諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】誰も寝てはならぬ?

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「見ざる聞かざる言わざる」三猿の意味と由来とは?本当は四猿?

4番目の猿は「しざる」と呼ばれる。彫刻では股間に両手を当てており、淫行に対する戒めとされる。

中国で生まれた道教によると、 人間の身体には生まれながらに三尸 (さんし) の虫が住んでいる。 上尸、 中尸、 下尸の3匹で、 上尸は頭の中に住み、 中尸は胸の辺りに、 下尸は下半身に住んでいる。 いずれも、 大きさは2寸ばかり。 その虫が60日に1度巡ってくる庚申 (かのえさる) の日の夜、 眠っている身体からこっそりと抜け出し、 天上の帝釈天の所へ行き、 その人の60日間の行状を報告する。 庚申の日は帝釈天の縁日である。 帝釈天は、 悪事・悪心の報告を受けると、 その人の寿命を減らしてゆく。

そこで、 人々は庚申の夜は徹夜して一睡もしないで、 三尸の虫に身体から抜け出す隙を与えないようにする風習が生まれた。 これが庚申待ち (こうしんまち) である。 そして人々は、 三尸の虫を屈服させる法力を持ち、 青い顔で憤怒の形相の青面金剛と云う金剛童子をお祀りする。 しかし、 ただ話をしながら、 お通夜の朝が白むのを待つのも風情がないので、 夜通し飲み食いするようになった。

この習俗は、 平安時代に我が国に伝わり、 江戸時代に全盛となり、 明治になってもなお行われていた。 いまも路傍でしばしば見かける庚申塔はその名残である。 庚申塔と云うのは 「庚申」 あるいは 「青面金剛」 の文字を刻んだ石塔、 もしくは青面金剛の像や、 青面金剛の従者とされる三猿 (見ざる、 聞かざる、 言わざるの三匹の猿) の像を刻んだ石塔である。

三尸の虫と云うのは、 密告者であり、 情報伝達人であり、 敵中に潜んだスパイである。 忍者の用語で云うと 「里隠れ」 であり 「影」 「桂」 である。 見ざる、 聞かざる、 言わざるの三猿が絡んでいるのも、 それが情報に関係するものであることを無意識に表している。

日本だとこんな感じですが、英国スコットランドでは…

 本当にたくましい…