諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【1970年代末から1980年代初頭】【商業至上主義】【パンク・ロックとインテリ不良】何が尾崎豊を殺したのか?

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ある意味「イカ天」の再来とも?


三宅裕司のいかすバンド天国(1989年〜1990年) - Wikipedia

TBSで放送された深夜番組『平成名物TV』の1コーナー。1989年2月11日に始まり、1990年12月29日に多くのバンドを輩出して幕を閉じた。「イカ天」が公式な通称であるために「イカすバンド天国」と誤記されることが多いが、「いかす」をひらがなで書くのが正式な表記である。この番組に出場したバンドの総数は846組であった。

毎週土曜深夜に10組(第1回、第2回は12組)のアマチュアバンドが登場し、審査員によってチャレンジャー賞バンドが選ばれて前回のイカ天キング(チャンピオン)バンドと対決して勝った方がイカ天キングとなる。5週連続でイカ天キングを防衛したバンドはグランドイカ天キングとなり、メジャーデビューが約束された。

番組開始当初にはメジャーデビューへの道という話は全くなく、グランドキングになれば48チャンネルのスタジオを借り切って録音ができ、番組でPVを制作してもらえるというだけであった(その後、番組の人気とともにスケールアップしていく)。したがって出場バンドの中にはベンチャーズグループ・サウンズのカバーあるいはプログレッシブ・ロックを演奏するバンドも少なくなく、かつて存在した同様の番組『勝ち抜きエレキ合戦』に出場経験のある中年男性バンドという古強者も登場し、そういうものも含めた学園祭的なにぎやかさも番組制作のねらいの一つであったという(この番組の審査員にベンチャーズ研究家の萩原健太プログレッシブ・ロックの世界で神格化された難波弘之が名前を連ねていた)。

番組は当時爆発的な人気を呼び、1989年の新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞を受賞するまでに至った。1990年1月1日には、日本武道館において前日の第31回日本レコード大賞のセットをほぼ流用するような形で「輝く!日本イカ天大賞」が行われた(この放送は翌日1月2日、23時15分 - 25時15分)。

司会は三宅裕司相原勇(後期にはバンドが登場する直前の「次のバンドはこのバンドだいっ!」というフレーズも人気に)、第1回放送時は三宅と出場バンドメンバー全員による「ヘーイ、セーイ」の掛け声で始まり、この時には「略していかバン天」と言っていた。バンド呼び込みなどのナレーションは関口伸(1989年4月15日放送分から登場。それ以前は三宅か相原による紹介で行われていた)。プロデューサーは元スペクトラムKUWATA BAND今野多久郎、収録スタジオは日比谷シャンテTBSスタジオ(地下1階。現在は映画館「シャンテ シネ3」に改装された)。スーパー・エキセントリック・シアターの若手だった岸谷五朗寺脇康文山田幸伸の「SET隊」が「天ぷらトリオ」と名乗って、前説とオープニング出演していた時期もある。

しかし、1989年に番組のディレクターが麻薬所持で逮捕。1990年3月にも番組の構成作家大麻所持で逮捕される。同年4月、2年目に突入し審査員が交代して以降は人気が急落し、同年8月 - 9月の頃には視聴率が2 - 3%と降下。その後、バンドブーム熱の降下とともに番組は終了した。 

その後2007年12月30日に「あの伝説の番組再び!"イカ天2007復活祭"名物バンド激レア映像 今夜限りの大放出スペシャル」と題し、17年ぶりに復活。

英国パンク・ムーブメントとも重なる部分があります。要するに「素人大量発掘を御題目に掲げて始まったジャンルだった筈なのに後世に名を残す著者ほど、後にジャンル文脈に依存しない形で名声を樹立してしまう」ジレンマ…
パンク・ロック自体は米国ニューヨークのボヘミアン的ロック・シーンが起源とされるが、音楽性が大きく異なる。パティ・スミスはさらなる大源流としてジム・モリソン率いるドアーズを挙げる。

*ある意味、私が長年引っ掛かってきた「1980年代前半の青春搾取ミュージカル映画」にその内容が完全には回収され切らなかった映画「Times Square(1980年)」からYMO「Ballet(1981年)」やジャネット・ジャクソン「Rhythm Nation(1989年)」への不気味な流れとも密接な関係が?


