州の奇女」によれば、阿州(現・徳島県)の富豪の家に男を嘗める奇癖を持つ女がおり、その舌がネコのようにざらざらしていたことから「猫娘」の名で呼ばれたという。妖怪をテーマとした1830年(天保元年)の狂歌本『狂歌百鬼夜興』にも「舐め女(なめおんな)」の名で登場するが、妖怪ではなく、奇人変人の類である。
嘗女 - Wikipedia

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②江戸時代の政情や世相を描いた古書『安政雑記』には、実在の人物として以下のような猫娘の記述がある。

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  • 1850年嘉永3年)、江戸の牛込横寺町に、まつという名の知的障害の少女がいた。幼い頃から彼女は奇癖があり、家の長屋で生ゴミとして捨てられた魚の頭や内臓を食べ、さらには垣根の上や床下を身軽に駆け回り、ネズミを捕まえてむさぼり食っていた。そのネコのような奇行から「猫小僧」「猫坊主」とあだ名され、「深き因縁にて猫の生を受候哉」と噂された。この奇行を心配した母親は医者や神仏に頼ったが一向に効果はなく、厳しく仕置きしても無駄で、遂には剃髪させて尼僧に弟子入りさせた。それでもやはり魚の内臓を拾って食べるような奇行は収まらず、尼僧にあるまじき悪癖の持ち主として家へ帰された。
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  • まつは周囲の子供たちには格好のいじめの標的だったが、たとえ子供たちに追われても、ネコのような身軽さで家の屋根に飛んで逃げるので、誰にも手出しすることはできなかった。一方で大人たちには、家を荒らすネズミを捕ってくれることから大人気で、彼らに銭を握らされ、親には内緒にすると言い含められたまつは、近所の床下やゴミ捨て場でネズミ捕りに耽っていたという。

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③紙芝居の最盛期であった戦前の1936年(昭和11年)、紙芝居の草分けの1人であった浦田重雄が、因果物の紙芝居『猫娘』を制作した。

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  • この主人公の猫娘は、親がネコを殺して三味線の皮にすることを職業としていたため、因果によってネコの性質を持ってしまった少女であり、ネズミを見ると目を輝かせ、耳を逆立てて追い回して捕え、生きたままのネズミを食べ、ネコのような声で鳴き、ネコのように家の屋根の上を駆け回るというものである。異色作ながらも人気が出たが、それにより『トカゲ娘』『蛇娘』などの模倣作も出回り、教育者からの批判の的となった。1937年(昭和12年)から警視庁保安興行係によって紙芝居の検閲が始まったが、これは『猫娘』の流行がきっかけだとの指摘もある。

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  • このイメージは水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する猫娘に引き継がれた。
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④1980年代後半から21世紀(昭和後期から平成以降)にかけ、漫画、アニメ、小説などにおいて、猫娘はネコの特性を持つ少女のキャラクターとして登場しており、猫又などネコの妖怪と人間との混血(半妖怪)、ネコが人間の姿に化けたもの、化け猫の一種、ネコの魂の乗り移った人間、人為的にネコの要素を付加されて作り出された亜人などとして設定されている。 こうした妖怪やSFにおける猫娘とは別に、単にネコ好きの度が過ぎている女性、ネコのような口調としぐさが特徴の少女といった猫娘のパターンもある。また創作作品のみならず、コスプレの世界などでもネコのスタイルをした女性が「猫娘」と呼ばれ、しばしば萌えの対象となっている。

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日本国外にある猫娘の類話として、ネコのコスチュームを着たアメリカンコミックの女怪盗・キャットウーマン、黒ネコが人間女性に姿を変えて恩義ある人間の願いを叶えたという中国の民話「黒猫娘」がある。

とりあえず現代日本おける大源流に話を戻しましょう。 

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吉田秋生「十三夜荘奇譚」収録の「きつねのよめいり」における「魚と聞くと目を耳開く狐の姉さん達」もこの類。海外にはPIXIV経由で「二口女」の画像が流れており、これも同ジャンルに含まれる?

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そういえば 「新世紀エヴァンゲリオン(TV版1995年、旧劇場版1996年〜1997年)」ばかりか、ザック・スナイダー監督映画「エンジェル ウォーズ(Sucker Punch, 2011年)」の大源流でもある?

