ニュージーランドが発狂した。https://t.co/BDgjMBcvUE
— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) March 20, 2019
しかもグーグルやアップルにも検閲を要求とかどうみても狂ってる。https://t.co/DAUEI6W5KT
— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) March 20, 2019
”ゼロヘッジ及び他のサイトをブロックした後、ニュージーランドの電気通信会社らは「消費者を守る」ために大手テクノロジー企業(グーグル、ユーチューブ、アップル、フェースブック、ツイッター、他)に検閲強化を要求”のソース記事https://t.co/7F3elTpB83
— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) March 20, 2019
https://t.co/cug7THb02J "恐るべき犯罪に直面して、より強力なモデレーションポリシーを要求したくなる心情は理解できる。だが残念なことに、そうした提案が裏目に出ることを歴史はたびたび証明している。”
— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) March 20, 2019
https://t.co/cug7THb02J "プラットフォームが過剰に検閲すれば、社会で最も弱い立場にあり、すでに危険にさらされているユーザの声ばかりが沈黙させられることになるのである。"
— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) March 20, 2019
https://t.co/p3FhMZxL6a 道徳のためには検閲当然という認識なのが英連邦。こうう連中が国連などの国際機関を牛耳ってると、俺達の道徳を条約にしようぜ!となる。国連の人権委員会や子どもの権利委員会がそうであるように。
— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) March 20, 2019
https://t.co/hTpP0JxH4m 訳”我々(NZ政府)はまた、不快な出版物を頒布することは違法行為であり、懲役刑で処罰されることを国民に思い出させたいと思います。” NZの常識は世界の非常識。
— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) March 20, 2019
最近よく(父がファシスト英雄で当人が共産主義者だった)ボローニャ出身映画監督ピエル・パオロ・パゾリーニ (Pier Paolo Pasolini, 1922年〜1975年)が遺作「ソドムの市(Salò o le 120 giornate di Sodoma、1975年)」の中で放った「ファシストだけが無政府主義を体現する。力による無政府主義だ!!」なるセリフを思い出します。「究極の自由主義は(絶対王政期の君主の如き)専制の徹底によってしか達成されない」ジレンマに対抗し得る様な「健全な拮抗状態」の確立と維持は本当に難しい?
保守派英国人の好きそうな「釣り合い理論」。問題は誰の釣り合い感覚を基準にすれば全てが最適に推移するかなんですね。
欧州も、多様性を守る国という面子を保つために、
— amamori (@rainywoods2001) March 20, 2019
報道統制をやってましたが、さらに監視を強めて、
衝突の種を徹底的に潰していくという、
シンガポール的な多様性強制国家にするしかないのかも。
それをやるとテロと排外主義が進行するだけですね。だからフランスでもルペンがいまや次期大統領候補にまでなってるわけで。
— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) March 20, 2019
いままでの多様で寛容な社会というのは、
— amamori (@rainywoods2001) March 20, 2019
それを否定する移民と、それに反発する排斥運動によって危機に瀕しているわけで、打つ手がなさそう。
【イギリス】「ゲイ教師のLGBT授業ヤメロ!」英国の小学校で300人のムスリム保護者が抗議行動 バーミンガム | 保守速報 https://t.co/rxvytuU8YU
このとおりになっていっている
— amamori (@rainywoods2001) March 20, 2019
移民という「自死を選んだ」欧州から学ぶこと 『リベラリズムによる全体主義的がやってくる』 中野剛志 https://t.co/ojSSMnDMgI
一方には、移民の流入により賃金の低下や失業を余儀なくされたり、移民の多い貧しい地域に居住せざるをえないために治安の悪化やアイデンティティーの危機にさらされたりする中低所得者層がいる。
他方には、移民という低賃金労働力の恩恵を享受しながら、自らは移民の少ない豊かで安全な地域に居住し、グローバルに活動する富裕者層や、多文化主義を理想とする知識人がいる。彼らエリート層は、移民国家化は避けられない時代の流れであると説き、それを受け入れられない人々を軽蔑する。そして、移民の受け入れに批判的な政治家や知識人に対しては、「極右」「人種差別主義者」「排外主義者」といった烙印を押して公の場から追放する。
その結果、政治や言論の場において、移民の受け入れによって苦しむ国民の声は一切代弁されず、中低所得者層の困窮は放置されたままとなる。
もっと深刻なのは、西洋的な価値観が侵害されたことであろう。
エリートたちは、宗教的・文化的多様性に対する寛容という、西洋的なリベラルな価値観を掲げて、移民の受け入れを正当化してきた。しかし、皮肉なことに、こうして受け入れられたイスラム系の移民の中には、非イスラム教徒あるいは女性やLGBTに対する差別意識を改めようとしない者たちも少なくなかった。このため、移民による強姦、女子割礼、少女の人身売買といった蛮行が欧州で頻発するようになってしまったのである。
ところが、ここからが私たちを最も驚愕させる点なのだが、欧州の政府機関やマスメディアは、移民による犯罪の事実を極力隠蔽しようとしたのである。それどころか、犯罪の被害者すらもが、加害者である移民を告発することをためらった。というのも、そうすることによって、人種差別主義者の烙印を押されることを恐れたからである。
そして実際に、移民による犯罪を告発した被害者に対して人種差別主義者の汚名が着せられたり、あるいは告発した被害者のほうが良心の呵責を覚えたりといった、倒錯としか言いようのない現象が頻発したのである。
この異常事態は、もはや「全体主義的」と形容せざるをえない。寛容を旨とするリベラリズムがねじれて、非リベラルな文化に対しても寛容になり、ついには、人権、法の支配、言論の自由といったリベラリズムの中核的価値観を侵害するに至ったのである。まさに「リベラリズムの自死」と言ってよい。
こうした欧州情勢を俯瞰すると、まだ米国における黒人問題の方が、同様の問題を抱えつつも「急激な悪化が見込まれてないだけ」マシといえるかもしれません。
シカゴFacwbook拷問Live事件(2017年)において「黒人は社会的弱者なのだから、人類平等の実現の為、社会的強者たる白人が喜んで女子供や障害者の様な襲いやすい存在から差し出すべきである」なる自称一般黒人の匿名投稿に対し、一定の理解を示す自称白人リベラリストの投稿が相次いだ。
その一方で自称白人リベラリストは、こうしたやり取りを「黒人が目の前に実際に現れた時は、有無を言わず射殺して良い。ましてや隣人になるなんて絶対に許さない」エビデンスとして利用する様になった。
黒人リベラリストはこうした極論について「(人種を問わない)ストリート・ギャングの思考様式に過ぎず、聞く耳など一切持つべきではない」と切り捨てる一方、犯人を迅速に逮捕した黒人市長をヒーローとして絶賛。「どうやら白人リベラリストにとっては、我々の様に虎視眈々と人種平等の機会を狙い続けている賢明な存在こそが人間関係を緊張させる社会的脅威なのであって、ああいう既存のステレオタイプに合致し、実際に見掛けたら迷わず射殺して良いタイプが話題になるとほっと安堵する」と総括。人間として対等な立場を取り戻す為、積極的是正措置(affirmative action)の返上すら申し出ている彼らをPoor Blackは「(自分の生活が守りたいだけの)Black Establishment」と罵り、 白人リベラリストがこれに便乗して彼らを攻撃する。
*まぁアメリカにおいては「黒人は最早移民ではない」との声もあるくらい。
それでは日本はというと…実は(日本のリベラリストやマスコミが黙殺を決め込んでる)日系ブラジル人関連辺りがヤバいとも。そう、ホフスタッターが1960年代に懸念した様に、どの国でももはやリベラルもマスコミも…