A beginning is a Very Delicate Time…
聖悠紀「超人ロック(同人誌1967年〜、商業誌進出1977年〜)」…
竹宮惠子「地球(テラ)へ…(1978年〜1980年)」
そしてこれら諸作品の世界観の全ての源流にあったカナダ出身のSF作家A.E.ヴァン・ヴォクト(Alfred Elton van Vogt, 1912年〜2000年)の「スラン(SLAN, 1946年)」 の世界…
そして石ノ森章太郎「サイボーグ009・シリーズ(1964年〜未完)」にインスパイアを与えたとされる米国人作家シオドア・スタージョンのSF小説「人間以上(More than Human、1953年)」に、その石ノ森章太郎が最初に挿絵を手掛けたフランク・ハーバート(Frank Herbert、1920年〜1986年)の「デューン(Dune)シリーズ(1965年〜)」…
さらには円谷プロ「ウルトラマン・シリーズ(1966年〜)」や岩明均「寄生獣(1988年〜1995年)」にインスパイアを与えたハル・クレメント(Hal Clement、1922年〜2003)の「20億の針(Needle、1950年)」「一千億の針(Through the Eye of a Needle、1978年)」そしてディーン・R・クーンツ「ウォッチャーズ(Watchers、1987年)」にロバート・R・マキャモン「スティンガー(Stinger、1988年)」…
考えてみれば(立花隆「宇宙からの帰還(1978年)」をもう一つの祖とする)富野由悠季「ガンダム・シリーズ(1979年〜)」におけるニュータイプ概念と重なってくる部分も?
アームストロングと共に月面を踏んだオルドリンは、地球に戻った後、精神的に気落ちし、気が狂ったように酒に酔い、妻と離婚した。オルドリンは、彼が月面で歩くとき、魂が体を離れるような、奇異な感じを覚えたという。この感覚は彼を一生苦しめた。
同様に神秘的な感覚に苦しめられたのはアポロ15号の月面着陸船パイロット、ジェームズ・アーウィンだった。アーウィンは月のアペニン山脈の岩石の上で、45億年の歴史がある、「ジェネシス・ロック」と呼ばれる水晶を発見した。アーウィンはまるでこの「ジェネシス・ロック」がそこで彼の到来を待っていたかのように感じたという。アーウィンは地球に戻った後、宗教を信仰し始め、2回探検隊を率いて、トルコのアララト山にノアの方舟の痕跡を探しに行った。
アポロ14号の月面着陸船パイロット、エドガー・ミッチェルは月面から宇宙船に戻るとき、何者かに注視されているような奇怪な感覚を覚えたという。彼は自分が宇宙の中の知恵のある生命と心霊上の接触ができたと感じた。地球に戻ってから、ミッチェルは神秘な超自然現象について研究を始めた。彼はカリフォルニアに抽象科学協会を作り上げ、もっぱら人類の意識と各種の超自然現象を研究した。
アーウィンと搭乗した同僚のチャールズ・デューク(69)は同様に、月面着陸時によってもたらされた巨大な震撼に対処できず、酒に溺れ、更に自分の子供を虐待した。現在、デュークは生存中の月面着陸宇宙飛行士の中で最も若い一人である。彼は後になって宗教に帰依し、月面着陸事件を「わが人生の汚点」と称した。
そして1970年代後半といえばアメコミ界におけるカウンター・カルチャーの騎手としてウルヴァリンが不動の人気を勝ち取った時期でもある…
社会的少数派に触れるとき「それが許されているユートピア」を描くか、「それが許されていない今の世界をサバイブするための激励」を描くかの違いだよね。前者がプリパラのレオナで、後者がキンプリのレオになったと。どっちが優れてるとかいう話ではなくて、どっちも必要なものではある
— eifonen (エイ) (@eifonen) April 13, 2019
同性愛とかもそうだけど、それが完全に許容されているユートピアを描くことはそれはそれで人を勇気付けるし、一方で、それに対して社会がいまだ隠し持っている差別偏見をきちんと描くことも真摯ではある、と思う
— eifonen (エイ) (@eifonen) April 13, 2019
この問題に存在する2つの極限解…
- 安部公房が「砂の女(1962年)」冒頭に掲げた「罰がなければ、逃げるたのしみもない」…それは「迫害される理由」を喪失してなお生き延びる程の特殊性なのだろうか? そして、特殊であるという烙印の喪失は当人にとって何を意味する?
- 「和解」が進めば進むほど「和解不可能な部分」が取り残される。誰もが何かは切り捨てていかないと生き延びられない?
「問題解決」が必ずしもHAPPY ENDには終わらない現実の世知辛さ…