*何この退廃性とファシズム臭…


*歌詞。当時のYMOらしく内容なんて全然ない。


*ボカロ版。拙い。だがまさにそれがパンク魂。


*久し振りに思い出した。「Times Square(1980年)」における「永遠の反逆少女」ニッキー・マロッタがおそらく(苗字から見て)イタリア系であろう事、そして恐らく彼女の存在こそがマーク・ミラー原作、ジョン・ロミータ・Jr作画のアメリカン・コミック「Kick-Ass(原作2008年〜、映画化2010年〜)」のヒロイン「11歳の殺し屋」ヒット・ガール(Hit-Girl)の大源流であろう事を。

映画に見る黒人とイタリア系の関係

*「リズム・ネイション(Rhythm Nation、1989年)」辺りまでくると「究極の個人主義専制の徹底によってしか達成されない」自由主義のジレンマを巡る葛藤がより深まっている。理想を貫こうとする個人的姿勢は、何故か洗練されて純化されるほど全体主義に似てきてしまう?

*そもそも当時流行していた電子音楽そのものにその萌芽はあった?

  • 「ジャンルメーカー」セックス・ピストルズSex Pistols、第1期1975年〜1978年

    セックス・ピストルズ - Wikipedia

    ハードロックとプログレッシヴ・ロックが二大主流の時代、超絶技巧のギターテクニックや、初期の高価なシンセサイザーやスタジオ録音技術を駆使する「スーパー・バンド」とロックファンの間に溝が生まれつつあった点に目をつけたマルコム・マクラーレンが不良少年のアマチュアバンドをプロデュース。シンプルなロックンロール、反体制的な歌詞、斬新なファッション、メディアを意識したスキャンダルの濫発により保守層に喧嘩を売って若者層からの熱狂的支持を勝ち取った。
  • 「二大巨頭の一角」ザ・クラッシュThe Clash、1976年〜1986年

    ザ・クラッシュ - Wikipedia

    セックス・ピストルズと並んで、最も成功したパンクバンドの一つであり、また時代を象徴するロックバンドでもある。デビュー・アルバムは典型的なパンクだったが、徐々にレゲエやダブ、ゴスペル、フォーク、R&B、ロカビリー、ジャズ、スカ、カリプソといった様々な音楽的要素を取り入れ、ついに3作目『ロンドン・コーリング』では独自の個性を確立、シーンに大きな影響を与えた。また、ステージ上での激しいパフォーマンスも人々に記憶されている。「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第28位。

  • 「パンク・ジャンルからの逸脱者」ポリス (The Police、 1977年〜1986年)

    ポリス (バンド) - Wikipedia

    ジャズバンドのラスト・イグジットで活動していたベーシスト兼ボーカリストのスティング、プログレッシブ・ロック・バンドのカーヴド・エアで活動していたドラマー、スチュワート・コープランド、ギタリストのヘンリー(アンリ)・パドゥバーニの3人で結成。後に、元後期アニマルズのギタリスト、アンディ・サマーズが加入し4人編成となるが、ヘンリー(アンリ)が脱退しトリオとなる。当初は、パンク・ブームメントに乗ってデビューしたが、その後は安住することなく、メンバーの音楽的素養を柔軟に取り入れたロックを生み出した。ロックの枠組みの中に、レゲエの要素を加えるという斬新な音楽性は、ホワイト・レゲエとしばしば呼称される(2ndアルバムの"Reggatta de blanc"とは、White Reggaeの意味である)。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」で第70位。

  • 「異国における精神面での継承者」ザ・ブルーハーツTHE BLUE HEARTS、1985年〜1995年

    THE BLUE HEARTS - Wikipedia

    1980年代前半、それぞれのバンドの状態が思わしくなかった甲本ヒロト真島昌利河口純之助の3人は下北沢のバイト先で出会い、Traditional(トラディッショナル)というセッションバンドを行ったり、バンドの事について語り合ったりして飲んだり遊んだりしているうちにお互いに意気投合しあっていった。そして1985年の1月から、それぞれバンドを解散したり脱退したりしていた真島や甲本らは、本気でバンド結成のことについて考えるようになり、1985年2月に、真島と甲本の2人を中心として「THE BLUE HEARTS」を結成。同年4月に初ライブを行うことになった。同年の夏に、彼らのマネージャーとしてバンドに関わっていた河口が前メンバーの替わりにベースとして参加し、翌年の4月ごろに梶原徹也が甲本に加入を懇願し、ドラマーとして参加。結成当初は、渋谷のライブハウス(渋谷屋根裏)を拠点として多く活動していた。1986年、梶原が加入した頃から「面白いバンドがいる」と、話題になり始める。1987年2月に、シングル「人にやさしく」を自主制作で発表。同年、メルダックよりメジャーデビューが決定し、1987年5月1日に、メジャーデビューシングル「リンダリンダ」を発売、同月に1stアルバム『THE BLUE HEARTS』を発表した。口コミなどで、彼らの評判は若者を中心に全国的に知れ渡るようになり、第二次バンドブームの先駆けとなった。半年後に発売した2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』も好調、そして1988年に発表した3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』が50万枚を超えるヒットとなり、ドラマの主題歌などにも起用されるなど、一躍音楽界のトップシーンに登り詰めた。しかし4thアルバム以降は、以前ほどの売れ行きは見せなくなった。その後3枚のアルバムを発表。1995年にラストアルバムを発表し、バンドは解散。

