諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「戦前最大の無政府主義者」大杉栄も正体はネトウヨ?

実は私、かつてとある日韓翻訳掲示板上で「無政府主義者」大杉栄の思想について説明したところ「何それ、完全に今でいうネトウヨじゃん。21世紀に入ってなお、そんな時代遅れの思考様式に心酔してる事こそ、お前がネトウヨである動かぬ証」と罵られた経験があったりします。確かに言われてみれば…

736夜『大杉栄自叙伝』大杉栄|松岡正剛の千夜千冊

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  • 残念ながら今日の左翼にはインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層出身ながら、それを自己嫌悪するドラ息子が多い。そういった連中は実際の貧民や労働者がいかなる環境下で苦しんでいるかについても、実際には何を望んでいるかについても一切関心がなく、ただ彼らに同情を寄せる自分に心酔してるだけなのだ。親世代の温情主義と一体何が違うのか?」などと語っている。
    *逆を言えば「労働運動の主体はあくまで労働者でなければならぬ」が持論の人で、だからジョルジュ・ソレル「暴力論(Réflexions sur la violence、1908年)」などと密接な関係を有するアナルコ・サンディカリスム運動などに傾倒していったのである。

    アナルコ・サンディカリスムに関するブログ記事まとめ

  • ロシア革命(1917年)におけるボルシェビキの勝利や、彼らが提唱した民主集中制について「それが本当にあるべき革命の最終到達地点でいいのか?」と問題提起している。

    大正9年(1920年)には、上海で開かれた「極東社会主義者会議」に、あらゆる危険をはねのけて単身で出席、日本を代表する形で新生・ソ連邦の代表と渡り合った。この頃からボルシェビキとの対決を強め、帰国後は「アナ・ボル論争(アナーキズム対ボルシェビズム)」の立役者となる。
    *過去の投稿でも繰り返し指摘してきたが、当時は右翼(軍国主義者)も左翼(社会主義者)も「(容易く絶対主義に堕する可能性を秘めた)自由主義は信用ならない」なる信念を共有しており「(最終的に右翼に暗殺された)自由主義者大杉栄は例え左翼に暗殺されても何ら不思議はなかった。この辺りの時代精神Zeitgeist)がちゃんと理解出来てないと、1930年代ドイツにおいて(ソ連コミンテルンより「社会ファシズム政党」ドイツ社会民主党の殲滅を命令されていた)ドイツ共産党ナチスNSDAP=Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei=国家社会主義ドイツ労働者党)と提携関係にあり、そのナチスが(同じ左翼陣営でも無政府主義色の強い)スパルタクス団(Spartakusbund、1915年〜1918年、インテリ階層を中心とする組織)残党や革命的オップロイテ(revolutionäre Obleute、1917年〜1933年、ベルリンの労働組合を中心とする組織)に仕掛けた殲滅戦を笑って黙殺してきた情景が想像不可能になってしまう。
    ドイツ社会民主党(SPD=Sozialdemokratische Partei Deutschlands) - Wikipedia
    ドイツ共産党(KPD=Kommunistische Partei Deutschlands)- Wikipedia

  • 天皇制打倒」なるスローガンについて「そもそも我々社会主義者は、天皇どころかその藩屏たる公家すら倒せない。なにしろ連中ときたら終始ブルジョワ階層の特権に胡座をかき続けていただけじゃない。戦国時代や江戸幕藩体制下においては収入減による恒常的極貧状態に苦しめられ、文化的優位性を切り売りしながら庶民からの同情をしっかり勝ち取ってきたプロレタリアート集団としての伝統まで有しているのだ」なる疑問を挟んでいる。
    *だから大杉栄はヴィニーやゴビノーの様な欧州の貴族主義的ロマン主義者も無碍には切り捨てない。そして「全てを独占する王侯貴族や資本家階層から全財産を奪い尽くして公平に分配し、彼らを処刑し尽くすまで人類平等の理念は達成されない」と考える急進共和派にとって、これほどの裏切りはないのである。

