諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ブルー・オーシャン?】「マルタ語に関する話題」は、どう発展させるべき?

以下は何故かずっと自ブログのアクセス解析ではランキング上位に留まり続けてる投稿… 

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留学先としても人気のマルタ島!訪れるべき魅力的な観光地3選 | Compathy Magazine(コンパシーマガジン)

英語をブラッシュアップしたい多くのヨーロッパ人は、マルタへ行く。というのは、この南ヨーロッパの島国では英語が公用語だからだ。そしてマルタは多くの語学学校で有名だ。

言語学者にとってはしかし、この国はそのために興味深いのではない。彼らはある他の理由からマルタに興味を持っている。マルタ共和国はつまり、もうひとつの公用語をもっている。マルタ語である。この言語はアラビア語の方言から発生した。それによって、マルタ語は唯一のセム語族のヨーロッパ言語となる。

統語論と音韻学は、しかしアラビア語と区別される。

マルタ語もまたラテン文字で書かれるが、そのアルファベットはいくつかの特別な記号をもつ。cとyはない。語彙は多くの異なる言語からの要素を含んでいる。それにはアラビア語の他、とりわけイタリア語と英語があげられる。(さらに遡ると)フェニキア人やカルタゴ人の影響が急浮。

一部の研究者にとっては、マルタ語はそのためにアラビア系のクレオール言語だ。マルタはその歴史上、様々な権力によって支配された。それらすべてがその痕跡をマルタ島、ゴゾ島、コミノ島に残している。長い間マルタ語は地方の俗語でしかなかった。

しかし本当のマルタ語の母国語者は常に残っていた。彼らは口頭でのみ伝えていった。19世紀になってようやく、書くことがはじめられた。今日、マルタ語話者の数は33万人と推測される。2004年からマルタはEUの一員となった。それによってマルタ語もヨーロッパの公用語の一つとなった。マルタ人にとってはしかし、この言語は文化の一つでしかない。そして彼らは、外国人がマルタ語も勉強したいといえば喜ぶ。語学学校はマルタにはじゅうぶんたくさんある・・・。

これも「ブルー・オーシャン」領域の一種ではある? 

ブルー・オーシャンは「レッド・オーシャン注目度が高過ぎて投稿しても検索上位に割り込めないエリア)」と「ホワイト・オーシャン注目度が低過ぎて検索上位は取れても検索自体が行われてないエリア)」の狭間に一瞬だけ現れる!!

だけど「視えてもどうにもならない時」もあるという…