当時としてはズバ抜けて高度な音楽性を誇りながら(なにしろパンク・ブームに仕事を奪われたジャズやプログレ分野のスタジオ・ミュージシャンが復讐の為に結成した様なバンドだったから、技術力は高くて当たり前)、ポリスに対するローリング・ストーン誌などの歴史的評価が意外と低いのは、当時Stingが提供した歌詞世界が「本物の変態ワールド」だったからとも。まぁ、その路線そのものが「青臭く政治に傾倒する反体制派の若者達」を囃し立てる社会風潮に対するアンチテーゼだったという事も忘れてはならない訳ですが。

  • ロクサーヌRoxannue、1978年)」は「史上初の近代的性愛文学」ジョン・クレランド「ファニー・ヒルFanny Hill、1748年)」が元アイディア。
    *それゆえに「売春婦を扱う曲が公共の場に流れるなんて許されん」と反対運動が巻き起こり、目出度く幾度も放送禁止を食らっている。おそらくはポリスを「危険なバンド」として周知させ様とした「計画通り」の反抗。

    ファニー・ヒル - Wikipedia

    「ファニー・ヒル(Fanny Hill)またはある遊女の回想記(Memoirs of a Woman of Pleasure)」はロンドンの債務者監獄に収監されていたジョン・クレランドが1748年に獄中で執筆した小説。最初の近代的性愛文学と見なされており、好色文学に対する検閲との戦いの代名詞ともなっている。

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    題名と同じファニー・ヒルという名の登場人物をめぐる物語である。彼女は貧しい田舎娘で、貧困のために故郷を離れて街へ出ることを余儀なくされる。都会で騙された彼女は売春宿で働かされることになるが、処女を失う前に、恋に落ちたチャールズという男と連れ立って売春宿を逃げ出す。同棲をはじめて数ヵ月後、チャールズは突然父親によって国外へ送り出されることとなり、ファニーは都会で生き延びるために次の恋人を探さざるをえなくなる。

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    本作において特筆に値し、革新的であるとさえいえることは、クレランドの筆致が機知と教養に富んでおり、古典文学的な傍白に満ちていることである。また、ファニー自身がロクサーナやモル・フランダーズ(いずれもダニエル・デフォーによる同名のピカレスク小説の女主人公)とは違って悔悟の念を見せないという特色も挙げられる。彼女は売春宿でセックスの手ほどきを受け、搾取されているという自覚は持ちながらも後悔することはないのである。その上、ファニーは悪女としても振舞ってみせる。娼婦としての彼女は、最低でも貴族階級の裕福な男たちの前にしか姿を現さないのである。サミュエル・リチャードソンやダニエル・デフォーは屈従を強いられた女たちの物語を過去に書いており、彼らは危険でエロティックな情景が繰り広げられているのだと窺わせるに十分な視覚的描写を用いてはいるが、いずれもヒロインたちに女の喜びを得させるものではなかった。彼らはそうした状況に置かれた女主人公に一切の喜びを与えなかったが、クレランドはそれをやってのけたのである。
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    *そして「毒婦にして剣の達人」なる暴力系ヒロイン像の飛躍が日本においてなされてしまう。「お嬢様笑い」を高らかに響かせながら…それが尾崎紅葉金色夜叉(1897年〜1902年)」の「メインヒロイン」赤樫満枝…

    *こうなると全てを始めたのは「ロビンソン・クルーソー(Robinson Crusoe、1719年〜1720年)」のダニエル・デフォーという話に?

