諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【私がエビデンス】「ドラマやゲームにおける戦争描写」こそがトランプや安倍の狂信者増殖の温床?

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ちなみにこうした発想の大元はガブリエル・タルド模倣犯在学や、これを下敷きにイエズス会の修道士が書き起こしたHays Code(the Breen Office Production Code、1930年制定、1934年〜1968年履行)にあるとされていますが、そこには「犯罪者はロンブローゾの生来的犯罪人説が指摘する様に遺伝的にではなく、当事者を取り巻く生活環境によって再生産される」とか「(トーキー化やカラー化によってより大衆への影響力を増す映画界は、ギャングやその情婦の刹那的生涯ではなく、幸福な結婚や政治家や検事や弁護士や保安官や医師や教師といった秩序の番人をこそ理想視させるべきであるましてや犯罪の手口の頒布に加担するなど言語道断)」とあるだけで「子供の視界から武器や暴力を完全に隠蔽し尽くす事で犯罪や戦争が未然に防げる」とか「同性愛者やSM愛好者の様な異常性欲者は物語展開上必ず自業自得で悲惨な最後を遂げて鑑賞者の勧善懲悪概念を満足させねばならない」なんて一言も言ってないのですね。

果てさてそうした発想は一体どこから紛れ込んで来たの?