Youtubeのリコメンド機能は本当に面白いです。各時代の音楽を聞き返してると、当時はすっかり聞き逃していた音楽を再紹介してくれるのです。
クラウス・ノミ(Klaus Nomi, 1944年〜1983年) - Wikipedia
ドイツ・バイエルン州インメンシュタット(Immenstadt)出身の歌手/パフォーマー。本名はクラウス・シュペルバー(Klaus Sperber)。そのスタイルはオペラ、ニュー・ウェイヴ、ディスコ、ダンスなど多岐にわたる。AIDSで死亡した最初の著名人としても知られる。
少年時代にマリア・カラスに影響され、ソプラノ歌手を志す。1972年にベルリンの音楽学校を卒業後、ニューヨークに移住する。ここでは歌手活動の傍らホテルのパティシエもしており、菓子作りの腕は職人並でケーブルテレビなどで紹介されたりもした(得意な菓子はライム・タルト)。
1979年頃からデヴィッド・ボウイのバックコーラスとしてパートナーのジョーイ・アリアスとともに脚光を浴びる。そして1981年にはファーストアルバムの「Klaus Nomi」、1982年には「Simple Man」をリリースするが、このころにはHIVに感染しており「Simple Man」がラストアルバムとなってしまう。
1983年8月6日夜、AIDS発症のためジョーイ・アリアスに看取られながら39年の短い生涯を終えた。ノミの遺灰はニューヨークの街に撒かれた。
死後、その存在を知る者はきわめて少なくなり表舞台からは完全に消えたと思われていたノミだが、2005年には関係者などの証言などを集めたドキュメンタリー映画「ノミ・ソング(The Nomi Song)」が製作、上映され、再び注目を集めた。
私が長年拘泥してきたのは「サタデー・ナイト・フィーバー(Saturday Night Fever、1977年)」と並んで「青春搾取映画(Youth Exploitation movie)」の嚆矢とされる「タイムズ・スクエア(Times Square、1980年)」の世界観(すなわちニューヨークにおける富裕層が多く住む華やかな都会的なマンハッタンと、ブルックリン橋を渡ってすぐ広がる「労働者の街」ブルックリンの映画「メトロポリス(Metropolis、1926年製作、1927年公開)」的対比)と、そのOP曲によく似たメロディラインを備えたYMO「BGM(1982年)」の退廃的な冒頭曲Bulletの狭間に横たわる何かだったりします。
おそらくこの問題に関わってくる当時の重要イベントは以下の3個。鍵を握るのは当時を一瞬だけ席捲したある種の欧州的ダンディズム…
- デビッド・ボウイがシック(Chic、1977年〜)のナイル・ロジャースと組んで「Let's Dance(1983年)」をリリース。
- 坂本龍一の耽美ダンディズム路線が細野晴臣や高橋幸宏のテクノポップ路線と対立しYMO(1978年〜1983年)が「散開」に追い込まれる。
- 「デビッド・ボウイの熱狂的ファン」にして「ニューロマンティック音楽の創始者」にして「YMOの欧州への紹介者」でもあったスティーブ・ストレンジがブーム終焉後、活躍の場をイビサ島に移す(1980年代後半以降)。
はてさて、1970年代後半のドイツでは一体何が起こっていたのか?
セックス&ピストルズのシド・ヴィシャスがフレディ・マーキュリーと顔を合わせる都度「おい、まだバレエは演らねぇの?」と揶揄していたというパンクな逸話同様、ブライアン・シンガー監督映画「ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody、2018年) 」から完全に削除されてしまった歴史的断章の一部…