諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

本当は恐ろしいロリコン(Lolicon)概念⑦「好きと嫌いの非対称性」についての数理?

自分に欠落してるのは数理」とはっきり自覚して猛勉強を開始したのが年初。そろそろ初年度の成果をまとめ始めないと年末の総括に間に合いません。
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現時点において自分の中に起こった最大のパラダイムシフトはオイラーの公式Euler's formulae^θi=cos(θ)+sin(θ)iの一般形たる正多辺形方程式Regular Polisides equattionCos(θ)+Cos(θ-π/NoS)iへと拡張といえそうです。これを巡る既存価値観混乱の収集は到底年内には望めず、来年に持ち越される見込み…

相関係数(correlation coefficient)- Wikipedia

2つの確率変数の間にある線形な関係の強弱を測る指標。無次元量で、−1以上1以下の実数に値をとる。相関係数が正のとき確率変数には正の相関が、負のとき確率変数には負の相関があるという。また相関係数が0のとき確率変数は無相関であるという。

相関係数が±1に値をとるのは2つの確率変数が線形な関係にあるとき、かつそのときに限る。また2つの確率変数が互いに独立ならば相関係数は0となるが、逆は成り立たない。

例えば以下の図は(x, y) の組とそれぞれの相関係数を示している。相関は非線形性および直線関係の向きを反映するが(上段)、その関係の傾きや(中段)、非直線関係の多くの面も反映しない(下段)。中央の図の傾きは0であるが、この場合はYの分散が0であるため相関係数は定義されない。
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①正多辺形方程式Regular Polisides equattionCos(θ)+Cos(θ-π/NoS)iにおいて1角形Henagon)以上の多辺形でオイラーの公式Euler's formulaCos(θ)+Sin(θ)iが成立するのは原則として2辺形Bilateral)のみ。以降はこの判別式の上限たる2、すなわち円そのものCircle Itself)に向けてゆっくり収束していく。
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  • 円そのものCircle Itself)…無限大の辺数無限小の辺長を有し、半径1の単位円の辺長計の極限は2πに収束。人類は未だにこれを直接は扱えないので用途に応じて適切な多辺形で近似する。このサイトではシュメール時代まで遡る伝統に基づいて60進法60 decimal)を採用。
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    60進法60 decimal)…「60秒」「60分」「約360日」といった時間単位でもある。実際、物理学の世界においては円を角速度ラジアン毎秒(Radian/S)あるいは周波数ヘルツ(Hz)で周回する等速円運動Constant velocity circular motion)と捉え、X軸からの観測の結果Cos(θ)波、Y軸からの観測の結果Sin(θ)波が得られる事からオイラーの公式Euler's formulae^θi=cos(θ)+sin(θ)iと同じ結論に到達する。

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    ただし物理学解釈で描画されるのは単なる円弧ではなく円柱であり、空間軸zと時間軸tの間には可換性が存在する。

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    XY軸(円弧)

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    ZX軸(Cos波)

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    ZY軸(Sin波)

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    観測結果の度数分布表(Histglam)表示:XY軸
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    観測結果の度数分布表(Histglam)表示:XZ/Xt軸(Cos波)
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    観測結果の度数分布表(Histglam)表示:YZ/Yt軸(Cos波)
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    ちなみに時間軸60sは概ね平静時の心臓の鼓動/分と合致し、音楽理論上は早いとも遅いともつかない微妙な速度となる。

    シュメール時代まで遡る1/60秒概念も存在するが、大半の人間は1秒を3拍か4拍で把握するのが精一杯。おそらくこの辺りが「12時間*2/24時間」「12ヶ月」概念の大源流となった。

    これにピタゴラスの定理応用形y=sqrt(1-x^2)を用いて空間軸z=時間軸tに曲率1.0を付与すると(実際には空間軸z=時間軸tそのものは影響を受けずX軸とY軸の空間軸z=時間軸tに応じた縮小/拡大率として作用する)球表面を描く。スケール合わせの都合上、この時の角速度(ラジアン毎秒)は60Radian/S周波数(ヘルツ)は30Hzと想定される。これを仮に標準球面(Standard Spherical Surface)と呼ぶ。f:id:ochimusha01:20191101180804g:plain

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ところでここでオイラーの公式Euler's formula)の正式形はe^θi=cos(θ)+sin(θ)iであり、ここでネイピア数e(e^1=2.718282)および1/e(e^-1=0.3678794)と円周率πの関係を明らかにしておかねばならない。
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  • 物理学の定義に倣って数学上の単位円(Unit Circle=半径1の円弧)を定義しようとすると振動関数-1^Xなる概念が登場しする。
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    この振動関数-1^Xを実数域に拡大したのが振動関数-1i^2Xとなる。ここに初登場を果たした「2乗すると-1となる虚数(Imaginary number)iなる概念についての理解は、とりあえず「その関数内に含まれる(Cos波などの)偶関数X軸=実数軸、(Sin波などの)奇関数Y軸=虚数に割り振ってくれる便利な判別フィルター」程度で良い。
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ここで鍵となってくるのがオイラーの等式(Euler's identity)e^πi=-1が、以下の様に拡張可能な辺り。ここから振動関数-1^2θ2辺形Bilateral)そのものの動作原理であり、その再検討から自然指数関数e^xの指数への円周率π+複素数(0+1i)の代入にネイピア数e円周率π相殺効果がある事が明らかとなる。

