全世界的に、マスコミが独裁者として君臨する社会を構築のするために、マスコミとそれに連動する政党・活動家団体が、猛烈にオラつきだした感があるな。
— 縦管 (@vertical_pipe) September 25, 2019
もっともも逆の見方もあって、昭和・平成の時代はマスコミの独裁が完璧に行われていて、完璧すぎて民衆は気づけなかった。
— 縦管 (@vertical_pipe) September 25, 2019
しかし、平成後期から、情報技術の発展により、民衆がマスコミにカウンターを入れることができるようになり、マスコミ独裁体制が明らかになった。
どちらかといえば私は後者の立場ですかね。そう、ある意味「マスコミ独裁体制」とはそれが最終勝利を飾り、政敵を失ったが故に自滅していく残酷な歴史過程を体現した「最新版の腐海」といえそうなのです。
最近の投稿で久し振りにこの曲を思い出して、脳内無限ループ中…
Les tigres tuent les belles panthères
虎は美しい黒豹を餌食とします。Les poules zigouillent les vers de terre
雌鶏の餌食となるのはミミズです。Les lions massacrent les jolies gazelles
ライオンのガゼルの屠り方は残酷です。les chats dépouillent les oiseaux de leurs ailes
しかし小鳥の羽を毟って弄ぶ猫ほどでしょうか?Mais de tous les animaux, c'est qui les plus forts et de loin ?
それでは百獣の王って何でしょう?Mais de tous les animaux les plus forts c'est nous, c'est les humains !
人間に他ならないんじゃないんでしょうか?
Nous on tue des lions, on tue des loups, et on tue des agneaux
私達はオオカミもライオンも子羊も見境無く殺します。Les poules trop fastoche on les butte par vingt dans leur cageot
檻の中の雌鳥だってまとめて蒸し焼き。On tue des hommes, des femmes, des vieux, des enfants à gogo
女だろうが、幼児だろうが、老人だろうが見境なし。On peut tuer tout ce qui bouge, alors c'est qui les plus costauds ?
視界に入る全てが屠殺対象。それこそ最強の証なの?Les girafes s’empiffrent de feuillage
確かにキリンだって食べられるだけ食べます。les vaches engloutissent des pâturages
放牧中の牛だって食べられるだけ食べます。les lapins se bourrent de carottes et de choux
ニンジン畑やキャベツ畑に放たれたウサギだって同じ。les koalas se goinfrent de bambous
竹林に放たれたコアラも同じ。Mais de tous les animaux, c'est qui les plus forts et de loin ?
それでは百獣の王って何でしょう?Mais de tous les animaux les plus forts c'est nous, c'est les humains !
人間に他ならないんじゃないんでしょうか?Nous si on veut on peut vider les océans
私達には海を空っぽにする事だって出来るんです。Couper les arbres et brûler tous les champs
森を伐採し尽くす事だって出来るんです。Nous si on veut on peut même faire fondre les glaciers
氷河を溶かし尽くす事だって出来るんです。On peut dégommer la planète qu'ils arrêtent de s'la raconter
地球の外に飛び出して、他の惑星に到着する事だって出来るんです。Oui de tous les animaux, c'est qui les plus forts et de loin ?
それでは百獣の王って何でしょう?Oui de tous les animaux les plus forts c'est nous, c'est les humains !
人間に他ならないんじゃないんでしょうか?
そう、「マスコミ独裁体制」を終わらせつつあるのは「ちょっと病弱なセブンティーンが、4000万回以上他人をバールで殴る」、そんな景色だったりもする次第。
そこには既に「勝者の慢心」につながる「敗者側の復讐の成功」なんて美しい物語なんて存在する余地もない。「やばい方のエレクトリカル・パレード」があるばかり…
誰がこれを解き放ったのか? とりあえず今回の出発点はこれ。
そう、いわゆる「マスコミ独裁体制(1990年代〜)」は「産業至上主義時代(1960年代〜?)」における後半部に過ぎず「商品至上主義(1960年代〜1990年代)」なる前半部が存在したのである!!
