諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【暴走する上野千鶴子】何度でも蘇る与謝野晶子「性奴隷論」

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何度でも蘇る与謝野晶子性奴隷論」…大正時代において既に、廃娼運動に血道を挙げている良家婦人方に「上品ぶってる手前らも、所詮は他の性奴隷に嫉妬してる性奴隷に過ぎねぇのだ」と断言した彼女こそ、真のフェミニスト始祖たるべき?

与謝野晶子 私娼の撲滅について(1916年)

娼婦がまだ発生しなかった蒙昧時代の男は、腕力で多数の女を脅迫して、その強烈な性欲と性欲の好新欲とを満足させていた。それは現に動物界で見るような状態であった。一夫多妻も、一婦多夫も、その様式こそ違え、共に女の性欲的欲求からでなくて、男の性欲的欲求から脅迫的にしからしめた現象であった。この時代の女は性交の一事においてのみ男の暴力に身を任さねばならなかったが、経済的には確かに一個の人として独立していた。女もまた自己の労働に由って自己を生かせて行く人間であった。男と対等に生産的職業を持っていた。男から経済的に扶養せられることがなかった。かえって男との間に生れた子供を男の保護を借らずに養育して行くだけの実力を、女自身の労作に由って備えていた。丁度現に動物の雌が雄の扶養を求めずに自活しているのと同じ状態であった。おのずから一家の戸主は女(母)であった。男は性欲遂行の後に女を見捨てて去り、もしくは女と関係を続けているにしても一人の女の所に留らずに多くの情婦の家を寄食して廻った。

次の時代に入ると男は暴力を以て女の経済的独立の位地をも奪っていた。もう概して男(父)が家長であった。女は奴隷として男の性欲遂行に奉仕するばかりでなく、奴隷として男のために耕作、紡織、家事、育児等に役立たねばならなかった。女の労働から得る財貨は当然男の所有に帰するのであった。

そこで良心と肉体とを男に対して売ることを余儀なくせられる二種の女が生じた。第一種は長期の生活の保障を得るために一生を男に託する女、即ちその当時の妻たり妾たる者がそれである。第二種は短期の生活の保障を得るために一夜を男に託して遊楽の器械となる女、即ち娼婦のともがらである。この第二種の女には労働を避けて物質的の奢侈しゃしを得ようとする遊惰性と虚栄心に富んだ女が多く当った。

その二種の女が後世になって、一は妻及び妾たるその位地を倫理的に――仏教、儒教神道、武士道が妾を是認した如く――正しいものとして認められ、一は醜業婦として倫理的に排斥せられるに至ったのは、男に便利な妻妾の制度を男が維持する必要からの便宜手段であって、男の倫理的観念が妻及び妾に対等の人権を認めるまでに進歩したからではなかった。男はその独占欲から妻妾の貞操を厳しく監視するにかかわらず、男自身の貞操を尊重しようとはしなかった。妻妾の貞操は偏務的のものであった。そうして男は妻妾以外に娼婦との触接に由よってその性欲の好新欲を満足させるのであった。

妻の意義は近代に至って大に変化している。しかし現代の妻たる婦人の中にも、愛情と権利との平等を夫婦の間に必要としないで、なお昔の第一種の売淫婦型に甘んじている者が尠すくなくない。それらの婦人が自己の醜を忘れて、第二種の売淫婦ばかりを良心の麻痺した堕落婦人であるように侮蔑するのは笑うべきことである。私はそれらの婦人が醜業婦を憎むのを見るたびに、彼らは無意識に商売仇を憎んでいるのであるという感を禁じ得ない。

こういう考え方も?

こういう考えも? 

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こういう考え方も?

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これまでの関連投稿…とりあえず以降の投稿用にまとめてみました。 

 

 とりあえず、以下続報…