  • 奇数関数系:e^(2N+1)πi=-1i^2(2N+1)=-1
  • 偶関数系:e^(2N)πi=-1i^2(2N)=1

突然「自然指数関数e^xの指数への円周率π+複素数(0+1i)の代入にネイピア数eと円周率πの相殺効果がある」とか指摘されても混乱するばかりだが(実際私も最初はそうだった)、要するにこういう事である。

  • 正多辺形方程式Regular Polisides equattionCos(θ)+Cos(θ-π/NoS)iが属しているのはN次元の評価軸直交を前提とするデカルト空間ではなく、球表面上の座標を基軸とする独自の非ユークリッド幾何学の世界。そこでは次元の積み上げもトーラス単数形:torus, 複数形:tori)構造、すなわち大円Orthodrome/Major circle)を周回する観測原点を中心に展開する小円(Minor circle)の付与という独特の形で展開する。

  • 上で標準球面(Standard Spherical Surface)の角速度(ラジアン毎秒)は60Radian/S周波数(ヘルツ)は30Hzと想定したが、イメージとしてはまずz軸/t軸が60周回の円筒を半分に折り返す。f:id:ochimusha01:20190915192200g:plain
    このそれぞれに正反対の曲率(1.0/-1,0)を加えると空間軸zの想定だとドーナツ形を描く。

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    時間軸tの想定だと壺の様な図形を描く。
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  • かかるトーラス構造は単位円(Unit Ciercle)上の2辺形Bilateral)の場合に「大円径(Major Radius)=0,小円径(Minor Radius)=1 」、円そのもの(Circle Itself)の場合に「大円径(Major Radius)=1,小円径(Minor Radius)=0」となり、それ以外の多角形は全てこの中間の値を取る。円そのものは単なる円弧だが(小円径=0なので折り返しの観測が不可能)、2辺形は軌道が完全に重なる「+1から-1にかけての往路」と「-1から+1にかけての復路」の2筋が想定分割数だけ観測される。ところでネイピア数e(2.718282)は関数y=1/xの台形近似における「面積が1となる分割単位」としても観測されるが、かかる円そのものの多角形近似(あえて台形近似に対比する表現形を選ぶなら三角近似)においては、辺数増大に伴って辺長計が4(直径の2倍)から(6.283185=円そのものの円周長)に拡大するに従っての半径1から直径2にかけての増率(1+1/N)^Nの極限として観測されるのである。
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    イメージとしては曲率1.0を加えると空間軸zの想定だと2重の球面を描く(もはや曲率の正負は無関係)。
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    時間軸tの想定だと円が二つ続いて描かれる(同様にもはや曲率の正負は無関係)。
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  • そしてかかるトーラス構造においては、特定の円周に内接する多辺形と外接する多辺形の比率が対数比で構成される場合のみトーラスが連鎖する。
    正三角形の場合
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    正方形の場合
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    それ以外
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  • どういう事だろうか? 今はまだちゃんとした形では数理が示せないが、要するに「片対数尺=透視図法」の魔法である。ネイピア数2.718282)は必ず「(観測原点を起点とする無限大から無限小にかけての近似」とセットで現れるが、上掲の「三角近似法」においてはそれは円周率π(円周長2π、面積π)と完全に紐付けられているので相殺が可能となる。すなわち「内接円と外接円の半径差が指数比で推移する状況」は、ある意味物理学でいうところの「等加速度運動
    Isoacceleration motion)」と重なってくる。要するに内接円と外接円の関係は(加速度と距離の関係が一定である様に)均等だが、観測者の観点からはパースがついて見える(これを相殺する方法を用いればちゃんと均等に見える)という事なのである。人類はこの壁を近世初頭、すなわち欧州ルネサンス期に乗り越え、その結果以降の数理的把握能力が飛躍的発展を遂げる事になった。

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一方、1角形Henagon)未満の世界ではオイラーの公式Euler's formulae^θi=cos(θ)+sin(θ)iが成立する図形が出現周期を短縮しつつ、この判別式の下限たる0に向けて無限に現れ続ける。

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  • オイラーの公式Euler's formulae^θi=cos(θ)+sin(θ)iの成立条件を満たす1角形未満の図形群…このサイトではとりあえず、まとめてティンダロスの保護観察対象犬The Probation target dog of Tindalos)こと正2/(2N+1)辺形群と呼んでいる。人類、何とか先頭に現れる2辺形Bilateral)は相応には飼い馴らしてこいつらの現実世界への侵食を防いでいるので(実は単位円そのもの)、こちらはティンダロスの番犬The Watchdog of Tindalos)と呼ぶ展開を迎えた。

    *結局、私の脳内では「吾妻ひでお系ビジュアル」が勝利…

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ここで段々分からなくなってくるのが、ティンダロスの番犬The Watchdog of Tindalos)こと単位円Unit Circleの内外ウチソト問題。人類は果たしてティンダロスの保護観察対象犬The Probation target dog of Tindalos)こと正2/(2N+1)辺形群をそれに封印しているのか、あるいは逆に単位円内に籠城して外部から侵入を試みるそれらと戦っているのか?

