「古都」京都…
以前、我々の知る「過剰なまでにメルヘン調で華美なロココ文化」が、諸外国宮廷人のイメージした「脳内フランス貴族」に主導される形で樹立していくプロセスについて投稿しました。
フランス本家のはあくまで「虚言癖に近い誇大妄想性が鍵」のバロック文化と表裏一帯の内面性表現で、しかもやがて新古典主義台頭によって宮廷から追放される憂き目に…
そうした事例なら、日本でも事欠かない?
そういえば、こないだ「たとえば高学歴マウンティングされたら、京都人なら何て答えるの?」と聞かれて、「"あらあ、えらい頑張って勉強しはったんやねえ"だと思う」と答えました。答えてから、あまりに嫌味に即答できた自分に少し引きました。
— ジロウ (@jiro6663) July 4, 2019
これはそんな下品なことを言うなら、しょせん「お里が知れる」家の出であろうこと、そんな家なのに立派な学校に行ったということなら、さぞかしガツガツと必死で努力したのだろうという意味で、その人の出自から人生の努力からすべてをバカにした言葉で、なんていうか脳内京都人やばい。
— ジロウ (@jiro6663) July 4, 2019
脳内に京都人を飼うと、普段から押さえ込んでいたのかもしれない自分の中のドロドロした部分が輪郭と人格を帯び始めるので、やばいものと向き合うことになる。
— ジロウ (@jiro6663) July 4, 2019
そして、うっかり分不相応なところに潜り込んでしもたさかい、どうせこの調子で山ほど恥かいてるのも気づいてはらへんねやろなあ、というのも含まれてます。ハイコンテクストである分、京都弁は情報量が多い。
— ジロウ (@jiro6663) July 4, 2019
根っからの関東人である自分はビビるばかりです。
— hina (@hina_shella) July 4, 2019
すぐ隣の大阪出身である僕も空気が掴めてくるまで何年も何年もかかったので、ある意味とても貴重な文化です。
— ジロウ (@jiro6663) July 4, 2019
そうなんですか!同じ関西でもそんなに違うんですねえ。
— hina (@hina_shella) July 4, 2019
JRで30〜40分ほどなのにまったく異文化です。
— ジロウ (@jiro6663) July 4, 2019
「へえ〜、頑張って勉強したんだね」とは、攻撃力がケタ違いですねw
— 本望和孝 (@kztkhmo) July 5, 2019
お金持ちと結婚した人に対する「ええとこ嫁ぎはったんやねぇ」も追加で
— クラーク (@hokkaido1517) July 5, 2019
そういえば「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマを指摘したのも「古都」ボローニャ出身のパゾリーニ 監督(Pier Paolo Pasolini, 1922年〜1975年)でしたね。森見登美彦「有頂天家族(2007年)」「有頂天家族 二代目の帰朝(2015年)」作中における「天狗とタヌキは決っして友達にはなりませぬ。君臨こそ天狗の本質、面従腹背こそタヌキの本質ゆえに」なるセリフも思い出しました。なんかこう「生活してる認識空間そのものが違ってる」イメージが勝手に一人歩きを始めるイメージ?