諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】言語ゲーム(Sprachspiel)としての「死神システム」について

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男子が心の奥底のどこかで「ファム・ファタールFemme fatale、運命の女。大抵は男性を致命的破綻に追い込む)」との邂逅を求めている様に、女子も心の奥底のどこかで「オム・ファタールhomme fatal、運命の女。大抵は接近相手を致命的破綻に追い込む)」との邂逅を求めているとする説もあります。しかし女性は男性より生存本能が強いので、実際には別の男性を生贄に捧げて自分は傍観者に回るのを好むので「腐女子」概念が成立したという考え方もまた存在するのです。

いずれにせよこうした妄想の行き着く果ては究極の意味での死のエクスタシー、すなわち「死神との邂逅」となる様です。

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 アズラーイール (アズリエル、アズラエル、イズラーイール、Azrael)- Wikipedia

イスラム教において死をつかさどる天使で、片手には全ての生者の名を記した書物を持ち、人が死ねばそこから名前が消える。姿形は非常に恐ろしく、全身に無数の目、口、舌を持ち、人の罪を見、語り、裁くのだと伝えられる。

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民間伝承では、彼がアーダムを創ったといわれている。「アッラーフがミカール、ジブリールイスラーフィールアズラーイールの四天使に、四方から七掴みの土を集めて人を創るよう命じられたとき、アズラーイールだけがそれに成功した。というのも、彼は人の肉体と魂を分けるすべを心得ていたからである。」この伝承も、アズラーイールが「人の魂を司る」という職種であるからこそ、生まれえたものと解釈できる。または、その力は人を創造するよりも死なせる方により役立つため、創造後に彼はアッラーフから人間の死を管理をする役目を仰せつかったのであるとされる。また冥王星に関連づけられ、蠍座天蠍宮)の天使ともされる。

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その一方で瀕死者の前には「魂を持ち帰る仕事をやりやすくする為」天国を連想させる林檎の芳香を漂わせつつ、対象の創造し得る「最も麗しい姿」で現れやさしく声をかけるとされている。まさに「魔王Der Erlkönig、ゲーテによる作詞1782年、シューベルトによる作曲1815年)」の世界だし南米のインディオ伝承にも類似例があるらしい。

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「(限られた命しか持たない美しき生者が永遠不滅の暴力に陵辱される」というテーマは「野ばらHeidenröslein、ゲーテによる作詞1799年、シューベルトによる作曲1815年)」「死と乙女Der Tod und das Mädchen、シューベルトによる作曲1817年)、「ますDie Forelle、シューベルトによる作曲1816年〜1821年)とも共通する。世に認められる以前で教師を本業とする兼業作家だった時代に集中するのは当時の心理状態の反映とも。

こうした発想の起源は共通してイスラームやドイツ起源というよりユダヤ伝承起源と考えられている。

死を宣告し、魂を天国か地獄へ連れ去る任務を帯びる天使。旧約聖書には、神がこの天使に死をもたらす力を委任したとある。

本来は恐ろしい表情をしているとされるが、生きている人間を騙し、或いはなだめて魂を渡させる為にさまざまな姿になるので様々な名称・姿形が伝えられる。ただ、人前に現れる際は放浪者の姿をとることが多いようではある。

ユダヤの伝承ではしばしば冷酷に魂を奪い去る存在として描かれるが、直接魂を奪うのではなく、人の死の間際に居合わせただ死を見守るだけ、とされる事もある。また死の天使の訪問を受けた人間がその事実を認めず争い騙し合ったり、哀れみを覚えた死の天使が別の機会に訪れようとする伝承もある。

与えられた任務の重要さからすると、その行動基準にはブレを感じさせるが、それも天使が「完璧」ではないことの証左なのだろう。彼ら天使たちもまた、神の命を果たそうと行動しているにすぎないのだ。

ユダヤ人は概ね天使サマエルいまだ死の時期に達していない立法者(トーラー)モーゼの前に訪れ逆襲されて盲目となってしまう)と同一視する。キリスト教徒では「霊魂を霊界に導く先導者」のミカエル、イスラム教徒ではアズラエルとなる。他に死の天使として挙げられるのは堕落した天使も含め、モーゼを飲み込む天使アフや、メタトロン、ヘマハ、カフジエル、ケゼフ、マシト、マラク・ハ・マヴェト、イェフディア、イェツェル・ハラ、「滅ぼす者」奈落の王:アバドン(アポリオン)、女大海魔レヴィアタン、サタン、サマエル、イブリースなど。

