80年代へのノスタルジーといえばアメリカで日本の80年代シティポップが流行ってるという話もあって、面白いのがアメリカの若者は自国の消費し尽くされた過去の記憶にもはや純粋なノスタルジーを感じることができなくて代わりに他者の記憶にノスタルジーを求めてるという指摘https://t.co/SmGA96tWnc
— kizawaman02 (@euthanasia_02) January 13, 2019
それでは、どの辺りが聞かれているかというと… 国際SNS上の関心空間でピックアップされていたのは以下。
大貫妙子(Taeko Ohnuki)「4:00 A.M.(1978年)」
山下達郎(Tatsuro Yamashita)「夜の翼(Nightwing、1979年)」
山下達郎(Tatsuro Yamashita)「Rainy Walk(1980年)」
松下誠「september rain(1981年)」
間宮貴子(Takako Mamiya)「真夜中のジョーク(1982年)」
パイパー(Piper)「SUMMER BREEZE(1983年)」
角松敏生(Toshiki Kadomatsu)「Step Into The Light(1984年)」
竹内 まりや(Mariya Takeuchi)「Plastic Love(1985年)」
山下達郎「 マイ・ベイビー・クイーン(My Baby Queen、1986年)」
まさしく「わたせせいぞうの世界」だ…あと何故か、まつもと泉「きまぐれオレンジ☆ロード(1984年〜1987年、ただし1986年から1987年まで約1年間休載)」や筒井康隆原作今敏監督アニメ映画「パプリカ(2006年)」の画像と結びつけて語られていたりする模様。
要するに、そういう形でクリストファー・ノーラン監督映画「インセプション(Inception、2010年)」風のパサージュを構築している様なのです。
日本人の認識は、こうした「何もかも書き割りっぽく胡散臭い」世界観の背後に「誰が裏でそう見せかけ様としてるのか?」を問う方向に発展してきました。しかしその一方では、そうした観点を一切気にしない「観光客(およびそれに立脚し「ヒッピー世代のアメリカ人相手にオープンカーのフェアレディZを輸出する」といったビジネスを展開する商業始業主義)の視点」が存在したという次第。
そうとわかれば、この辺りのR&Bやソウル・ミュージックがお得意の韓国音楽が動かない筈がなくて…
そうさ、常に隣の芝は青いのさ…
主にシンセサイザー等の電子楽器を多用した、4/4拍子で、BPMが120〜160前後の速いテンポの楽曲である。
元はヨーロッパで1970年代より流行していた「ユーロ・ディスコ」、またイギリスで1980年代前半に登場し、その後ヨーロッパ全土で流行した「Hi-NRG(ハイ・エナジー)」、そして同時期にイタリアで生産されヨーロッパ大陸を中心として流行した「イタロ・ディスコ」に端を発しており、1980年代中頃よりヨーロッパ全土で流行した。中でもイギリスの有名プロデューサーチームであるストック・エイトキン・ウォーターマンがプロデュースしたアーティストたちがヨーロッパに留まらない世界的なヒットを飛ばしたが、流行は数年で終息した。
一方1980年代後半、ユーロビート、ハイエナジー、イタロ・ディスコなどといった当時のヨーロッパのダンス音楽がまとめて「ユーロビート」の名称で日本に持ち込まれ、日本のみで独自の発展を遂げた。1990年代以降も日本のレコード会社・エイベックスなどから発注を受けたイタリアのプロデューサーによってユーロビートが制作され、日本のパラパラなどのダンスカルチャーにおいて消費される状況が続いており、さらには日本のアニメやゲームなどにユーロビートが採用され、それらの作品が海外に輸出されることで、ユーロビートは日本文化の一部としての「スーパーユーロビート」として世界に再発信されている。
この「売り手の売りたいもの」と「買い手の買いたいもの」のギャップこそ商業至上主義的パサージュ論の醍醐味?