「裸が見たいんじゃない。筋肉が照覧したいのだ」。私が国際SNS上の関心空間に屯(たむろ)する匿名女子アカウントの大群から仕入れてきたこの台詞、実は一箇所ちゃんと説明しないといけない箇所がありました。「照覧」なる訳語をどこで思いついたか。実は原文の多くが、多少の揺らぎがあるにせよ概ね「(視覚を通して)敬意を払いたい / 元気をもらいたい」といったニュアンスだったのです。
*一応「観賞用(熱狂する対象)と実用(実際の恋愛対象)は別腹」なる慣用句も存在するが、同時に「誰も私達が本当に見たいものは供給出来ない(だってそれが何か知っているのは私達自身だけなのだから)。自力で摑み取った分が全て」なんてマルコムXの名言をもじった慣用句も浸透している。
一方「照覧」とは、要するに古代エジプトや高句麗彩色古墳や高天原古墳の壁画における発想、すなわち「神様が生きていく為の要求は(壁画に描かれる食事や信徒が自ら楽しんでる場面で)視覚的に充足される形でも満たされる」現象を差します。「元気を補充される」というニュアンス自体は英語のLook upにもありますね。
自らの視線が脊髄反射的に尻の動きを追随してしまう事について、彼女達は内省を重ねれば重ねるほど自らの食欲と性欲の区別が出来なくなっていくばかりか「きっと私達は捕食動物だった顔、逃げ散る獲物の尻を眺めて「どれが一番捕まえやすそうか」とか「どれが一番美味しそうか」とか瞬時に判断していたの」「そうか、私達の先祖はイケメン男子にほだされて嫁にきた化猫か何かだったんだね」なんて結論に到達。
いずれにせよ、こうした話を始めるとダンベルをブンブン上げ下げしながらマッチョな小泉八雲先生やコナン・ドイル卿が墓穴から蘇って来てしまいます。さらに背後で手引きしてきたのが夏目漱石と江戸川乱歩…
古代ギリシャ彫刻にみる並外れた肉体美について永く自問してきたラフカディオ・ハーンは「(羞恥心がない時代だからこそ)愛の直観を通して、彼らは人体についての神々しい幾何学的観念の秘訣を発見したのです(チェンバレン宛書簡)」なる結論に到達し、自らも10キロのダンベルで体を鍛えることを怠らなかった。
街道沿いでは、小さな村を通り抜けざまに、健康的で、きれいな裸体をけっこう見かける。かわいい子供たちは、真っ裸だ。腰回りに、柔らかく幅の狭い白布を巻いただけの、黒々と日焼けした男や少年たちは、家中の障子を取り外して、そよ風を浴びながら畳の上で昼寝をしている。男たちは、身軽そうなしなやかな体つきで、筋肉が隆々と盛り上がった者は見かけない。男たちの体の線は、たいていなめらかである。
夏目漱石も同様にオーギュスト・ロダン(1840年~1917年)やアントワーヌ・ブールデル(1861年~1929年)の様なフランス自然主義彫刻を嫌い「古代ギリシャ人はただ単に裸を彫ってたんじゃない。人体から抽出可能な最も美しい曲線を崇拝対象としてたのである」と書き残している。
1900年にイギリスに留学していた文豪・夏目漱石は、ユージン・サンドウの存在を知り、興味を抱きました。サンドウに手紙を送り、「サンドウの鉄アレイ術」を購入したようです。
そして、自宅に器具を備えて筋トレをしていた。それはエキスパンダーのような器具で、背中や腕をトレーニングしていたようです。
過日、NHKのとある番組で紹介されていたとのことです。
そして江戸川乱歩の小説においても、男性の肉体美の賛美に際しては「ギリシャ彫刻の様な」なる表現が乱用され続けたのだった(ただしこれは有閑マダムの「おほほほほ」笑い同様、当時の流行を取り入れただけだったのかもしれない)。
「ボディビルの生みの親」ドイツ人も、やはり筋肉を誇示しながらグイグイ肉薄…
ボディビルを通じた健康思想で世界征服を夢見た「近代ボディビルの父」ユージン・サンドウ(Eugen Sandow、1867年〜1925年)。彼が1901年9月14日、イギリス・ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催した世界最初のボディビル・コンテスト"グレート・コンペティション"にはアーサー・コナン・ドイル卿も参加しており、大きな成功と多くのファンを獲得した。
そういえばシャーロック・ホームズ物の一作「恐怖の谷(The Valley of Fear、1914年)」において、ホームズは被害現場においてダンベルが1個しか発見されなかった事から「もう一個は窓の外の水堀に証拠品を沈める錘(おもり)として利用されたに違いない」と推理する。事件があったのは1880年代終わり頃とされているので登場が早過ぎる気もするが…コナン・ドイル卿自らがボディビル文化の世界伝播の広告塔の役割を果たして来た事実を思えば、こっそり歴史を改変しようとする試みの一つとも?