    1748年11月と1749年2月に2分冊の形で刊行された。当初、この小説に対して政府はなんら反応を示さなかったが、第1分冊の刊行後1年を経た1749年11月、クレランドと版元の出版者が逮捕され「王国国民を堕落させた」罪で罰金を科せられた。法廷においてクレランドはこの小説を破棄することを誓い、本作は公的に社会から抹殺された。しかし、この本の人気は高まりを見せていたため、海賊版が流布するようになった。特記すべき点は、男性同士の同性愛をファニーが壁の隙間から覗いている場面を描いたエピソードが新たに挿入されたことである。クレランドは問題箇所を削除した修正版を1750年3月に刊行し、この新版のためにまたしても起訴されているが、この告訴はやがて取り下げられた。J・H・プランプなど一部の文学史家は、このときの告訴は「男色」の場面を収録した海賊版に起因するものではないかとの仮説を立てている。
    *なんてこった…英国、18世紀から腐ってやがった…まぁ日本も大概だが。

    19世紀にはアンダーグラウンドで本作が売買されるようになり、アメリカ合衆国でも出回るようになっていたが、1821年に発禁処分を受けた。
    *「ポルノグラフィ弾圧」は19世紀後半のフランスに端を発する。

    1963年にもG・B・プットナムが"ジョン・クレランド作『ある遊女の回想記』"の題で本作を出版しているが、やはり即座に猥褻物頒布の罪で発禁となっている。出版者は法廷でこの処分に対して異議を申し立てている。そして1966年、合衆国最高裁判所は『回想』対マサチューセッツ州事件 (Memoirs v. Massachusetts) に対して、この発禁小説はロス基準(アメリカのポルノ出版業者サミュエル・ロスの名にちなむ。ロス対合衆国事件 (Roth v. United States) で決定された、猥褻文書か否かを判定する基準)を満たさず猥褻文書には当たらないものとするという画期的な判決を下した。

    エリカ・ジョングが1980年に発表した小説『ファニー』では物語がファニーの視点から語られており、登場人物の1人として作中に現われるクレランド自身が、私の人生を小説のネタにするなんてとファニーから文句を言われるという筋書きになっている。

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  • そして「高校教師Don t Stand So Close To Me、1980年)」は「ペドフィリアpedophilia、小児性愛の見苦しい言い訳」。
    *ただし、そもそもロリコンの概念の詳細が欧米では異なってる事もあり「ただしイケメンだから許す」みたいな受容のされ方をしてしまう。

    *そもそも考えてみれば「生徒の方から言い寄ってきた」なる状態、例えば同時代の日本において高橋留美子めぞん一刻(原作1980年〜1987年、アニメ化1986年〜1988年)」辺りで「音無総一郎を追いかけ回す千草響子」「五代裕作を追いかけ回す八神いぶき」と二世代に渡って執拗に描かれていたりする。国際SNS上の「エドガー・アラン・ポー好き女子」の言動を参照するに、どうやら女性を主体に考えた場合「年上の男性が少女を好きになる事自体は許すけど(というか、その気になったらこちら側からもアタックするけど)当人の女性としての成長をちゃんと受容できない変態ペドは私たちが総出で殺す」みたいな 恐るべき一方的コンセンサスも存在する模様。しかもこうした女性層が腐女子層とも重なってきたりするからややこしい …

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    *しかもエドガー・アラン・ポー好き女子が同時に腐女子だったりもするからややこしい …要するに歴史ロマン派の方が本性で、クリストファー・ハンプトン「太陽と月に背いて(Total Eclipse、原作戯曲1968年、映画化1995年)」を視聴して「ぶるるるっ、何とポール・ヴェルレーヌ(演デヴィッド・シューリス)が受けでアルチュール・ランボー(演レオナルド・ディカプリオ)が攻めとは!!」などと感嘆しながら「熟成(すなわち腐敗ではなく醗酵)」を進めてきたグループ。しっかり「X-MEN: フューチャー&パスト(X-Men: Days of Future Past、2014年)」でウルヴァリン(演ヒュー・ジャックスマン)の尻が毛深くなく、つるつるだったのに駄目出しした「尻警察」の一員でもある。

  • 見つめていたいEvery Breath You Take、1983年)」はストーカー賛歌…
    *スティング自身が後に「ポリスは「怖がられながら目が離せないおぞましい感じ」を目指したのに、若者の熱狂的支持を得てしまった。その意味合いにおいて「原点回帰」を目指したのに「だがイケメンなら許す」とかえって気に入られてしまった」と述懐している。