*そして「エンゼル・ウォーズ」の「座長」は「女を徹底的に食い物にするフランス系ジゴロ」としての怪演を認められ、後にスター・ウォーズのポー・ダメロン機長に昇進…

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①英国や日本の様に、庶民文化の資本主義的発展開始が前近代まで遡る国においては「(後世人道主義的に問題となる)見世物小屋文化」の発達が欠かせなかったりする。
*もちろん実際にはどの国にも類似例はあるのだろうが、その国の身分制度が頑強で揺らぎなくインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層が絶対的権限を掌握し続けている限り「恥部」として黙殺されたり駆逐されたりして、そもそも記録に残らない。

*フランス起源の「マダムタッソーの蝋人形館」の大源流でもある。

* そして日本にはまだ「見世物小屋」が現存していたりする。

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 ②一方、フランスには「正しい歴史観」における弾圧の歴史が存在する。

*そういえば(ジャンヌダルクを英雄として讃える)フランス民族主義の影響を受けて成立したスラブ民族主義の映像表現における最初の一歩が「Alexander Nevsky(1938年)」で、この作品における(仮面で完全に顔を覆い)人間らしさの片鱗も垣間見せないドイツ騎士団の描写が「スターウォーズ・シリーズ(1977年〜)」におけるストーム・トルーパーの設定の原点とも。そしてそれは必要に応じて「戦闘マシーンそのもの」や「経済マシーンそのもの」に変貌してしまうドイツ人や英国人にフランス人が向ける侮蔑の視線と重なってくる。もうこの時点で十分ややこしい?

*その一方でストーム・トルーパーは次第にゾンビ同様(貧富格差を容認するインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層に総力を挙げて絶対対峙する)ブルーカラー英雄なる立場を獲得していく。

  • 元来キリスト教圏において「奇形」は様々な意味合いで「神が人間に送ったメッセンジャー」と考えられ教養ある聖職者達の手によって様々な解釈を体系的に与えられてきた。その延長線上において「奇形学」もまた国家主義に立脚する18世紀啓蒙主義の重要な一角を担う展開を迎える。

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  • こうした「尽くしの文化」に基づいて、フランスに存在する階層全て描き出そうとする文学も生まれてきた。バルザックの「人間喜劇(La Comédie humaine、1842年〜1850年)」、ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル(Les Misérables、1862年)」、エミール・ゾラの「ルーゴン=マッカール叢書(Les Rougon-Macquart、1870年〜1893年)」、そして当初は「あえて浮浪者、街頭の孤児、娼婦、殺人嗜好者など、折り目正しい舞台劇には登場しないような(しかし貧民街では普通に見かける)キャラクターに着目する」実験演劇を志向した「モンパルナスのグランギニョール恐怖劇場(Le Théâtre du Grand-Guignol、1897年〜1962年)」。だが、こうした系譜は次第に(あえて貧富格差の拡大とそれがもたらす悲劇を黙殺しようとしていた)ブルジョワ=インテリ=政治的エリート階層(および自らの立身出世の為に彼らに忖度する新興産業階層)を告発する内容を帯びる様になってフランス当局の摘発を受ける様になり、やがて原則として「精神病患者や犯罪者の異常心理、および超常現象といった既存社会を脅かす脅威」を荒唐無稽な形で描く表現のみしか許されなくなっていく。
    グラン・ギニョール - Wikipedia

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    モーリス・ルブランの大衆小説「泥棒紳士アルセーヌ・ルパン(Arsène Lupin)シリーズ(1905年〜1939年)」やロマン・ロランジャン・クリストフ(Jean-Christophe、1904年〜1912年)」やマルセル・プルースト失われた時を求めてシリーズ(À la recherche du temps perdu、1913年〜1927年)」の様なベル=エポック時代(1890年代〜第一次世界大戦(1914年〜1918年)開始)の価値観に立脚する「アヴァンゲール(avant-guerre=戦前派)」は、こうした制約をギリギリ擦り抜ける形で生まれた傑作群という位置付け。そして最終的にこの系譜はアプレゲール(après-guerre=戦後派)運動の興亡を経てナチスドイツの統制下、官警の取り締まりを逃れる為にあえて1920年代のパリに舞台を選んだ「天井桟敷の人々(Les enfants du Paradis=天国の子供たち、1945年)へと到達する。しばしば「ナチズムへの反骨精神の結晶」と表現されるが、この分野はそもそもそれ以前からフランス官警の迫害を受けてきた事を忘れるべきではなかろう。
    映画評論 天井桟敷の人々

