映画『リベリオン』だ。格闘技"ガン=カタ"が話題になる作品だけど「芸術」が禁じられた未来社会がテーマなんだよね。すべての戦争は感情の高ぶりから生まれる。文学も絵画も音楽も、人を感動させるものは危険であり平和のために取り締まるべきという社会。そこで"美"に目覚めてしまった主人公の反乱。 pic.twitter.com/qtEbtjWLfL
— ジロウ (@jiro6663) August 8, 2018
や、まあ、そもそもの元ネタは「本」が禁じられた社会を描いた『華氏451』なわけですが。 pic.twitter.com/vnldnZAOxP
— ジロウ (@jiro6663) August 8, 2018
「華氏451(Fahrenheit 451、レイ・ブラッドベリ原作1953年、フランソワ・トリュフォー監督映画1966年)」も「 リベリオン(邦題REBELLION、原題Equilibrium、2002年)」も集立(Ge-Stell)システム(後期ハイデガーいうところの「特定目的達成の為に手持ちリソースを総動員しようとする体制」)の顕現として第一に「国家主義(それも「戦争遂行装置」としての側面)」に強く拘泥しつつも(国際サイバー戦争の「戦後」を描くTV系サイバーパンク文学や「マトリックス(The Matrix)三部作(1999年〜2003年)」を経て)「集立(Ge-Stell)システムとしての個人」とそれが対峙する展開へと次第に移行していきました。
そして次の段階では「(各個人の集立(Ge-Stell)システム性を犯罪的クラッカーから守る)正義の国家権力」なる概念が浮上してきます。「 ロックマンエグゼシリーズ(2001年〜2009年)」に「PSYCHO-PASS サイコパス・シリーズ(2012年〜)」…
その都度、人間は原点すなわち「戦慄と崇高が同居する宗教的体験」に立ち返り、やがてそれとの決別を余儀なくされてきた?
それはある意味、南アフリカがトールキン文学からブロムカンプ監督映画の間に経た「(西ローマ帝国を滅ぼした蛮族が何時の間にか地中海世界より繁栄して世界最大勢力へと変貌していく)西洋史的展開」の再来だったとも。
どうやら2000年代は、こうした観点からも振り返る必要がある様なんです?