ブログ投稿を続けてきて一番驚いた事。それは「インターネット上を徘徊してる論理検証AIの添削を受け、かつそれが実際に頭の整理に役立った」事…
そう、一番の衝撃は「実際、頭の整理に役立った」事だったのです。しかも指摘内容に特別な慧眼が含まれていた訳でもありません。
*考えてみれば「人類が天動説から地動説に乗り換えるタイミング」でも同じ事が起こっている。
- 「それではこの場合、十分な手を尽くしたとどうやって見定めるべきか?」
- 「対偶の提示内容がブレており、その概念の定義そのものを危うくしている」
貨幣経済が崩壊する1000年後その時人類に起こること – 起業家.com
- 「価値観相対化の限度はどうやって見定めるべきか?」
*ウクライナ…それはヴァイキングが建国し、帝政ロシアにはコサックを、ナチスドイツには武装親衛隊を供給し、ヴォルシェビキの飢餓輸出に際しては人肉食まで強要された過去を有する欧州的価値観の恥部とも?
これはどちらかというと揃いも揃って「裸の王様」において、何の偏見も備えてない子供が「王様は裸です」と答えた様な場面…
まさに、こうした展開をこそ「事象や言語ゲームの地平線としての絶対他者」の介入事案と数えるべき?