「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制(各国の封建時代ばかりか「家父長制や奴隷制農場を守る為に中央権威と対立する」アメリカのジェファーソン流無政府主義や帝政ロシア時代の農奴制の様な開拓地起源の流儀も含む)」のせめてもの救いは、それに精神的に依存可能なほど絶対的な正義に準拠出来なかった点という話があります。おっとドイツ騎士団の無慈悲な歴史…おっとスペイン王国の興亡…
人間と言うものは「自分が正しい事をしている」と思った時に最も残虐になる
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年12月20日
そして人間社会にとって差別は必要な行為であり、また正当な権利であり、正しい行いだ
だからこそ人間は差別を行うときに残虐になるのである
人は生きて行く上で多くの差別やいじめを行っている。夜中に騒ぐ連中を追い出し、乱暴者を排除し、バカを貧困層に落とし、日常的に差別といじめを繰り返して人間社会は成り立っている
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年12月20日
人間にとって差別で物事を解決するのは日常茶飯事だ
そして差別で物事を解決することに慣れ切った人間は次に「自分達に有利な差別を作り出す」わけだな
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年12月20日
例えば、陰キャ・DQN・チャラ男・ビッチ・レイシスト・女性の敵、とにかく自分達に都合の悪い人間を差別して排除したり、差別するぞと脅すことで利益を得ようとする
中でも最近出て来た一番バカな理屈は「差別主義者は差別して良い」という理屈だ
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年12月20日
女性を低く扱うのは差別、男性を低く扱うのは差別ではない、という身勝手な理屈とセットで使えば、相手の差別を無効化しながら自由自在に差別できる
まさに最強の差別理論、最悪の差別集団だ、これを言う奴は人間のクズ
中でも最近出て来た一番バカな理屈は「差別主義者は差別して良い」という理屈だ
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年12月20日
女性を低く扱うのは差別、男性を低く扱うのは差別ではない、という身勝手な理屈とセットで使えば、相手の差別を無効化しながら自由自在に差別できる
まさに最強の差別理論、最悪の差別集団だ、これを言う奴は人間のクズ
人がいじめを止められないのも、正義と暴力の組み合わせだからだ
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年12月20日
「嫌な奴を排除するのは皆のため」「誰が嫌な奴か決めるのは自分達」のコンボなら気に食わない奴を誰でも好きなだけいじめられる
正義を行使する誇らしさと暴力を振るう快感に魅了され、相手が死ぬまで痛めつけてしまう
人間は簡単に正義と暴力の中毒になってしまう生き物だからこそ国は三権分立なのだ
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年12月20日
政治家が法律を作り、警察が暴力を振るい、裁判官が法律が憲法に沿っているか判断する
「ルールを決める組織」と「暴力を振るう組織」と「ルールが正当か判断する組織」の3つを分けて中毒を避けてる
権力を分散して正義と暴力の中毒にならないよう自らを律する。それこそが「国を治めるのにふさわしい組織」である
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年12月20日
勝手に正義を決めて、勝手に暴力を振るうリベラルやフェミニズムなど、到底国を治めるに値しない。連中の本質はいじめっ子達と同じ、正義と暴力のセットに酩酊してるだけのアホ共だ
では、いじめの本質的な問題は何かというと、差別をしている事でも、暴力を振るっている事でもない
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年12月20日
三権を分立していないことだ。つまり「暴力を振るう人間」と「誰に暴力を振るってよいか決める人間」と「その暴力が正当であるか判断する人間」が全部同じという点にいじめの本質的な問題がある
具体的に言うとだ「クラスのみんな」が誰を虐めるか決めて「乱暴な子供」が暴力を振るい「担任の教師」がその正当性を精査する、のような三権が近くて癒着した状態だと簡単にいじめが発生し自殺するまで止まらない
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年12月20日
一方で大学のように「クラスのみんな」が存在せず「乱暴な子供」が暴力代行者として機能せず「担任の教師」のような特定の子供集団と利害を共有する存在がいない状態だといじめや自殺というものは起こり難いわけだ
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年12月20日
権力同士の癒着が減ればそれだけ正義の暴走も少なくなるからな
実際の歴史上における「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制=自助主義に立脚する在地有力者の地方分権状態」から「諸外国との軍事力的拮抗や法実定主義の遂行を裏付けるのに十分なだけの火力と機動力を備えた常備軍を中央集権的官僚制が徴税などで直接賄う主権国家」への推移過程を俯瞰するともっと複雑な様相が浮かび上がってきますが…それはそれとして最近「(ポルポトが感動してクメールルージュ政権で再現した様な)フランス革命末期のジャコバン派恐怖政治の暴走」を連想させる動きが最近国際的に妙に増えてる気もします。ちなみに当時を何とか生き延びた「革命のモグラ」シェイエスとか「革命絵師」ダヴィッドや「政治的怪物」フーシェの様な妖怪達が皇帝ナポレオンの擁立にも関わったのは有名な話。そもそも彼ら自身は立憲君主制主義者でも、共和主義者でも、ましてや帝政支持者ですらなく、ただ自らの権力を最大にする事だけ考えて動き回っていただけなんですね。