    ポリス 「見つめていたい」 - 花の絵
    *実際に連想すべきは「レッド・ドラゴン(Red Dragon、原作1981年、映画化1986年 / 2002年)」や「Se7en(1995年)」におけるストーカー犯罪者が犠牲者に向ける異様な眼差しだったのである。世間がやっと追いついてきたのは「羊たちの沈黙(The Silence of the Lambs、原作1988年、映画化1990年)以降とも。

  • そして明らかにトドメを刺しにきたのがデヴィッド・リンチ監督映画「Dune1984)」における伝説の「ブリーフ一枚演技」。こうして変態イケメンのイメージの一つが、ある種の完成形に到達したのだった。


    *それにつけても1970年代末から1980年代にかけて、どうしてここまで「イケメンのカリスマのやりたい放題がファンに許容される」展開が相次いだのか自体が謎だったりする。デビッド・ボウイマイケル・ジャクソンの売り出し方も原則としてこれである。そういえば当時は吸血鬼ロックスターのレスタト(演トム・クルーズ)が主人公のアン・ライスヴァンパイア・クロニクルズ・シリーズ(原作1973年〜、映画化1994年)」の全盛期でもあった。何か関係が?

    *上掲の「めぞん一刻(原作1980年〜1987年、アニメ化1986年〜1988年)」についても著者が「響子は誰もが嫌いになる様な最低の性格設定にしたのに何故か気に入られてしまって…」と述懐している。

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    めぞん一刻の音無響子って今だとボロクソに叩かれてるよな? : GOD速報

これだから「インテリ不良の本気の反抗」は恐ろしい…そういえば日本にも1983年12月に高校三年生で在学中デビューを果たし、1992年4月25日に全裸での突然死を迎えた「尾崎豊」なるインテリ不良がいて、彼の存在こそがザ・ブルーハーツなどの台頭を許す和製パンクの時代を準備したと考えられている様です。

*そして時代はどんどんDeepな方向へ…

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド - Wikipedia

1980年にニュー・ウェイヴ・バンドとして結成。グループ名は、フランク・シナトラが音楽界から映画界に進出することを伝える新聞記事の見出しから派生した「都へ出てきて堕落する」というニュアンスの慣用句的隠語に由来する。プロデューサーのトレヴァー・ホーンに見出され、1983年にZTTレーベルからデビューした。

メンバーはホリー・ジョンソン (Vo)、ポール・ラザフォード (Vo,Key)、ブライアン・ナッシュ(G)、ピーター・ギル(Ds)、マーク・オトゥール(B)。Voのジョンソンとラザフォードはゲイであることを公言している。

デビュー曲の「リラックスRelax、1980年)」はSM行為を描写した歌詞内容や排尿音などが問題となり、BBCのほか、多くの国の放送局(NHKも含む)で放送禁止となったが、大ヒットを記録する。バックに使われる強い音は、ホーンが最も強い音と思ったというレッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムのドラム音をサンプリングしたもの(この噂は本人が否定、リンドラムであるとのこと)。 「リラックス」は1980年代を代表するヒット曲としてディスコ系や80's系のコンピレーションCDに収録されていることが多いほか、日本のCMでも使用されたことがある(ヤクルト「レモリア」のCMソングとして使用された際、同社は英国で放送禁止になった曲であることを承知の上、サビの部分だけなら問題ないという判断の下で使用した)。また「水10!ココリコミラクルタイプ」のオープニング曲のほか、映画「ボディ・ダブル」ではこのバンドの出演と共に一シーンのBGMとして使われ、映画「ズーランダー」では重要なモチーフとして使われている。ゲーム「Saints Row: The Third」にも使用されている。2017年には日本のアイドルグループ・9nineによって「Why don't you RELAX?」という題名でカバーされている。

次のシングル「トゥー・トライブス」は当時の米ソ冷戦と核戦争の危機を歌った曲で、全英で9週連続1位を記録した。またロナルド・レーガン大統領とコンスタンティンチェルネンコ書記長のそっくりさんが土俵上で取っ組み合いをするミュージック・ビデオが話題を呼んだ。

