人力車にゴム製タイヤ履かせるのが遅れた理由のひとつに「車輪」こさえるのが伝統的に車大工の仕事だったため、輸入タイヤのモジュールに合わせられなかったから、というのがあったような。だから木製車輪に鉄輪でガラガラガラ、が定番だったと。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) April 23, 2019
あと、バネというかサスまわりの「改良」も馬車なんかから学んで、とか。乗り物の「乗り心地」に対する意識や感覚も結構鈍かったフシがあるわれらポンニチ。後の乗用車の国産開発の段階でもそんな挿話あったはず。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) April 23, 2019
思わぬ形で蘇る江戸幕藩体制の残り香。そして、その痕跡の一部は今日なお?