ユダヤ教/キリスト教の伝承に登場する天使あるいは堕天使。しかしその名称については混乱しており、スリエルSuriel)、アラジエル(Araziel)、サラカエルまたはザラキエルまたはゼラキエルSaraqael、Sarakiel、Zerachiel、Zerachiel)、サムイル(Samuil)等々の多くの異名も伝えられる。名の意味も、「神の命令」を意味するとされる事が多いものの、異説が多く確定的でない。

聖書正典には一切登場しない。聖書偽典の一つエノク書ユダヤ教キリスト教主流派から偽典とされてはいるものの、エチオピア正教および1993年分派したエリトリア正教では旧約聖書正典とされ、また偽典にもかかわらず新約聖書正典(ユダの手紙)に引用されている)ではシェムハザという長に率いられた「見張り番ギリシア語でἐγρήγοροι(エグリゴリ)=見張るの意)」の天使達200名の一員とされ、監視役にもかかわらず人間の娘たちに欲情し誰も裏切らぬように密約を交わした上で、神に無断で人間を妻に迎え子供までもうけ、自分達の知識を伝えてしまう。サリエルも月の運行についての知識を与えたとされ、そでで俗伝でも月と関連付けて語られる事が多い。後世の伝承で堕天使扱いされる様になったのはこのせいとも。また死海文書(クムランの洞窟で発見されたエッセネ派が遺したものと考えられている文書群)における「光の息子たちと闇の息子たちとの戦いでは「兵士たちの盾に刻まれた四つの名前のうちの一つ他の三つの名前はミカエル、ラファエル、ガブリエル)」とされ、当時は「四大天使」の一角を為していた事をうかがわせる(ウリエルもそうだが「火水土風」のうち「土」を司る天使は冥界王の伝承を吸収したり人間臭くなり過ぎて切り捨てられる事が多い)。

俗信では人の魂を見守り、人間が過ちを犯して魂を汚さない様に監視する役目を持っており、死者の魂を天秤に掛けて天国に送るべきかどうか裁定する天使とされることもある。また、神の掟に背いた天使の運命に責任を持っているといわれ、神の法を軽んじた天使を裁き堕天させる役目も持っているとされることもある。

また時として「死の天使」として扱われるが、これはユダヤ伝承でその役回りを与えられたサマエルと名称が似ているため混同されたか。エノク書バージョンによってはサリエルにあたる天使の名が「アラジエル」となっており、この名がイスラム教における死の天使「アズラエル」と似ていることも混同の元になった可能性がある。「死の天使」として扱われる場合、いわゆる西洋の「死神」のイメージに影響されてか絵画などでは黒いマントを羽織り、魂を狩る大鎌を持った姿で描かれることもある。これまで裁いてきた天使たちを思い、血の涙を流していると設定されることもある。

また邪視(evil eye、見つめただけで相手を呪い、身動き出来なくしたり怪我や病気や不幸を与えたり、果ては死に至らしめることまでもできる魔力)を退ける能力を持つと同時に自らも邪視能力を備えるとされる。

 サマエルについて

ヘブライ語の「毒(sam)」に由来するサマエルは、ユダヤ教においてサタンと同一視されている天使。 アジアの恐怖の神、サマナがその前身であるとも考えられています。

ヨナタン訳聖書の『創世記』では、エデンのイヴを騙して知恵の実を食べさせる蛇の代わりに死の天使 サマエルが登場。ユダヤ教の伝承では蛇と密接に結びついた敵対者、誘惑者として描かれ、イヴを直接誘惑 するのではなく、そうするように蛇を唆したとも言われています。

また、1945年に発見されたナグ・ハマディ写本と呼ばれるキリスト教グノーシス文献郡の「アルコーン」の教え では、サマエルの素性を「盲目の神」と説明し、アダムとイヴを創造して、性欲をはじめ様々な形質を 条件づけたという。