ホーンが作り出す時代の先端を行く刺激的なサウンド、話題性の高い歌詞、ゲイであることをアピールしたセンセーショナルなイメージ戦略によってバンドは一躍時の人となったが、それゆえに「トレヴァー・ホーンの操り人形」「ライブではテープを流すだけで演奏もできない」と皮肉られていた。ミック・ジャガーからは「イギリスのヴィレッジ・ピープルだ」と評された。 人気は長続きせず、1987年にジョンソンがグループを離れ、バンドは活動を停止した。

*「ビートルジュース(Beetlejuice、1988年)」「バットマンBatman、1989年)」「シザーハンズ(Edward Scissorhands、1990年)」「バットマン リターンズ(Batman Returns、1992年)」「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス(The Nightmare Before Christmas、1993年)」などを次々と放ったティム・バートン監督や「Vフォー・ヴェンデッタ(V for Vendetta、原作1982年〜1988年、映画化2006年)」「ウォッチメンWatchmen、原作1986年9月〜1987年、映画化2009年)」「リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン(The League of Extraordinary Gentlemen、原作1999年〜、映画化2003年)」などの原作者として知られる英国人作家アラン・ムーアや「バットマンダークナイト・リターンズ(Batman:The Dark Knight Returns、1986年)/ バットマン: ダークナイト・ストライクス・アゲイン(Batman:The Dark Knight Strikes Again、2001年〜2002年)」「シン・シティ(Sin City)シリーズ(原作1991年〜2000年、映画化2005年 / 2013年)」「300(スリーハンドレッド、原作1998年、映画化2006年)」などで知られるコミック作家フランク・ミラーが登場。この流れでアラン・ムーアの弟子筋でスコットランド出身のコミック原作者マーク・ミラーがマーベル・ワールドにおける「シビル・ウォー(Civil War、2006年〜2007年)」を仕掛け、「キック・アス(Kick-Ass、原作2008年〜2010年、映画2010年/2013年)」を発表。

 *そして日本においてはジュリアナ東京で頻繁に流れた事で知られるオランダのテクノバンドL.A.Styleの手になるデステクノ「JAMES BROWN IS DEAD(1991年)」…

*そして新たな変態イケメン像を樹立したプリンスの「Gett off(1991年〜)」  …「これはミック・ジャガー直伝の尻の動き!!」とネット上の「尻警察の皆さん」が分析してた。

ある意味、この流れこそが国家間の競争が全てに優先した総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)を終わらせた「欧州の国際的影響力の回復」そのものでもあった訳ですが、日本におけるその展開は「ソ連崩壊1991年12月)」「バブル崩壊1991年3月〜1993年10月)」「角川春樹逮捕1983年8月)」「サリン散布事件1994年〜1995年)」「阪神淡路震災1995年)」を経て一時的縮退を迎える事になったのでした。

こうした経緯から「なろう小説の一般ジャンルへの(再)進出」には、ある意味どうしても「当時挫折した夢への再挑戦」という側面がつきまとう様なのです。しかし現在はとりあえず虚淵玄がメイン脚本を手掛けた「仮面ライダー鎧武2013年〜2014年)」の名セリフ「教わらなかったのか? 何故悪い子に育っちゃいけないか、その理由を。嘘つき、卑怯者…そういう悪い子供こそ、本当に悪い大人の格好の餌食になるからさ!!」を地で行く展開を迎えてる様にも見えます。
*なんせ原点というべき「Times Square(1981年)」における「若者の味方を自称する青春搾取DJ」ジョニー(演ティム・カリー)」VS「永遠の反逆少女」ニッキー・マロッタ(演ロビン・ジョンソン)の戦いからしてとんでもないハイレベルだったし、当時をプレイヤー側で最後まで生き延びたのもデビッド・ボウイやスティングやマイケル・ジャクソンやプリンスといった真性変態イケメンばかり。

この頃、まだ『ジギー・スターダスト』のLPを聴くことは出来ず、音楽雑誌でちょっとした知識だけが増えてゆくなか、何かもどかしさを感じながら、でも夢をみていたような頃。ルー・リードの曲が聴きたくても廃盤だった。この『タイムズ・スクエア』で初めて聴いたのだ!!『ワイルドサイドを歩け』☆ボウイがプロデュースしたアルバムでバックヴォーカルでもお声が聴ける。あとロキシー・ミュージックの『セイム・オールド・シーン』は暫く耳に残っていたくらい印象的だった。後にプリテンダーズやキュアー、XTCパティ・スミスラモーンズゲイリー・ニューマンまで流れていたと知る。

さて、地獄の釜を開けてしまったなろう小説の世界、これからどうなる?