ある意味、そこから「マスコミ独裁」に至った原動力は(国家間の競争が全てとなった)総力戦大戦時代(1910年代後半〜1970年代)の、さらにはそれに続いた商業至上主義への反動としての、そうした動きの全面否定欲求にあったと言えるでしょう。
- 「軍事の優先」「国家の治安に対する執着」「犯罪の厳罰化への執着」「不正な選挙」…「(十分な火力と機動量を有する常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって養う)主権国家(Civitas Sui Iuris)体制」の中枢たる「覇権=ヘゲモニー(hegemony)」を樹立して維持する活動。
常に背景としてあり続けてきたのは「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマとも。
- 「強情なナショナリズム」「団結の為の敵国づくり」「マスメディアのコントロール」「学問と自由の軽視」…国民統合の為のプロパガンダ浸透とノイズ除去。
*かつて自らが先頭に立った修羅道。この連鎖を否定したかったマスコミ、あるいはリベラル層は「新たな敵を設定し続ける」修羅道に再び舞い戻るのではなく、この達観に到達すべきだったのでは?
- 「性差別の横行」「宗教と政治の癒着」「身贔屓の横行と腐敗」…国民統合の為の伝統的社団、すなわち政教一致体制や家父長制や(奴隷制や貴族制をも含む)身分制維持をコンセンサス(共通価値観)とする伝統的インテリ=ブルジョワ政治的エリート階層への懐柔。
- 「(特定)企業の保護」「労働者の抑圧」…経済発展を担う新興富裕層の優遇で「移民や植民地の低原価労働者としての活用」も後援。
- 「人権の軽視」…議席が「砂糖大根業界や建築業界の利権代表者」などに埋め尽くされて「国家運営上の正しい判断」が下せなくなる議会制民主主義の欠陥を死ぬほど軽蔑し抜いていたカール・シュミット(Carl Schmitt、1888年〜1985年)は、その欠陥を補うべく「政治的なものの概念(1927年)」の中で政治技術の中枢は適正な「友・敵関係(Freund-Feind Verhältnis)」設定による党争上の勝利とした。マスコミやリベラル層は「絶対悪たる差別主義者ナチス」を追い詰めるべく(NSDAPも採用した、人類の多様多態性を否定する)この思考様式に心酔し抜く展開によってNSDAPというより(普通選挙法(1925年)制定とセットで「国体を揺るがす」無政府主義者や共産主義者や国粋主義者の摘発を主目的として設置されたのに、ターゲットを狩り尽くしてしまうとリストラを恐るあまり取り締まり対象を新興宗教集団や国民の風俗全般に拡大した)大日本帝国末期の特高警察へと変貌していった。それだけ「(政治的現実も経済的現実も取るに足らないとして黙殺可能な)反人権主義」なる汎用レッテルの運用は全能感を伴う強力な特権意識を前提とする快感を伴うのであろう。まさしくニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年〜1900年)が「善悪の彼岸(Jenseits von Gut und Böse、1886年)」において「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ(Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.)」の顕現者。当事者の認識は当然(ユダヤ民族に対するホロコーストを遂行したNSDAP同様に)「国際正義の名において、人権主義と人類の平等を阻害する貴様ら絶対悪を族滅する。それに反対する者全てがナチスの差別主義者として族滅されるのが国際正義」という内容で(その自らの正義についての確信ゆえに)論破は絶対に不可能。
これまでの投稿でも、彼らの主張の極限が「趙高の馬」問題へと収束して行かざるを得ない事は繰り返し述べてきた。
何かを侵害された、と認識することによって侵害されたという実感が強化される、ということは本当にあって、それ自体は良くも悪くもない。ただし、モロッコの市場でニワトリを売っている商人に激怒して暴行を働いたイギリス人女性観光客だって、たぶん本人は被害者のつもりだ。https://t.co/fHqPVJBOxX
— チカ🥟 (@chktne) September 23, 2019人間の本質だが、『私は被害者である』というところからマウントポジションをとるのはサピエンスという種の特徴だ。進化人類学者ボームはこの構造を"逆支配"と呼んでいて (C.Boehm 1999) 、傷つけられた被害者たちが訴えを叫べば、人類は一致団結して“横暴な悪者”を倒そうとするように進化している。 https://t.co/7Zc3hys1yp
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019オレは強者だ!と叫ぶよりも、わたしは弱者だ!と叫ぶほうがサピエンスの進化的適応環境(=部族社会)では「強かった」という、これは進化人類学の最大の発見のひとつでもある。
