物語そのものではなくその構成要素が消費の対象となるようなコンテンツの受容のされ方を指す。批評家の東浩紀がゼロ年代初頭に導入した概念。
- 東が本論を提起した背景として、評論家・作家の大塚英志による物語消費の概念がある。大塚は『物語消費論』で、ビックリマンシールやシルバニアファミリーなどの商品を例に挙げ、それらは商品そのものが消費されるのではなく、それを通じて背後にある「大きな物語(世界観や設定に相当するもの)」が消費されているのだと指摘し、主に1980年代にみられるこういった消費形態を物語消費と呼んだ。ここで「大きな物語(世界観・設定)」という意味で「物語」という語句を使うことは紛らわしいことから世界観消費といいかえられることもある。
- 東はこれを踏まえ、物語消費論でいうところの「大きな物語(世界観)」が「大きな非物語(情報の集積)」に置き換わり、その文化圏内で共有されるより大きな「データベース」を消費の対象とする形態をデータベース消費と名づけ、特に日本の1990年代後半以降のオタク系文化において顕著にみられるとした。
- これらの消費形態はポストモダンの到来と密接に関わっている。実際、オタク系文化とポストモダン社会は、次のような点で共通点があると考えられる。まず第一に、思想家のジャン・ボードリヤールによればポストモダン社会では作品・商品の原作と模倣の区別が困難になり、中間的なシミュラークルという形態が主流になるとされるが、これはオタク文化での原作との区別の曖昧な二次創作・メディアミックス展開といったものと符合する。第二に、哲学者のジャン=フランソワ・リオタールによればポストモダンとは大きな物語(社会全体に共有される規範)が凋落して多数の小さな物語(小さな範囲内でのみ共有される規範)が林立した状態になることで条件付けられるが、これはオタクが現実社会より虚構世界を重視して別の価値規範をつくりあげていることに対応する。
- 物語消費では、失われた大きな物語を補うべく作品背後の世界観という擬似的な大きな物語が捏造されたが(部分的なポストモダン)、データベース消費では捏造すらも放棄される(全面的なポストモダン)。そして(全面的な)ポストモダン以降のオタク文化においては、個人の解釈の仕方によって多様に変化するデータベース(情報の集積)へアクセスすることによって、そこからさまざまな設定を引き出して原作や二次創作(オリジナルとコピーの見分けのつかないシミュラークル)が多数生み出されるという。
- ジャック・ラカンが用いた「現実界・象徴界・想像界」の用語に対応させると、「大きな物語=象徴界」、「小さな物語=想像界」、「データベース=現実界」となる。ただし、精神科医の斎藤環はこの対応を比喩としては理解可能であるが、データベースに相当するのは象徴界であり、自律性を備えた象徴界が「(オタク文化内における)キャラクターの生成」を促すのだと説明している。世界のデータベース化は、文化面でのポストモダン化(データベース消費への移行)・経済面でのグローバル化・技術面でのIT化というものが形を変えて現れているのだと考えられる。
東自身はデータベース消費論におけるデータベースの種類について言及していないが、情報工学を専門とする山口直彦や美術評論家の暮沢剛巳は関係データベースに相当する概念だとしている。
最近、この概念が再浮上してる模様で…
山岡重行2018応用心理学会「キャラクターのデータベース消費仮説を否定する」
— 山岡重行@心理学者 (@yamaokashige) March 22, 2019
データベース消費とは東浩紀(2001)が提唱した概念で、物語とは無関係にキャラクターの構成要素を消費対象とするコンテンツ受容形態である。東園子(2015)は男性オタクはデータベース消費だと主張している。
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この仮説が正しいのなら、男性オタクは女性オタクや腐女子よりも、目が大きい、胸と腰が大きいという萌え要素を持つイラストを好意的に評価するはずであるが、差は認められず、目が大きく、胸と腰が大きくなるほど好意度は低下した。
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データベース消費という概念は、東浩紀がポストモダン思想を再検討するために生み出したものであり、実在する現象とは考えられない。
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おそらく東浩紀は、メガネっ娘萌え、猫耳萌え等の言葉をストレートに解釈したものと考えられる。
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東園子(2015)は、腐女子は関係性に萌える相関図消費で、男オタクはデータベース消費と主張している。その根拠として、腐女子人気が高かったヘタリアと男オタク人気が高かった東方Projectのコミケのポスターを高い位置に貼るブースが6%対20%で後者の方が多かったことをあげている。
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高い位置のポスターは原作と切り離したイラストの魅力をアピールするのに対し、低位置ポスターは同人作家が客にカップリングの魅力を伝えると東園子(2015)は主張している。
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一回のコミケの東方Projectの売場の20%でしかないポスターを、男オタク全体の特徴と一般化することは不可能である。
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応用心理学会2018で発表した研究結果は、目が大きいだけ、胸と腰が大きいだけのイラストは魅力が低く、キャラクターの構成要素にだけ反応するデータベース消費は実在しないことを示している。
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まして、そのデータベース消費が男オタクの特徴などではないことは明らかである。
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この東園子(2015)の主張を受け継ぎ、男オタクはデータベース消費により「既存の性愛を増幅させ」る男性中心のジェンダー意識を持つと主張するのが、北田暁大(2017)の「社会にとって趣味とはなにか」である。
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穿り返すと案外根深いの…