ギリシャ語バルク黙示録』では、エデンの知恵の木はサマエルが植えた葡萄の木とされる。サマエルは エデンに葡萄酒をもたらしたことで「毒の天使」と呼ばれた。酒に溺れ、酔いつぶれることは神の栄光から 遠ざかることであり、己のみを永遠の火に委ねることだという。このため全能の神(エル・シャダイ)の怒り を買い、彼と彼の植えた葡萄の木を呪う。サマエルは嫉妬の念からアダムを欺き、葡萄酒の味を教えた。

大洪水が地上を一掃した後、大地再生に着手したノアは、エデンから投げ捨てられていた葡萄の蔓を見つけ、 天使サラエルを通して神の許可を得、地上に植える。葡萄の苦さは葡萄酒となることで、甘さに変わり、 呪いは祝福と変わった。

ローマ・カトリック教会と東方キリスト教会において、葡萄酒はイエス・キリストの血そのものと考えられています。 しかし、『バルク黙示録』ではサマエルとアダムの罪から生じたもので、これを通して善いものを打ち立てる ことはできないと強調されているので、これは執筆当時における飲酒の習慣に対する著者の警告だといいます。

バート・ヘンリー・チャールズの『イザヤの昇天』の中で、天使と共に昇天した預言者イザヤはサマエル 率いる堕天使達と神の軍勢の戦いを目撃しているが、サマエルはここで敵対者(サタン)とも呼ばれています。

十三世紀末に出現したカバラの奥義書『光輝の書(ゾハール)』において、「毒と死の天使」サマエルは 悪魔の君主、悪魔の十位階の第八位を示す名前として登場。大淫婦たる妻イシェト・ゼヌニムと、この二者が 合一した獣とで地獄の三位一体をなすサマエルは、サタンと同一の存在だと推定されます。悪魔の君主と大淫婦、 そして獣の組み合わせは『ヨハネの黙示録』に見られるもの。カバラの秘儀において、魂を形成する三つのパーツ、 ネシャマー、ルアク、ネフェシュは組み合わせ次第で善なる天使ミカエルにも、悪の理念を体現するサマエルにもなる。 人間は善の業(カルマ)と悪の業を併せ持った存在です。
これらの文は『「堕天使」がわかる』坂東真紅郎[著]、『「天使」がわかる ミカエル、メタトロンからグノーシスの天使まで』森瀬 繚[著]を引用

死の天使は存在しますか?

「死の天使」という概念は複数の宗教に存在します。「死の天使」は、ユダヤ教ではサマエルサリエル、またはアズラエルとして、イスラム教ではマラク・アルモートとして、ヒンズー教では ヤマ、あるいはヤマラージャとして知られており、また大衆小説では死神として知られています。様々な神話において、死の天使は マントをまとい釜を手にした骸骨姿をしたものから、美しい女性の姿や幼い子どもの姿をとるものまで、色々な姿で想像されています。細部に違いはあるものの、その中心にある考えは、人が死ぬ瞬間に現れる存在があり、実際に死をもたらすにせよ、単に死を観察するのみにせよ、それは人の魂を死者のすまいへと連れて行く目的を持っているというものです。

この「死の天使」という概念は、聖書の中では教えられていません。死をつかさどったり、あるいは人が死ぬときに常に居合わせたりする特定の御使いがいるとは、聖書のどこにも示されていません。列王記 第二 19:35には、イスラエルに侵攻したアッシリア人18万5千人を一人の御使いが殺したことが描かれています。中には、出エジプト記第12章にあるエジプトの初子の死を御使いの業として見る人たちもいます。これは考えられなくもないものの、その初子の死を御使いに帰する記述は聖書中どこにも見られません。いずれにせよ、聖書には、主の命令に従って死をもたらす御使いたちの描写はあるものの、ある特定の死の御使いがいるとはどこにも示されていません。

神、そして神のみに、私たちの死のタイミングを決める力があるのです。神が命じるまでは、いかなる御使いも悪魔も私たちを死に至らせることは決してできません。ローマ人への手紙 6:23とヨハネの黙示録 20:11‐15によると、死とは分離、つまり私たちの霊魂が私たちの肉体から分離(肉体の死)することであり、未信者の場合には神から永遠に離されること(永遠の死)となっています。御使いたちには死をもたらすことができるし、彼らは死後に私たちの上に起こることに関与するかもしれませんが、死そのものは出来事であって、御使いや悪魔や人間、あるいはその他の生き物ではないのです。