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019この"逆支配"という、自然界においてヒトだけに生じた特異な進化のポイントは5つあった
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019
・心の発見
・意図の共有
・投擲武器の使用
・規範意識の形成
・ゴシップ(噂話)
これらが揃っていない他の動物の群れ社会では、“逆支配” という進化は起こらなかったというわけある進化が起こると、その進化に便乗(exploitation)して繁栄する個体というものがでてくる。進化心理学(EvoPsy)を学ぶ目的は、我々サピエンスという動物の有する価値観の進化的起源と本質を知ることで、避けがたくバイアスのかかった正義や理性や直観ではなく、真の物の見方を養うことにあります。
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019なぜ、人々の道徳心はいつも暴走してしまうのか。なぜモラルはいつも都合よく利用されるのか。なぜ人々は「自分は正しい!」と思い込むように進化しており、この女性観光客はニワトリを売る商人に暴行を働いてしまったのか?;
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019
進化心理学はその謎を解き明かすカギになる。https://t.co/o4w9XAfKl0よくわからない、という声が出ていますが、“ 人類のモラルは感情ゲームによって進化したのだ ” ということをまず押さえてください。サピエンスは強者(=勝ち組)に対してゴシップで悪評を広めたり、連合を組んで集団制裁を加えるように進化している (Bingham 2000)。https://t.co/ER1Fjjo4S8
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019強者(=勝ち組)に対し、弱者(=負け組)が対抗できるのは、サピエンスが “心の中の意図” を互いに共有し、win-win関係を結べるように進化したから(Tomasello 2009)です。どんな最強のサルも、同盟を組んだ複数のサル相手では敵わない。チンパンジーやヒトはこのような政治ゲームができる。 pic.twitter.com/oEDCKCe7k2
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019このような人類社会の状況においては、「あいつは利己的だ/ワガママだ/みんなのことを考えていない」と他者から思われること(=ゴシップされること)は致命的になります。集団制裁を避けるため「わたしはみんなのことを思いやっている」と伝えるための社会貢献が進化しますhttps://t.co/VL9DjBkCYr
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019人類社会では、みんなから「あいつは悪人だ」と思われることが致命的なため、逆に善悪を司るモラルというものが地位競争や政治策略に利用されがちになります(なぜ競争するのかというと、競争に敗れた者はすでに淘汰されているからです)。このゲームに勝ったのは偽善者でしたhttps://t.co/q0vd4Gx5fl
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019この「他人からワガママなやつ/悪人だと思われると不利になる」、一方で「みんなのことを考えている人/善人だと思われると有利になる」しかし「生存-生殖競争に敗れれば淘汰される」というサピエンス社会のゲームにおいては、必然的に偽善者(hypocrite)が勝ち残りました。
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019しかし、サピエンスは「他人の心を読めるように進化したサル」なので、悪巧みやウソはすぐに見破られてしまいます。そこで、サピエンスたちは、意識的な偽善ではなく、無意識の偽善(=自己欺瞞)を進化させました。かくして私たちの心は、社会的な動機で満たされています。https://t.co/vy7NnGMJ1z
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019みなさんがたとえば志望企業の就職活動の場において、「カネが欲しい」「大企業に入ってモテたい」というのではなく、「御社に貢献したい」「社会をこのように素晴らしく変えていきたい」と言わなければならないように心が感じるのは、進化の結果です。それができないと“社会性がない”とみなされます。
