諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【隙なき双頭蛇としての率然】【パサージュとしての百越】「日本語の故郷」としての福建省?

要するに太平洋沿岸のアジア文明の大源流は「百越」?

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 百越(ひゃくえつ)または越族(えつぞく) - Wikipedia

古代中国大陸の南方、主に江南と呼ばれる長江以南から現在のベトナム北部にいたる広大な地域に住んでいた、越諸族の総称。越、越人、粤(えつ)とも呼ぶ。

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  • 日本の明治から昭和期には、かつて中国南部からベトナムにかけて存在した南越国から南越族とも表記された。非漢民族および半漢民族化した人々を含む。日本の現代の書物において(国史にまつわる)「越人」「越の人」と表される場合、現在のベトナムの主要民族である「ベト人越人)」「キン族京人)」とは同義ではない。

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  • 現在の浙江省東海岸が起源と見られる。言語は古越語を使用し、北方の上古漢語を使う華夏民族とは言語が異なり、言葉は通じなかった。秦および漢の時代には、「北方胡、南方越」といわれ、「」は南方民族の総称ともなっていた。贛語、呉語、閩語、粤語は、百越の百越語と関連が深いといわれている。

    善く兵を用いる者は、率然の如き存在である。

    頭を攻撃すれば胴体と尻尾も敵に回す。尻尾を攻撃すれば頭と胴体も敵に回す。胴体を攻撃すれば頭と尻尾も敵に回す。

    ならば何が兵を率然の如く一体化とせしめるか。誰もが知ってる様に呉人と越人は互いに憎み合っている。しかしながら、それにも関わらず同じ船で風に乗って川を渡る際には互いに左右の手の如く協力し合うものである。
    *要するに「危機感の共有」こそが団結力の源となる。

  • 周代の春秋時代には、呉や越の国を構成する。秦の始皇帝の中国統一後は、その帝国の支配下に置かれた。漢の時代には、2つの越の国が確認できる。1つは中国南部、すなわち現在の広東省、広西、ベトナムにかけて存在した南越、もう1つは、中国の閩江(福建省の川)周辺の閩越(びんえつ)である。この時代、中国の南方を占めた越人は、北方民族による力の支配とぶつかり、しばしば反乱がおきている。チュン姉妹の乱は、現代に伝わる当時の反乱の1つである。

  • その後は、徐々に北方からの人々の南下とともに、越人の一部は彼らと混じり、また他の一部は山岳の高地や丘陵地帯などに移り貧しく厳しい暮らしに身を投じる人々に分かれるなど、越人の生活圏には変化が起こっていく。北部ベトナムは中国王朝の支配が後退すると、939年に最初の民族王朝である呉朝が呉権により成立している。

  • 」の国を失い、次第に「越人」としてのアイデンティティーを失っていったものの、現在でも広東省一帯の方言である広東語を「粤語」と呼び、広東省の車のナンバープレートには「」と記載され、南方のベトナムは漢字で「越南」と書き表す。

    ヨーロッパの列強国が現在の中国を植民地にしていた頃の活動の中心地は海運が容易な香港やマカオでした。ここには広東語(広東省周辺地域)、閩南語(福建省周辺)を話す中国人が多く生活し、外国語の音訳は広東語、閩南語の発音が使われました。

    広東語、閩南語の漢字の読みの違いはそれほど大きくはありません。私は閩南語学者なので閩南語の発音で回答しますが、加拿大はカーナードアーです。英語のca(キャ)の発音を置換できる漢字が無いので、カーには加の読みを当てたのです。

    中国語の普通話北京語)ではケンタッキーを肯徳基と表記しケンダージーというような、本来とはかけ離れた発音になりますが、閩南語で読むとキンティッキーです。閩南語はa,i,u,e,oの母音を全てもち、「(ティッ」の様な拗音もありますので、外国語の音訳には北京語よりも好都合なのです。現代中国語の外来語の音訳も、「基本的には」この旧時のルールを踏襲しています。

  • 文化面では、稲作、断髪、黥面(入墨)など、百越と倭人の類似点が中国の歴史書に見受けられる。現代の中国では廃れたなれずし(熟鮓)は、百越の間にも存在しており、古い時代に長江下流域から日本に伝播したと考えられている。

文化荘子外篇 刻意第十五には「干越の剣を持つものは、箱に入れて使うこともなく至宝とする。」とあり、剣が有名であったことが示されている。越人の剣匠には、伝説的な欧冶子や干将・莫耶がいる。また、越人が鍛えた剣で現存するものとして、越王勾践剣、呉王夫差矛などがある。

 そして、こういう話が出てくる訳です。 

 そして、こういう話も。

 これはまさに雄大な規模を誇るパサージュ(Passage)の世界…