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DCコミックヒーローのアズラエルAZRAEL)は、秘密結社聖デュマス騎士団に代々仕える暗殺者。

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本名ジャン=ポール・ヴァレー。ゴッサムシティに住む情報学科の学生だったが、ギャングの暗殺に失敗し瀕死の重傷を負った先代のアズラエルである父から引き継ぎ、四代目アズラエルとなる。胎児期に施された強化プログラムである「システム」によって短期間の訓練で高い戦闘能力を得る。

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ロビン(ティム)、アルフレッドと共に攫われたブルースを救出し、バットマンファミリーとの繋がりを得る。暗殺者としての運命を否定しクライムファイターとしての道を歩む。

ベインによってバットマンが瀕死の重症を負った際、バットマンの任務を引き継ぐ。当初はロビンと行動を共にしていたがやがて暗殺者としての自我が暴走、単独行動を取るようになる。ゴッサム市警のゴードンを訪ねた際、ブルースであれば必要な情報を得たと判断して話の途中で姿を消しているタイミングで帰らずに居てゴードンにびっくりされるという失態を犯す。

システムの導きにより殺傷力の高いガントレットを、さらに全身のコスチュームを刷新、ベインとの決着を付け、ロビンと完全に決別。復帰したバットマンと戦い、敗北。バットマンアイデンティティを返上し、アズラエルとして活動を再会。中東へ旅だったあと行方不明になり、ブラッケストナイトの時期にはいつの間にか死亡していたことが判明。マーベルコミックスパニッシャーとの一度目のクロスオーバーの際のバットマンは彼である。2011 年のリランチ以後抹消。

 ネットではこれに日常系漫画のしろ「ヤマノススメ2011年〜)」の不思議系ヒロインここなちゃんを重ねる投稿がしばしば見られる。人呼んで「死神ここなちゃん」…

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*この台詞を目にした時「あと一歩で火の鳥」と思った記憶…

それでは逆サイドはどうだろうか。折原臨也や槙島聖護というより「Free!」のマコトとも。実際そういう投稿を見掛けた事もある。

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*こちらサイトはまさしく「CV櫻井孝宏」の世界?

*そして「死神マコト」…

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どうやら「この人に満面の笑顔で死なんて恐くなんかないんだよと言われたら生き続けるのを諦める」という辺りがセレクトの鍵になってる模様。

トグサは9課の中でも最も生身の人間に近く(義体化した部分が少なく)、妻と娘がいる。トグサがヤクザとの銃撃戦の後「自分の妻や娘の顔が思い浮かんでしまった」とつぶやくと、バトーは、それはお前にとっては死神だなどというようなことを言う。

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事件を解決し、無事に家庭に帰ることのできたトグサは、お土産にと人形を渡し、玄関口で娘を抱き上げる。このシーンは、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』『イノセンス』を通した唯一の幸せのシーンである。ある意味、人間=トグサが、それまで散々後塵を拝して来たバトーに対して優越感を抱く場面と言ってもいい。それは、バトーには決して味わうことの出来ないシーンだからだ。

何故かあだちとかの漫画「ノラガミ2011年〜)」のセリフ「人の何かに縋りたい願望が神様を生むなら、神様は一体何に縋ればいいの?」「人間にとって死は生存の終了に過ぎないが、神にとっての死とは忘却され最初から居なかった異にされる事だ」を思い出しました…

ところで私はこれまで後期ヴィントゲンシュタインいうところの言語ゲームSprachspiel)を、歴史的には複数の集-立(Ge-Stell)システム(後期ハイデガーいうところの「特定目的の為に手持ちリソースを総動員しようとする体制」)の境界線が「滲む」形で生まれたとイメージしてきました。ここまで挙げてきた「死神システム」は、まさにその典型例といえそうなんです。

