英国の誇るMommy Porn(発売後3か月で3000万部を突破。これは『ハリー・ポッター』シリーズを上回る最速記録)E・L・ジェイムズ「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ(Fifty Shades of Grey、2011年書籍化)」に、岩明均「寄生獣(1988年〜1995年)」の「後藤さんの全裸ピアノ」シーンがあったのを思い出しました。御丁寧にもきっちり原作通り「身体能力を研ぎ澄ますのにちょうど良いんだ」的な台詞までセット…笑いが止まらなくなってしまい、先に進めなくなってしまった人が私も含め続出したものです(だから続きは全然知らない)…なにしろ、まさかの「性的消費される後藤さん」ですよ!! 誰が興奮しながら続きを読めるっていうんですか?
イギリスだってエロ本のゾーニング出来ているわけではないのだから、BBCが「ニッポンの萌え絵キモチワルイ……」と報道するのは、単純に自国(西洋)の文化を基準に他国の文化を未開で野蛮なものとして扱うオリエンタリズムですよね。
— 柴田英里 (@erishibata) July 4, 2018
萌え絵の美少女を「男性による女性への性的搾取であり、女性に害を与えるもの」と決めつけるような報道は本当にいい加減やめてほしい。萌え絵産業には女性が多く携わっているし、女性のファンも多い。それに、レイプや人身売買みたいな表現は男性向けより女性向けのレディコミやティーンズラブに多い。
— 柴田英里 (@erishibata) July 4, 2018
もちろんこれは「レディコミやティーンズラブのレイプや人身売買描写をなくせ」と言う意味ではない。フィクションの中で描かれる欲望は守られねばならないし、「男の欲望は野蛮で悪い/女の欲望はきれいで良い」という間違ったジェンダーバイアスは無くすべきだ。https://t.co/tALoXV9Tqz
— 柴田英里 (@erishibata) July 4, 2018
レディコミやTLでは、読者女性の客体的ナルシズムを刺激する(権力者が盗まざるをえないくらい尊い女性)ためにレイプや人身売買が描かれ、男性向けエロマンガでは、読者男性の客体・自己防衛的欲望を刺激するために幼馴染みの美少女が家宅侵入し犯しにくる。読み手に都合の良い欲望という意味では同じ。
— 柴田英里 (@erishibata) July 4, 2018
エロマンガがアングラサブカル表現の登竜門ではなくなり、抜き利用に特化すればするほど、読者にとって都合の良い欲望がストーリー性を削ってでも多く描かれるようになり、それに関して男女の差はない。https://t.co/veJXDKh42y
— 柴田英里 (@erishibata) July 4, 2018
「なんの取り柄もないごく普通の私(主人公女性)がある日突然アラブの大富豪(イケメン)に人身売買され求婚されました」「なんの取り柄もないごく普通の俺(主人公男性)がある日突然幼馴染みの美少女や憧れの美女に襲われて付き合うことになりました」という話は、どちらも主人公・読者に都合の良い話。
— 柴田英里 (@erishibata) July 4, 2018
上掲の「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」について国際SNS上の関心空間に滞留する匿名女子アカウントが「この程度で興奮出来るなんて、英国人ってお安いね」と小馬鹿にしてたのを思い出しました。映画化もされましたが評価は実に微妙…
配役については……グレイ氏が非実在的設定であるにしてももうちょっと誰かいなかったのか、とは原作ファンの誰しもが思うところなのでしょうけれども、あのねPVがね、あのほら2014年度再生回数トップを記録した公開前PVでのグレイ氏の初出がですよ、あれがいちばん上手く撮れていない画で、“もうちょっと誰かいなかったのかな? もうちょっとギリシャ彫刻系のクールビューティが……?”ってPV時点で思っちゃったのを引きずりつつ本編観はじめたわけですけど、実際動いてるところを見るとまあギリギリかな? ギリギリだな、あっ、今のは良かった、今のはグレイだった、あこれは違うグレイじゃない、あでもグレイ……、グレイ? あっ、あっ、グレイ、いや今のは全然、でもこれはグレイだ? んっ、んんっ???、とかギリギリのボーダーラインを行ったり来たりする彼をいちいち判定しながら鑑賞していたらですね何だかむしろドキドキしてきてしまいました。これは新種の吊橋効果なのでは?!
せめてエイドリアン・ライン監督映画「ナインハーフ(NINE 1/2 WEEKS、1986年)」超えは狙ってくると予測してたんですが、全然駄目だった様です。
こんな時代に、本当に一体誰がどこで「男の欲望は野蛮で悪い/女の欲望はきれいで良い」なんて信じ込んできたのやら…