本当に、何処に「攻め口」が開くか予測出来ないのが多様性の時代の恐ろしさ…
人から話を聞くたびに自分の認識が改められるものだが、最近もっとも衝撃を受けたのは八〇年代小劇場演劇について「東大・早大の頭のいい男の子たちがやってる演劇で、全然わからなかった」「自分のような女の子がわかる演劇を求めていた」と言う女性演劇人の言葉。八〇年代演劇史を早く書き換えねば。
— ひびのけい (@hbnk) September 29, 2019
90年代初頭の第三舞台くらいまで、早口、滑舌の良さでまくし立てることが優れた演劇俳優に求められる資質みたいな信仰ありましたね。
— 脇路ソレル (@Tomoaky88) September 29, 2019
青年団以降静かな演劇がブームになって、その傾向は雲散霧消しましたが。
元発言は「早口だから話が理解できなかった」という意味ではないと考えてます。「胸に迫るものがない」の婉曲表現としての「わからない」。八〇年代小劇場は観客を笑わせるだけでなく泣かせもしたわけで、どこで情緒を刺激されるか、という感性が「東大早大の男の子たち」とは決定的に異なっていたと。
— ひびのけい (@hbnk) September 29, 2019
補足。自分の感性が相いれないものが当時の(小劇場)演劇の「主流」となり、やがて歴史となっていくことへの強烈な違和感をその方は伝えてくれました。まさに歴史を書くのは男(この場合、東大の頭のいい男の子だった扇田昭彦ら)なのだ、ということを反省とともに思い知らされました。 https://t.co/SbLw8yreoV
— ひびのけい (@hbnk) September 30, 2019
身につまされます。自分も東大・早大の頭いい男の子演劇に萌えてただけなのかもしれんな…と。
— NISHISatoshi (@nishi_satoshi) September 30, 2019
今シーズンの新国は小川絵梨子芸術監督のもと大方の演出家が女性の一方で、松尾スズキ(好きなんだけど)が芸術監督就任のコクーンのラインナップはやっぱり男だけだった…と妻が先日嘆息してました。
てっきり、東大=遊民社、早稲田=第三舞台や遊機械なのかと思ってしまいました。
— 脇路ソレル (@Tomoaky88) September 30, 2019
その通りなのですが、だからといって早口で理解できないという意味ではなかったということです。
— ひびのけい (@hbnk) September 30, 2019
胸に迫るものがない、というのは個人の感性であって当時の演劇界でも野田秀樹の芝居は「わからない、難解だ」という批評はありました。でもそれが全てではなくて野田さんも蜷川さんも商業的に成功しています。一般論でくくるのはやめてください。
— かえるくん (@hikarisa10) October 2, 2019
補足的に言えば80年代には青い鳥や3○○など女性の座長による演劇も多く支持されていました。むしろ今より存在として多様性はあった。
— かえるくん (@hikarisa10) October 2, 2019
このサイトでの言及も多い「東京グランギニョル」も忘れないでください…
もはや「老人に残された安全地帯」など、何処にもない?