    *実は「ピラミッドを建てたのは石工だ。東大寺を建設したのは大工だ。自分では指一本動かさなかった支配者階層には何の功績もない。そう即座に断言出来ない奴らを皆殺しにして初めて人類平等の理念は達成されるのだ」なんて極論まで耳にした事がある。この理論を突き詰めると最後に行き着くのはナチス同様「一切の退廃芸術性の排除」路線となるだろう。

    *当人はあくまで「天皇制=奴隷制」と考えていた。とはいえ、それはそもそも国際的に中世を支えてきた「領主が領民と領土を全人格的に代表する権威主義的体制そのもの」のほんの一部に過ぎないとも考えていた。彼の視線はむしろ中華王朝の王統交代を冷徹に見据えた魯迅の「奴隷が反乱を起こして主人に成り代わったくらいでは奴隷制は廃止されない」なる指摘と同様にさらなる深淵に向けられており、そしてだからこそ右翼だけでなく左翼からさえも危険視されるに至ったのだった。
    大杉栄 奴隷根性論

    *そういえば大杉栄には歌舞伎評論家という側面もあり、江戸時代の庶民のガス抜きとして幕府が許容した義賊物、すなわち「白波物」を高く評価していた。その一方で江戸幕府は公家に巨悪のイメージを植え付け様と「公家悪」の概念も許容している。これについて大杉栄がどう考えていたか良く知らないが、周囲の女子に「ブロンデ様」と煽てられながら「近代社会における王朝文学の再建」を目指した中二病時代の樋口一葉はこれと自分を重ねていたという(「ワルい男」に憧れるのでなく、それになりたがるタイプ? 小説の師匠だった半井桃水から「井原西鶴でも読み込んで頭を冷やせ!!」と諭されて「たけくらべ(1895年〜1896年)」「にごりえ(1895年)」「十三夜(1895年)」などを残す。中二病時代の試行錯誤が、どうこれらの作品の肥やしとなったか良く分からない)。
    公家悪(くげあく) - Wikipedia

    古典歌舞伎の役柄の一つで、皇位を奪おうとしたり、国政を専断しようとする身分の高い公家を表す。その風体は、頭に金冠を被り、白衣を纏い、「王子」とよばれる長髪を誇張した鬘と、鬚鬘とよばれる顎鬚をつけている。隈は「公家荒れ」と呼ばれる青系統のもの。超人的な力を持ち、権力を操って天下を狙うので、このような独特の扮装で巨悪を表現している。見得をきる時も真っ赤な舌を出して異様な気味の悪さ強調する。江戸時代中期に活躍した初代中島三甫右衛門によって大成された。

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    近年では五代目中村歌右衛門・八代目坂東三津五郎・十三代目片岡仁左衛門・四代目市川左團次などが公家悪に優れた演技を示していた。

まぁ「大杉栄ネトウヨ」と指摘したアカウント、実は「フランス革命最大の成果は国王や王妃まで含む王侯貴族階層の全員を容赦なくギロチンで処刑し尽くした事だ。日本人も自ら喜んで韓国政府に皇族全員を差し出し、彼らの公開処刑の場面を目にして嬉し涙を流すまで、近代国家の仲間入りを果たす事など夢もまた夢」と断言する様な「急進共和派」でもあった訳ですが。

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こうした輩が伝統的に相応の勢力を形成してきたからこそ韓国では代々大統領が逮捕され、処罰され、まさにその歴史こそが左派の間では「韓国が日本より政治的先進国である証拠」とホルホルされてきたという次第…

ここで湧き上がってくる疑問の数々…

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  • 本当に「フランス革命時代1789年〜1799年)」に王侯貴族階層の全員がギロチンで処刑され尽くしていたら「復古王政時代Restauration、1814年〜1830年)」なんてあり得なかった。というかむしろ「全員処刑」に成功しなかったからこそフランスの国際社会復帰が達成されたという側面すら存在したのである。
    *なので最近ではフランスにおいてすら「フランス革命を始めたのは王統簒奪を狙ったオルレアン家で、七月革命1830年)においてその野望は達成された」なる歴史観が蔓延する状況に。

