諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【顕密体制の崩壊】韓国政府とデフレ信仰の暴走の共通点?

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政府は、韓国最高裁判決後の国際法違反の状態を是正しないまま問題の責任を日本に転嫁しようとする韓国の文在寅政権に対し、菅義偉官房長官を中心とする関係閣僚会議で効果的な対抗措置の検討を加速させつつ、日韓請求権協定に基づき要請した政府間協議に応じるよう韓国に迫る方針だ。

自民党が11日に開いた外交部会・外交調査会合同会議で挙がったように、対抗措置として、長嶺安政駐韓大使の召還のほか、韓国人への短期滞在査証(ビザ)免除措置の撤廃や就労ビザの発給制限、韓国への特定物資の輸出制限などの検討が進められている。

香港は、中国本土で産地偽造事件などがあった場合、直ちにこういう「強硬措置」を実施し、対応策が打ち出されるまで継続するといいます。「そういうシステムになってるだけ」と周知させる事で互いの面子の張り合いによる問題長期化を防いでいるのですね。当然「謝罪の要求」なんて「東アジアの伝統」に照会してもっての他…

レーダー照射事件における日本政府の態度がまさにそれとも?

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*実際「植民地時代の搾取に対する補償金」なんて支払った宗主国なんて地上に存在しない。さらには最後の「置き去り資産の接収」問題、穿ると「アメリカ占領軍による占領政策の一貫性のなさ」とか「連合軍内でも突出したソ連軍の悪行」みたいな問題まで再浮上してくるので日韓双方がそっと蓋をしたという側面も…

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確かに日本のマスコミの報道も滅茶苦茶なのです。

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  •  (韓国政府による認定条件の滅茶苦茶さはとりあえず置くとして)戦時徴用者に対する給金未払い問題についての個人的請求権が消失していないのは事実。ただし、そもそも韓国政府は日本政府がまとめて手渡した「戦時徴用者に対する未払い給金」を対象者それぞれに手渡しておらず、その請求先は当然韓国政府となる。
  • この考え方への反対者は、そもそも日韓基本条約日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約、1965年)において「日本政府は韓国政府に対して北朝鮮への補償分もまとめて手渡した」とされた事実そのものを覆したがっている。そういう人物を司法機関に送り込んだのは文政権なのに「三権分立の観点から、韓国司法の決定は国際的条約に優先する」と主張してる訳である。
  • そもそも当時も今も韓国政府には「戦時徴用者に対する未払い給金の個人的請求権」を正面から受け止める財力がないので「日本政府に請求しろ」という話にしたがっている。さらにこうした振る舞いの背後には「(ここで強引に韓国側の意見を通しておいて、さらに北朝鮮と国境正常化に伴う日本政府から韓国政府が預かった筈の補償分も日本政府に改めて支払わせたいそうしないと韓国政府が終了してしまうから)」という腹積もりが見え透いている。

こういう話、「集-立(Gestell)システム後期ハイデガーいうところの「特定意図を達成する為に手持ちリソースを総動員しようとする体制」としての韓国政府」に注目すれば自然と浮かび上がってきますね。

こうして全体像を俯瞰してみると「矛盾を抱えたままの問題先送りが、後代の理解不足で次第に破綻していく」展開の典型例かなという気もしてきます。

要するに、国家間の競合が万事に優先される「総力戦体制時代1910年代後半〜1970年代)」に構築されたある種の顕密体制が崩壊しつつあるのが現代という次第。

顕密体制 - Wikipedia

歴史学者黒田俊雄が提唱した日本の中世宗教体制に関する学説。岩波書店日本中世の国家と宗教』(1975年)で「中世における顕密体制の展開」というタイトルで発表した。

戦後の中世仏教史では、旧仏教である南都六宗と平安二宗(天台宗真言宗)は対等な存在として対立的または排他的な関係のもとに併立しているとの見方が大勢を占めていた。

それに対し黒田は、文献に現れる顕密(当時は一切の仏教を表現する用語)という言葉を用語化して顕密体制論という学説を提唱した。

実際に日本中世において正統と見なされた宗教は、平安時代以来密教を基軸に統合された顕密の仏教であり、旧仏教八宗は併立していたのではなく、密教に見ることが出来る鎮魂呪術的信仰という共通の基盤の上に密教の絶対的・普遍的真実性を前提とした競合的な秩序を形成していたものであるとし、延暦寺などの旧仏教系寺院が、このような秩序を保ちつつ国家権力と密着し、正統な宗教としてのあり方を固めた体制が中世を通じて見られたとするのが顕密体制論である。

この理論により、戦後見られた鎌倉新仏教を中世仏教の代表と見なす見解に対し、旧仏教が中世仏教の本流であるという認識が生まれた。また、黒田の提唱した権門体制論の国家像を前提としながら、政治社会史全体の構図の中に仏教を取り入れることにより、仏教史に新たな視点を追加した。

こうした顕密体制には独特の闇の部分も含まれ、それが次々と顕密体制の「」の部分から引き摺り出され陽光を浴び、消失を余儀なくされているとも?

ああ、やっと「左翼再建」の道筋が見えてきた?