諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【FGO】【エンキドゥ(Enkid)】「元話を更新した」なる国際評価まで獲得?

国際SNS上の関心空間においてはFGOにおける「ギルガメッシュGilgamesh)× エンキドゥEnkid)」のカップルが事実上国際的に公式認定されています。もはや「元話を更新した」とまで認められているレベル…
エルキドゥ - TYPE-MOON Wiki

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しかし、この場合の「元話」とは?

バビロニア時代はシュメール語の物語をそのまま書き写してるだけだったのに…中期バビロニアに入ると今の状態に…。

そう、今のギルガメッシュ叙事詩がえらく萌え要素過多になっているのは、古バビロニア~中期バビロニアのあたりでバビロニア人(アッカド人+バビロニア人)がせっせと創作・再編した結果なのだ。バビロニア人の犯行GJだったのだ。

奴隷だったエンキドゥを主人公の親友に変え、さらに「愛する人」とか端々にちりばめ、ただ友達にするのではなく「戦ったあと友情が芽生えた」と少年ジャンプ的設定を付け加え、ギルガメシュの命令で死ぬのではなく、身代わりとなって死ぬというストーリーにしてしまった。

そして新バビロニアに入ると、エンキドゥとフンババが昔知り合いだった、という設定が付け加えられ、戦うシーンでフンババが悲しげにエンキドゥに語りかけたりしている… それが近年新たに発見された粘土板で発見されたエピソード。


うん、なんていうかバビロニア、偉大だな。

そもそも、それまでの「公式設定」ではあまり目立てずにいたキャラなのです。

エンキドゥ - Wikipedia

シュメールの天空神アヌは、創造を司る女神アルルにギルガメシュを諌めるため彼と同等の力を持つ者を作るよう命じる。アルルは粘土をこねて山男を作り、エンキドゥという名を与えると続いて軍神のニヌルタが強い力を授け、野に置いた。
*よく考えてみたら「(特定の目的を達成する為に神々が力を合わせる)ドゥルガーハルモニア=パンドラ」系キャラの嚆矢という側面も。

地上に降りたばかりの頃は毛むくじゃらの体を持ち、獣たちと同じように草を食べたり水を飲んだりして過ごし、獣たちの保護者のようでもあったが、人としての知能はほとんどなかった。一方、エンキドゥに狩りを妨害されたという狩人親子の訴えを聞いたギルガメシュは、神聖娼婦シャムハトを連れて行くようにと助言する。水飲み場へやってきた狩人とシャムハトが身をひそめながら待機していると、3日目になってエンキドゥは獣たちと共にやってきた。獣たちは人の姿を見るなり逃げて行ったが、エンキドゥだけはシャムハトの誘惑に惹かれ、6晩7日に及ぶ「交わり」に及んだ。これによりエンキドゥは、体内にある過剰なまでの精を吐き出し野人性を失っていく。その過程で獣たちから孤立し力も弱くなるが、代わりに知恵と思慮を身に付けた。人語を理解するようになると、シャムハトから飲食や着衣についてなど、人間とはどういったものなのかを教わる。
*国際SNS上の関心空間における(特に女性からの)不人気の原因は、概ねこの「神聖娼婦シャムハト」の存在自体、および彼女に(様々な意味で)こういう仕事を頼むギルガメッシュへの振る舞いへの反感によるらしい。

*そこでまさかの「エンキドゥが神聖娼婦の用紙振る舞いをすっかりコピーする」なんて荒技の投入…これで女性層ばかりかLGBTQA層の関心まで勝ち取った。そう、この辺りのトランスジェンダー性の付与こそが「元話を更新した」とまでいわれる国際人気の主要因だったりする様なのである。

そしてウルクギルガメシュという王がいることを聞いたエンキドゥは、自身と同じような強い仲間が欲しいと思い、積極的にウルクへ赴く。神々の思惑通りにギルガメシュとエンキドゥは激しい戦いを繰り広げたが、対等に渡り合ったことから2人は互いの力を認め合い親友となった。
ギルガメシュとの関係性が親友として描かれるようになったのは、粘土板の翻訳が進むにつれて『ギルガメシュ叙事詩』の内容が改変されていった影響によるものであり、元来その間柄は親友に限ったことではない。時代や書版によっては門番を務める神であったり、ギルガメシュの下僕であったり、親友兼助手であったりと様々である。前述のように後世の物語では力比べをして親友になったとあるが、主従関係であったとする場合、そのように至るまでの経緯は明かされていない。いかなる繋がりであったとしても、2人1組として描写されることが多いのが彼らの特徴である。あれ、誰の話だったっけ?

またエンキドゥは野獣として狩人たちから、ギルガメシュは暴君として民たちから、それぞれ恐れられていた。ところがお互いの力を認め合い親友となったことで、ギルガメシュはそれまでの横暴を改め穏やかさを取り戻し、エンキドゥは泣いたり怒ったりと人間性に磨きが掛かり、2人とも国から愛される強き英雄へと成長していく。このように彼らの関係からは、人が人らしく成長していくためには教養と友人が必要不可欠であることが示され、寓話らしきプロセスが色濃く刻まれている。

そもそも、こうして成長してきたキャラなので、こんな展開も歴史上全然アリ?