  • そもそもなんで要求内容が「日本人は自ら喜んで皇族全員を公開処刑に付すまで民主主義国家の仲間入りを果たす事はできない」でなく「日本人は自ら喜んで韓国政府に皇族全員を差し出し、その全員が彼らの公開処刑の場面を目にして嬉し涙を流すその日まで民主主義国家の仲間入りを果たす事はできない」なのか。実はこれ(次第に実力を蓄えていく庶民に戦慄し、自分達がフランス革命当時の王侯貴族や聖職者の様にギロチンの露と消えたと消えるのを恐れた)中央両藩階層が日韓併合をむしろ自発的に応援し、なおかつ日本統治時代は朝鮮総督府から受け取る年金で悠々自適の生活を送り、しかも戦後その事実を責められると「嘘をいうな!! 我々こそ大日本帝国を打倒する抗日運動の主導者だったのだ」と言い出して反日運動の急先鋒に立つ様になった歴史と密接な関係があるとされている。彼らは改めて「フランス革命当時の王侯貴族や聖職者の様にギロチンの露と消える」危険に晒されており、それを回避するには代わりに日本の皇族をスケープゴートとして捧げるしかないと思い詰めているのだった。その思考様式の背景には「日本統治下において自分達が華族と認められなかった事への復讐心」の投影も認められるという。
    *まぁ国を問わず「左翼にはインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層出身ながら、それを自己嫌悪するドラ息子 / 娘が多く、そういった連中は現実そのものには一切関心がなく、ただそれに同情を寄せる自分への心酔があるの。親世代の温情主義(paternalism)と何も違わない」なる現実は確実に存在し続けている。それを非難するのが「ネトウヨ独特のひねくれた思考様式」と決めつけるなら、その大源流は「戦前最大の無政府主義者大杉栄であった事実も求めざるを得なくなる次第。

  • 「民主主義先進国」たるフランスにおいてすら同様の社会的葛藤は存在した様で、20世紀前半にはオーストリア知識人の最高峰の一人と目されていたシュテファン・ツヴァイクも、当事フランスで蔓延していた「フランス革命が勃発してしまった主要因は(絶対悪たるオーストリア帝国の女帝マリー・テレジアが送り込んだ悪魔の使者)マリー・アントワネットの傍若無人な振る舞いのせいに帰せられる」なる歴史観に反駁する為に評伝「マリー・アントワネットMarie Antoinette、1932年)」を執筆した事を認めている。欧州貴族社会のフランス革命に対する多種多様な反応を収録したこの物語は、日本においては池田理代子ベルサイユのばら(1973年〜1974年)」の原案として知られる。後にそのアニメ版(原作よりさらに乖離しオルレアン公が全ての陰謀の首魁として描かれた)を鑑賞したフランス人が「これって一体何なの?」と途方にくれた逸話も残る。

    *「民主主義先進国」…この文脈においては故意に「民主主義」が「(赤旗をシンボルとする)急進共和主義」とのみ強制的に同一視されており、英国を筆頭に(今日なお立憲君主制を維持し続けている)欧州諸王国の全てが「民主主義達成以前の野蛮国」と貶められているのである。

どうやら韓国人の有識者層だけでなく、日本の有識者層もその影響を色濃く受けてそうな歴史観…皇帝ナポレオン三世が失脚した1870年までは片鱗も存在していなかった筈なのに、その一方でジョルジュ・ソレルが「暴力論(Réflexions sur la violence、1908年)」を発表した頃には既に「第三共和政1870年〜1940年時代の政治エリート階層となった「ニ百家」あるいは「権力に到達したブルジョワジー」こそ当事そんな階層がまだ存在していなかったにも関わらずフランス革命の主役だった」なる体制側イデオロギーの形をとっており、最終的には「フランス革命が世界を変えたパラダイムシフトを引き起こし、その奇跡がロシア革命に結実した」なるフランス中心史観に結実した何か…

確かにその立場からすれば「大杉栄もその正体は所詮ネトウヨ」なる結論に至らざるを得ない様です一体どうしてそうなったの?