諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「掛け算九九」から「群論」へ?

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年初から数理に本格的に取り組み始めた数学初心者ですが、最近そういう自分が備えてる最大のリソースは「数理初心者である事すなわち数理熟練者なら素通り可能な箇所で尽く引っ掛かる)」点そのものじゃないかと感じ始めました。

 まさにこれを自分は経験しつつあるという…

そして、こんな話が…

この「九九が36種類」について自分なりに検証してみた結果が以下。要するに結論から言うと「掛け合わせる2つの数字がどちらも1桁でなければならない」なる制約が、10以上の素数(21個)とそれを含む合成数54個)と素因数分解の結果が「二個の1桁の数字」に振り分けられない数(9個)を仲間外れにしてしまうのですね(合計99個)。

そして今度のは「10/n角形と10/(10-n)角形が同じ形になる」10進数の魔法の話。ここでも「桁上がり」が重要な役割を果たしていますね。

これ、もしかしたら「群論」の入り口では? 

群論では、もともとは何らかの材料を使ってできていた構造に対して、「もともと何から作られていたか」をいわば「忘れて」、構造だけについて調べる、ということをします。

そうすることで、ある構造についての定理なり何らかの結果が得られたとき、「もともと何からできた構造であったか」に関わらず、すべての同じ構造を持つものにその定理を適用できる、などのメリットを得ることができます。

この「抽象化」こそが、数学の重要な仕事の一つではないかと思うのです。

もともとは現実の概念から生まれたものかもしれないけれども、いったん抽象化することにより現実から離れてより深くまで進んでいける。

例えば「累乗」なんかも、もともとは「掛け算の繰り返し」のことだったけれども、それを抽象化することにより負の数乗、分数乗、複素数乗などと進んでいけたわけです。

これは、「数式を現実の事象と結びつける」ということにとらわれ続けていてはできない、かけがえのない営みです。

」というのはその中でも特に抽象度が高く、それゆえに応用範囲の広い概念です。

 以下続報…