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019このような「みんなのことを考えてない奴はシバくぞ」という規範意識が浸透したサピエンス社会の群れにおいては、たとえば"妬み"のような感情システムが進化上適応的なものとして発達していきます。すべての感情には機能(function)があり、進化心理学はこれを研究していますhttps://t.co/158Y2ShTRH
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019妬んでる奴は本来負け組なはずなのに、勝ち組をこけ下ろすことで勝った気分になる(集団制裁によって強くなる)、これは哲学者フリードリヒ=ニーチェが"ルサンチマン"と呼んだ作用と同じものです。
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019“『われわれ善き者ーわれわれこそが正しい者だ』。彼らが熱望するものを、彼らは報復とは呼ばずに
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019
〈正義の勝利〉と呼ぶ。”
- フリードリヒ=ニーチェ pic.twitter.com/s49o82qxEWうーん?被害者ポジションに何故進化は特権的な立場を与えたんでしょうね?経験則として「強い」のはわかりますが、そうなった経緯はわからないです。
— 無茶王⋈ (@1yamamon) September 25, 2019社会が弱い者を守るようになってったから?とか
— きき耳たて美 (@kikimimitatemi) September 25, 2019たっぶん宗教や哲学の「受苦」だとか「所与」だなんだまで、基本はそういうところって気がするw
— 大江昇 (@TKDOMO) September 25, 2019恐ろしい事に、ここまでくると彼らの体制的権力としての力が勝り過ぎて「伝統的な敗者のルサンチマン」なる価値判断基準をすら超越し「直交」すなわち「線型独立」を達成してしまうのである。本物の弱者すら差し置いて「史上最強の本当の意味での無敵の弱者」なる立場を独占してしまう展開を迎えてしまう。
ここで興味深いのが以下の脱線。
このうちの"投擲武器"はどんな役割を果たすのですか?単純な力での支配関係にならないため?
— ヘルおじさん (@uncle_from_hell) September 25, 2019
ああ、これは単純に「石ころ」の話です。霊長類は木にぶら下がることで親指とそれ以外の指が迎え合わせになり、手と肩の骨格の可動域が増しましたが、ヒトはそれをさらに「投球フォーム」にフィットするよう進化させていて、大リーガーであれば石を150キロで遠距離砲撃できる、一対多の構図が生まれる
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 25, 2019
そう、伝統的に各国のインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層は「投擲兵器が社会秩序形成に与える影響」の完全排除を望み、その結果として(表面上は)執拗なまでに「(自らがそれを行使する場合か、それが自分達を守る為に行使される場合以外の)一切の武力行使の絶対悪化」に精力的に取り組み続ける結果を生んできたのでした。
*私は日本のマスコミやリベラル層が、南スーダンに派遣された自衛隊の現地韓国軍に対する弾薬貸与について一斉に「人殺しに日本人に巻き込むな、このナチスの差別主義者どもめが!!」と非難した歴史を決っして忘れない。普段は韓国に同情な振りをしてる彼らだが、軍事政権時代には普通に「ヒトモドキが人間の振りしてるだけじゃねぇか!!」と侮蔑してしたし、この時も「(所詮はヒトモドキに過ぎない)韓国人なんて現地人から攻撃されたら喜んで全滅していけ。その犠牲が人道主義と人類平等の精神を顕現させる。日本人を巻き込むな」と弾劾する人々が相次いだ。彼らの「偽善者としての完成度」は「シカゴFacwbook拷問Live事件(2017年)」に際して「黒人側は所詮はか弱い弱者に過ぎないのだから、白人側には補償として襲いやすい(略奪や輪姦や虐殺の対象としやすい)女子供や精神薄弱者から差出す義務がある」なる匿名投稿に「確かに彼らの考え方にも一理ある。我々も人間らしくあり続ける為に人道的かつ人種平等的に振舞うべきだ」なる匿名返答がぶら下がるのを容認しつつ、現実世界では迷子になった非武装の黒人少年が自宅の呼び鈴を押しても(自分や家族を守る為に)躊躇なく射殺して正当防衛を主張する米国リベラルの領域に到達しつつあるといえよう。だから彼らに(実際に中国共産党支持者から略奪・輪姦・虐殺の被害を受けている)チベット人やウイグル人の叫びが届く事は決してない。この場合むしろ彼らの言葉に耳を傾ける人間の方が「絶対悪として族越されるナチスの差別主義者」と扱い割れる展開を迎える。どうしてそうなるか正義の構造を理解してない人間はみんな気が狂ったヒトモドキのナチスの差別主義者に過ぎないから、まとめて族滅対象だよ?
一体、歴史の何処の時点においてボタンを掛け違えてしまったのでしょうか?