諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【現状確認】実存不安の解消を望まないのは「若者」の特権?

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とりあえずこのサイトは「実存不安の解消は望まない。それがある場所こそが現在自分が生きてる場所」というスタンスを貫いてきました。

絶えざる実存不安から決して解放される事のない不安定かつ不完全な世界観」こそが科学実証主義の立証地点。

この状態を虚無主義英Nihilism、独Nihilismus)と上から目線で軽蔑し「さらなる安定感」を求め人々は必ず何らかの形で宗教の領域に足を踏み入れる事になるが、本物の宗教家となれるのは、そのうち後者の立場に理解を示しつつも前者の状況の直視をやめない、決して現実から目を逸らさない、ある種の「精神的超人」に限られる。

*現在「精神的超人」の言葉から連想されるのは「たとえ世界が滅んでも絶対に妥協しない男」アラン・ムーア原作漫画「ウォッチメンWatchmen、1986年〜1987年、映画化2006年)」のロールシャッハ

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ウォッチメン 俺、ロールシャッハを語る | ヒネモスノタリトバーテンダー

*「戦争馬鹿」平野耕太HELLSINGヘルシング、1998年〜2009年、アニメ化2001年〜)」の「少佐」。

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少佐台詞のオリジナル

*こうした「少佐」の言動から「戦争こそが人類を進化させてきた」とし「詩人によっても業火によっても救済されてしまうのが我々さ(We will either be saved by the poet or by fire.)」などの数々の名言を残した魔術的リアリズム文学者エルンスト・ユンガー(Ernst Junger 1895年~1998年)を連想する向きも。

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*そういえば宮下英樹センゴク(2004年〜)」で「戦力拮抗状態こそが天下静謐なり」と主張する上杉謙信も同類?

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宮下英樹「センゴク(2004年〜)」 - Wikipedia

「史上最も剛強にして最も不可思議な男(第二部7巻寸評)」上杉謙信。『権兵衛』では織田を傘下に入れた羽柴と同盟を結ぶ。当初は、手取川の合戦での上杉家を描くかどうかは定かではなかったが、NHK大河ドラマ上杉謙信を扱った『天地人』が放送されたことで、描かれることになったことが『天正記』単行本15巻のあとがきで書かれている。

通称は不識庵ふしきあん)。幼名は長尾虎千代。元は長尾弾正少弼景虎、政虎、輝虎と名乗っていた。上杉家当主。かつて武田信玄川中島で激闘を繰り広げた。三人称では「御仁」と呼ばれる。

合戦を続けることによる人の世の発展を「義」「天下静謐」として掲げ、同時に合戦を愉しみ自身の充足を埋めている。常に無表情で発する言葉は非常に短く、かつ抽象的でいかようにも解釈できるため、周辺国はもちろん側近ですらその真意を量れず苦労することもあり、気まぐれで矛盾極まりない政策をとる「不可思議な人物」とされている。

弾雨の中を平然と一騎で駆け抜けるなど信長に匹敵する狂気をのぞかせる一方で、敵対者ですら一瞬で魅了するほどの魔性めいたカリスマ性を持つ。また自ら見回りや偵察を務めるなどし、天性の勘によって高度な戦術を繰り出す。手取川の合戦では柴田勝家率いる織田軍を打ちのめすも、戦乱の火種を残すために織田軍を敗走させるにとどめ、訝しがる家臣団に、合戦を続けることで人も国も成長していくという独特な価値観を「静謐」として語った。その際自身の後継者をあえて指名せず、後継者争いですら自身の語る静謐に利用しようとしていることを伺わせて家臣団を戦慄させ、それは現実に御館の乱の伏線となっていくことになる。その後間もなく病に倒れ、自らの人生の本質はただその合戦を受け止められる相手を求め続けるのみのものであったことを、毘沙門天と語らいながらに自覚し逝去した。

*「異世界から虐殺者として放逐されてきた魔王に惚れてしまった、自らは何の特殊能力も備えてないただの女子高生」和ヶ原聡司「はたらく魔王さま!(2011年〜)」の佐々木千穂。「自らの願望(自分の周囲の人間が全員仲良くなる)を第一に考えて行動し、着実に成果を挙げていく野心家」という側面もあり、魔王側と勇者側の対立を仲裁したり、異世界で魔法が尽きた後の備えとして料理や弓術を伝授したりする。「自分が伝えたことが後世に与える影響(特に弓術は魔法が尽きた世界では確実に狩猟や競技だけでなく殺し合いにも使われる)が怖くないのか?」という質問に「私は自分の生きてる世界で自分なりの理想を追求するのに精一杯。後世の人間もそうしたらいい」と答えている。そう、これって「(必死で視野外要素やアルゴリズム上の誤謬も探しつつ)あえて数理に全てを委ねる」現代社会のあり方そのものという次第。

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こういう立場で通すのって、疲れ果て、年をとり、頭が硬くなっていくほど難しくなっていく?  そして、こうして人はカール・シュミッツの政治哲学が理想視した様な(そしてジョルジュ・ソレルが「暴力論」の中で議会制民主主義と資本主義のシステム的欠陥と指摘した)「(可能な限り長く憎み続けられる政敵を見出し続け、これを滅ぼす同盟の形成過程で指導原理を確定し、その寿命が尽きたらこれにも政敵の烙印を貼って放逐し続ける無限党争状態の持続」以外への関心を失っていく?