諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【スペクタクル映画とは何だったのか?】車椅子少女、国家主義への熱狂を経て宇宙(そら)へ

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これまでの投稿で述べてきた「総力戦体制時代1910年代後半〜1970年代?)」の終焉過程を巡る重油な指摘…

そもそも忘れられがちな重要ポイント。それは総力戦体制時代にはカール・シュミット流の「敵友理論」によって峻別されていた「科学的マルクス主義ほぼ「スターリン主義」と同義?)」と「(同様に宗教や伝統的価値観への依存心を意思の力で超克しようとしたロシアン・ボルシェビクズムやイタリアン・ファシズムやドイツ・ナチズム」といった全体主義思想間の対立構図が、もはや現代人には理解不可能となっているあたり。

すると実はこういう問題が浮上してくるのです。

ジョン・フォード監督の米国映画わが谷は緑なりき1941年)」…「怪我で障害を負ってふてくされていた子供が、親しい人達に励まされてリハビリの努力を開始し、やがて大自然の中で機能復活を果たす 」エピソード映像化のオリジナル。

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阿部豊監督あの旗を撃て1944年)」…戦時下(昭和18年(1943年)1月~昭和19年(1943年)3月)大日本帝国が「アメリカ文化が浸透し、ハリウッド映画を見慣れていたフィリピン人」を対象に封切りした国策映画の興行成績トップは「あの旗を撃て」(137770人)、「ハワイ・マレー沖海戦」(50165人)、「阿片戦争(47719人)」「支那の夜(47644人)」。恥も臆面もなくハリウッド映画をそのままパクったのが成功の理由だった。
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マルキスト高畑勲監督の手になるTVアニメアルプスの少女ハイジ1974年) 」…原作から宗教色を排除しようとした結果「自らの精神的弱点を克服して車椅子生活から脱却するクララ」が最も有名なエピソードとなる。しか別作家の手になる原作「ハイジの青春 アルプスを越えて」を映画化した「チャーリー・シーンのアルプスを越えてCourage Mountain、1989年)」においては「(宗教にすがる人間的弱さの意思の力による超克」を達成したクララは成人後、なかば必然的にナチス)へと傾倒していく。
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*【注】実は映画「ハイジの青春(Courage Mountain、1989年)」第一次世界大戦中という設定らしく、クララの国家主義者への変貌は「ナチスへの熱狂」でなく「ヴィルヘルム皇帝を戴くドイツ帝国への熱狂的忠誠心の表明」が正解となる模様。

川原礫アクセル・ワールド2009年〜)」…「家族間の甘えの克服」「人間の心を病ませる都会と精神的健康を回復する場としての田舎生活」「宗教にすがる人間的弱さの意思の力による超克」といった伝統的構図がリアリティを失った結果、この系統の物語文法が「健常者<身体上の障害や精神的トラウマを抱える人々<表面上は普通にしか見えないが心の奥底に闇を飼う選ばれし者達」なる中二病御用達の世界観において「宇宙進出ロマン」と結びつけられる。実際「アクセル・ワールド」の主人公ハルは「車椅子の師匠」倉崎楓子に「(東京タワー上で貴方の重力の軛から抜けたい感情は大気圏を越え宇宙まで届いたんです」と指摘。そう、彼女のアバターの真の意味は…

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 げに恐ろしきは「生存バイアス」。我々は歴史上どんな通り道を辿って今日に至ったかなんて、かくもあっさり忘れ去ってしまうものなんです?