新宿西口で「アベ政治を許さない」ポスターを置いて、みんなでフォークソングを合唱しているご老人たちがいたけど、あれはキツイ。街宣右翼よりもキツイ。
— 平河エリ@読む国会 (@yomu_kokkai) September 15, 2018
昔民青や共産党にいた自分にとってはこのお年寄りたちは自分より少し上の「心はいつも青年」な方たち。
— /宮城タカオ\ (@takmyg0306) September 15, 2018
「現代の若者たちはシールズなど創意工夫をこらした新しい政治運動をやっておる。ならば私たちは私たちの世代のやり方で」というその動機が想像つくだけに余計にツライいです。
それはそれで民俗学的に貴重なサンプルなので、是非とも記録しておくべきじゃなかろうか。 https://t.co/cKolSKwVxP
— 松浦晋也 (@ShinyaMatsuura) September 16, 2018
フォークゲリラも蘇民祭なんかと同じところにやってきたか。
— 松浦晋也 (@ShinyaMatsuura) September 16, 2018
あ、こういう世代なんですね。
《〈和〉folk song+guerrilla〈スペイン〉から》ベトナム戦争中の昭和43年(1968)ごろから大阪・東京などで自然発生的に始まった学生・市民の反戦集会。当初、若者グループが、警察に追われると別の場所で集まって歌うという状況であったのを、マスコミがゲリラにたとえてよんだとされる。
駅前広場などに集まり、反戦的なフォークソングなどを歌った。集会は次第に大規模となって、東京新宿駅西口広場での参加者は1万人にもなり、それまでにも警告を出していた警察は、昭和44年(1969)6月、機動隊を導入し排除。逮捕者の出る事件となった。以降、運動は下火となる。
まあ軍歌の右翼もフォークゲリラも「自分の好きな音楽をみんなが好きとは限らないことに気が付いていない人」というくくりでまとめておけばいいと思う。反原発デモのサウンドカーなんかも同類。音楽は好悪が激しくでるので、でっかい反発食らう可能性が高いが、そこは気が付いていないらしい。 https://t.co/b6iIifI6nX
— 松浦晋也 (@ShinyaMatsuura) September 17, 2018
みんな(一般に解釈されるところの往来にいる不特定多数の大衆)に向けてやってるわけじゃないからなーあれ。カーゴカルトの祈祷に近いと思う。街宣右翼もフォークゲリラも https://t.co/1mubpieyrD
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) September 18, 2018
街宣右翼は軍歌を流せば軍歌が歌われていた時代や価値観が降臨すると思ってるし、フォークゲリラはフォークを歌えばフォークが盛んに歌われていた時代や価値観が降臨すると思ってるんですよ。そしてやってるうちに仲間との一体感を確認する儀式と化す
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) September 18, 2018
こうして「宗教」あるいは「神話」が誕生する?
彼らはあれが本当に「応援」になってると思ってるのよ。
— 孔悠鬼@正直・公正 (@kongyouguai) September 15, 2018
もちろん「居場所」的部分も否めないけど。
いわば世代で見たとしても、文化の隔絶が起きている。
そして当人たちはそれに全く気付いてない。
時が止まってる。
説得を試みて諦めたことがある。 https://t.co/LdDUWntnxp
「あの世代」の党員や支持者がみんなそうってわけじゃないし、専従の人でそういうのは見かけないから、やっぱり文化の隔絶、時間の停滞があるんだと思う。
— 孔悠鬼@正直・公正 (@kongyouguai) September 15, 2018
全共闘(反戦フォークゲリラ)と共産党って仲悪かったんじゃなかったっけという突っ込みは置いといて、かつて足を運んだ枝野さんのオープンミーティング会場でもそういう人多々いましたねぇ。質疑応答で己の自説を延々とまくしたてる人が後を絶たずイライラするというかいたたまれなくなりました(笑)
— あかかもめ (@ydfbIDp2xc2titA) September 15, 2018
質問風自説開陳おじさん、ですね……。
— 孔悠鬼@正直・公正 (@kongyouguai) September 15, 2018
はい。それなりに論理が通ってればまだいいのですが、とにかくめちゃくちゃで聴いてるこちらが恥ずかしくなってくる。これが嫌で足が遠のきました(選挙の手伝いはちょくちょくしてましたが)
— あかかもめ (@ydfbIDp2xc2titA) September 15, 2018
70年安保闘争時のフォークゲリラの連中が年金生活に入ってヒマになってるんですね。
— レッコ (@reccoe) September 16, 2018
で、またぞろ這い出して来たということなんでしょう。
フォーク爺はキモいから反アベに来るなってツイートが主におサヨク方面の賛同でバズってるけどそんなに不寛容でええのんか。
— dada (@yuuraku) September 17, 2018
最近の「リベラル層のモンスター化」って、過去の記憶の改竄を重ねるうちに完全に自分が元来何者だったか見失い、それでも「自分達だけが一切過去を改竄してない正しい歴史を刻んできた」という確信だけが残っている(ただし実際に記憶に残っているのは断片化によって矛盾だらけとなったイメージの寄せ集めに過ぎず、それが何か説明する事自体が出来ない)結果なのかもしれません。
そもそも(共産党や社会党の元来の支持層たる)旧左翼と(彼らへの反抗心から学生運動に没入した)新左翼は、(米国的モラルに共鳴して「二丁拳銃探偵」物や、ハレンチ学園の永井豪「ハレンチ学園(1968年~1972年)」などを叩いてきた)PTAと(太陽族映画や日活アクション映画のエロスとバイオレンスに熱狂した)フーテンは、全く妥協の余地の見えない対立関係にあった筈なのに、何時から「最初から巨悪と共に戦ってきた仲間」だった事になり混じり合ってしまったのでしょう?
こうした「真の歴史」を取り戻して総括する事によって「偽りの過去」から解放されない限り、リベラリズムの再建は不可能かもしれません。