  • まずそれは全体として前期ヴィントゲンシュタインいうところの論理哲学において「語り得ないものについては沈黙せざるを得ない」領域に分類される。全くの認識外ではないものの、人類はそれについて整合的に語る手段を持ち合わせていない。だからユダヤ経典では(正典としての整合性を保つ為に)関連描写を含むテキストを全て外典に追い出すという手段を用いざるを得なかったのである。また「(キリスト教文化圏において散々物議を醸してきた煉獄システム」や「(魂は解脱に至るまで延々と輪廻転生を繰り返すと見做す)アジア的冥界観」との相性も悪い。
    エノク書 - Wikipedia

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  • とはいえ「人間の理解を一切超えた超越的存在」として絶対唯一神を想定し、完全にその命令によってのみ従う道具として描き切る立場に立てば(当事者を一切の思惑から解放された)合理的存在、「死が決定した人物に如何に速やかにそれを受容させるかに徹底した」集-立(Ge-Stell)システムの一種として描写出来なくもない。「イスラム文化圏の死神アズラーイールAzrael)」「(原作大場つぐみ・作画小畑健の漫画「DEATH NOTE(2003年〜2006年)」における死神リューク」「メキシコなどで死者の日を司る冥界神」「死神ここなちゃん/マコト」はこの次元に浮かび上がってくる「合理的存在」といえよう。

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  • いずれにせよ世界宗教の神と比べ異教徒の土俗信仰色が強く、その判断基準の非合理性をあえて問わない領域に「(産褥に苦しむ妊婦に死という安らぎを与える存在でもある死神モリガン」「(天災の象徴ながら惚れた相手は生かす雪女」「(やはりしばしば死なせるべき相手に惚れて至高神ヴォーダンの判断を裏切る戦乙女ワルキューレ」といった中間的存在が立ち現れる。

    モリガン(Mórrígan) - Wikipedia

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    *日本のTV時代劇「必殺シリーズ(1972年〜)」が立脚するダンディズムの世界でもある?
    必殺仕掛人(1972年〜1973年) - Wikipedia
    必殺仕事人 (1979年〜1981年) - Wikipedia


  • さらに「(本来なら絶対的命令者として人間の理解を一切超えた超越的存在」との境界線まで滲むと「(一見絶対悪の顕現にしか見えないが、実は絶対正義の実践システムの一環を担っている、サマエルやルシファーやメフィストフェレスといった魔王」が(しばしば自分より神に愛されている事への嫉妬から)人間の死に介入してくる展開を迎えるのである。

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    *もちろん、かかるアンヴィバレントな存在の顕現がもたらすのは救いばかりとも…

要するに「特定戦略に従って生存を模索するサバイバル体系」としての集-立(Ge-Stell)システムにとって、その枠外から虎視眈々と侵食の機会を狙い続けているアウトサイダー達は良い意味でも悪い意味でも絶対に共存不可能の相手といえる訳です。

ただし体制側が全く無力のまま過ごしてきたという訳でもなく「スンニ派古典思想」あるいは「ガザーリーの流出論」と呼ばれる「神の叡智そのものは無謬だが、現実世界に流出する過程で矛盾が累積し、遂には「互いに絶対に相容れない正義同士の対立」や「」の概念が生じる」と考える認識システムの登場によって人類は大幅に助けられてきたとも言えるのです。

ところで今日では日本においてすら忘れ去られてしまったものの「主人公と妹の禁断の近親相関ロマンス」「何の救いもない天使同士の内ゲバ」「それら全てが神の計画の一部かもしれないという絶対矛盾」を軸に物語が展開し、国際的にも高い評価を得たのが由貴香織里天使禁猟区Angel Sanctuary、1994年〜2000年)」だったりします。

「『政治的に正しいビルドゥングス・ロマン』としての少女漫画」_Bookreview_Tenkin
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*日本の中二病概念の大源流にはCLAMPと併せこういう恐るべき絶対矛盾が暗躍していた?

人間の生き様が集-立(Ge-Stell)システムとして成立するのは「(全ての判断を神の裁定に委ね、自らをその実践者としてのみ規定した神の道具」あるいは「君の生命を愛するな、また憎むな。ただ君が生きる人生を善く生きよ。長きにせよ短きにせよ、天に許された生をミルトン「失楽園Paradise Lost、1667年)」)」なるバガヴァッド・ギーター的態度に徹した場合のみという絶対矛盾…

死神システム」とは、かかる薄明の領域に暗躍するミステリアスなプロトコルという認識でとりあえずはOK?