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③日本でも第一次世界大戦後の1920年代には大正デモクラシーと戦後恐慌の風潮の中で享楽的な都市文化が発達し「エロ・グロ・ナンセンス」と呼ばれる風俗が見られたが、治安維持法が履行されて世界恐慌第二次世界大戦へと至る流れの中で徐々に圧殺されていく。「ハカバキタロー」や「猫娘」には、こうした時代展開の落とし子という側面も存在したのである。
*ちなみに欧米では同時期「(自らの殺人衝動を制御出来ない)狼男」の概念が登場しフランス風サスペンス映画「Cat People(1942年)」の大源流となる。

  • こうした展開自体は右翼(軍国主義者)と左翼(社会主義)が手を携える様に共闘して自由主義を弾圧してきた歴史と重なって来る。 
    *そもそも彼らにとっては動員人数拡大が全てなので、独自の価値観に立脚し安易な政治的扇動に流されない頑迷な守旧派、そもそもそれによる動員が困難な(独自の価値観に従って生きる)犯罪者や狂人やLGBTQA層、(言葉も通じない)外国人放浪者、(常識の範囲外に広がる)超常現象の世界との相性がよくない。逆をいえばこの制約に引っ掛からない限り拒絶する理由もまたない。
    *ただし皮肉にも認識論的構造上「世界全体を一斉に救おうとする」革命思想は既存の神秘主義から派生する形で台頭する事が多く、彼ら自身もそれが政治的動員人数の拡大に利用可能な限り有効活用を試み続けるし、かつ(同じく政治的動員人数拡大を目論む)政敵が真っ先に攻撃の矛先として選ぶ事が多い一方、既存の神秘主義側もこうした展開を自らの箔付けに利用する事が多い関係から「ナチズムとオカルティズムの関係」などが今日なお取り沙汰され続ける事になる訳である。

最近では九井諒子ダンジョン飯(2014年)」に「猫娘忍者」が登場し、しかもこうした「おぞましくもはかない」過去を真正面から見据える骨太の設定で話題に。

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*「東の国」の闇はあくまで深い…

ところで直接の関係はありませんが、MCU(Marvel Cinematic Universe=マーベル・シネマティック・ユニバース)の「ブラックパンサー(Black Panther、2018年)」もビジュアル的に「Cat People(1942年)」の系統を継承している点でやはり「猫系」だったりします。

ただし何故かフランスで大人気の魔法少女アニメ「Miraculous Ladybug(2013年以降フルCG化)」における「シャノワ(Chat Noir=黒猫)」同様、こちらは「猫息子」…

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  • ナイル川上流域のヌビア地方(現在のスーダン)が「岩塩と砂金を交換するサハラ砂漠で栄え、これが古代エジプト王朝を支える資金源となってきた歴史を踏まえ、黒人コミュニティにはこれに自らの大源流を求めてきた伝統が存在する。
    *ヌビア地方…特にエレファンテネ島に設置された神殿群が有名。東ローマ帝国時代にはここがキリスト教普及に抵抗する神殿宗教勢力(イシス信者)の最後の拠点となった。

    特に若者層の間では「アヌビス(Anubis=山犬の姿をした冥界の番人)とバステト(Bastet=雌ライオンの姿をした地母神セクメトから派生した芸能を司る猫神)のカップル」への傾倒が著しい。

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    *とはいえ実はファラオまで出した時期すらあるヌビア人そのものは実は黒人種ではなく、一時期ユーラシア大陸じゅうに遍在したもののナイル川上流域やヒマラヤ山渓や日本の様な孤島にしか残らなかった古モンゴロイド種である事が明らかになっている。これを踏まえて「パズドラ」のバズテトはアジア系っぽくデザインされ、その画像流入は米国黒人コミュニティに動揺を走らせたものである。「文化侵害」はこういう思わぬ形でも起こったりするから厄介。

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こうした伝統を踏まえても、近年における「猫息子」の登場には唐突感しかありません。どうしてそうなった?