最初の「気付き」は5月に訪れました。「相関係数+1の反対は憎悪相関係数-1)、それとも無関心相関係数+0)?」。上掲パラダイムシフトを経た11月時点における答えが以下となります。

  • 愛も憎悪も「複雑に絡み合った感情を一つに統合しようとする認識作用」に他ならないが、前者の主目的を「感情の純化不可能を承知の上で全てを単一基準に収束させようという試み。無論、無限に終わらない)」とするなら、後者の主目的は「パニック状態からの手段を選ばぬ脱出手段の一貫としての脊髄反射的ラベリングだから素人のとっさに思いつくそれは概ね「鳩胸で傴僂」みたいな矛盾に満ちた理不尽な怪物となる)」となる。要するに前者の極限をRadwimps愛に出来る事はまあるかい(2019年)」で謳われた様な「愛に出来る事はまだある筈」と模索し続ける生き方とするなら、後者の極限は「自分が不愉快と感じるものは全て脊髄反射的にナチスの差別主義認定して自らが生きる上での精神的負荷を最小限に留める」生き方となってくる。

  • ここでは1辺形One Side)を「観測原点が有意味な観測結果を一切得られてない空ループ状態」、2辺形One Side)を「円球の表面上における対蹠を捉え、そことの相対距離から球面上に目盛りが振れる様になった段階」と考える。無関心相関係数=0)の概念が登場するのはその分割過程においてだから、この意味合いにおいては相関係数+1)の反対はあくまで憎悪相関係数-1)という事になる。
    *というより人類は「自分が無関心な対象」をこうした間接的測量を通じてしか発見し得ないのである。そして、それがずっと無関心のままで良い対象なら、そもそも「気付くべき意味」が存在しない。

    エンジニアの聖典オライリー系出版物においてすら「そもそも各評価軸の直交をどうやって証明するか」についてはあまり厳密に語られてない(こういう視野から手持ちの関連書籍を片っ端から読み返して本当に呆れてしまった。これぞ理系の最大の弱点)。それはこうした観点の出発点が天文学や物理学の世界における「疑う余地もない絶対的な相関関係」を相手取る内容であった事に加え、現時点における人工知能技術の有用な分析対象がまだまだ「ヒヨコの雄雌判定」といった明白に商業的利用価値のある実用分野に限られているからで、エンジニアリング分野がこの問題で葛藤する様になるのはまだまだ先の話となる可能性が高い。

    その一方で人類の自己分析能力に関しては、例えば既に江戸時代の女子の間ですら「とりあえず「自らの愛情を貫く事が推しを殺しても後悔しない捕食動物的怪物としての」清姫を無限大、「自らの感情の暴走が止められず怪物化を余儀なくされる悲しきサイボーグとしての」八百屋お七を無限小の極限と置くと両者に直交する形で自らの性癖を完全に制御出来てるイメージを構築する」といった実用的方法論が浸透しており、当面はこうしたヒューステリックな方法論の数理的分析が優先課題となる事が想定される(来年以降の課題)。

  • こうして全体像を俯瞰すると(不毛な党争に終始するジャコバン派恐怖政治と、彼らにほとんど面白半分に理不尽なホロコーストの標的とされながら、いやむしろそれ故に最後まで救心性を失わなかった王党派の対比を見事なまでに描写し尽くした)ジョルジュ・ソレル「暴力論Réflexions sur la violence、1908年初版)」にインスパイアされたカール・シュミットの政治哲学が「政治技術とは排除対象として共有される敵イメージと同化目標として共有される味方イメージの適切な設定能力である」とした妥当性がおもむろに浮かび上がってくるのである。

    そして改めて現在パヨクの出発点が「(むしろ全く手が届かなかったが故に絶対悪としての共有が成立したナチ曽根断崖に向けての諸派連合の団結心醸成」なる「成功体験」だった事に愕然とするのである。いやもう、それ最初から詰んでるやん…

思えば(年初の自分と比べて)随分と遠くに来たもんだ…

やれやれ、まさか自らがこの考え方の実践者となるとはね。そして、最新の話題に鑑みるとこれ。

 発端はおそらくこのブログ…

まずは当事者の談。

例えばとあるTwitterアカウントの評価も豹変してしまいました。上掲のブログ投稿以降の反応。

 上掲のブログ投稿以降の反応

 要するにこの世界か可視化されたという事ですね。

ここで出てきた話。

そう、まさにこれ「20世紀までの政治文化の残滓」なんですね。

こういう立場の人も。

こういう話も。

さらには、こういう話も。

 改めてこの話…

 これに加えて出た話。

 今回の総括めいたもの。

 ちなみに、紛れて飛び出したこの話が面白かったです。

そして新たな戦端

こうやって今年は暮れていく事になりそうですね。