*当時を彩る「赤ちゃんこそが貴方のダンベル」「雑巾掛けで上腕二頭筋を鍛えましょう」なるパワーワード。もちろん健康思想を通じての世界征服を夢見たボディービル文化が「女性を一方的鑑賞者に置き続ける」怠慢を犯す筈もなかったのである…あぁ「ゆったりした服を着ようね」みたいなアドバイスの機嫌でもあったんだ…
そもそも元来はスポーツそのものが宗教的供儀の一種だったとも。
古代の著述家、または古典著述家達は競技試合の発展、もしくはその起源すらも宗教的儀式にあったと述べている。ホーメロスの競技についての様々な記述にも、それが礼拝に欠かせない一部だったとする記述がある。
ギリシャ・ローマ時代の遥か以前より(特にレスリングや体操といった肉体美の誇示を主目的とする)競技は、特定のネテル(男神・女神)に敬意を捧げる形で遂行されてきたのである。
そもそも集-立(Ge-Stell)システム(後期ハイデガーいうところの「特定目的達成の為に手持ちリソースを総動員しようとする偏執的体制」)の起源そのものが宗教的供儀であり、だからこそ常に最初の時点から「全てを単一システムには捧げない心の余裕=宗教的陶酔の完遂を妨げるノイズ」として徹底嫌悪されてきたとも。
ところで近代以前の日本で「筋肉」というとこれ…
インドで成立した仁王像(執金剛神像)はバジュラパーニとよばれた。その姿はヘレニズムの影響を受けており、西洋のヘラクレス神像に原型が求められるようである。
その後中国に移入され、仏法の守護神としての威容を表わすうえに装飾品や天衣などの中国的要素が加わって、中国独自の仁王像として完成された。それは中国に伝来以来、時代と共に次第に変化し、北魏時代からは仏法の守護神としての威容を表わすために髻、憤怒の顔、威嚇するポーズなどの表現がみられるようになる。
北魏のスリム形仁王像が六朝時代を経て、徐々に筋肉隆々とした逞しい姿になっていくが、唐時代ではその表現が誇張・装飾化された形となり、より一層の力強い写実的表現となった。
唐代の影響を強く受けた韓国や日本でも、中国の仁王像のリアルな人間の美的表現の影響がみられる。韓国では、石窟庵の仁王像にみられるように、筋肉の形や天衣などに韓国独自の表現がされている。
日本では、天平時代の仁王像には唐の影響がよく反映されているが、それ以上にはげしいポーズや表情などもみられ、体型やプロポーションにおいて、より充実した表現が認められた。鎌倉時代には、天平への復古を目指しながらも新たな中国(宋)の影響によって、生身に近い、生きているかのような仁王像が造られるようになった。この仁王権には、人体解剖学的に理解しにくい表現も散見されるにも係わらず、仏の守護神としての力強さや美しさが感じられる。それは美術解剖学的には成功した表現によると考えられる。
あまり露骨に女性の追求するエロティズムとの関連が浮かび上がってきません(男装してこっそり女子禁制の相撲を鑑賞する女子の姿が様々な記録に残されているので皆無ではなかったが主体的語り手として登場する事はなかった)。はっちゃけたのは(集-立システムとしての自認が成立したのは)一応近代以降となるのかな?