この投稿以降、群論(group theory)について真面目に考える様になったのですが…というより当事者の感覚からすれば「群論はいいぞぉ」なるダークサイドからの声が届く様になったという感じなのですが…
「要するにこういう事なのでは?」と真剣に検討を始めたのがまた問題で…
- 一般にネイピア数e^1=e(2.718282)すなわちの発見は複式簿記の公理(1+1/N)^N(近似範囲2~e)によって説明される。
- またe^-1=1/e(0.3678794)の発見は「お見合い問題」「サイコロを振って1の目が出ない確率は1/6。ではこれをN回繰り返すと確率はどう変化するか?」なる確率論から出発するベルヌーイ試行(1-1/N)^N(近似範囲0~1/e)によって説明される。
- 数式の形から見てこの公理が自然指数関数e^±xが発生させる等比数列/幾何数列(geometric sequence)の一般項(1±x/N)^Nによって統合されるのは自明(Torivial case)。
とはいえ数式同士と異なり、それぞれに付帯するヒューリスティックス(heuristics)な説明の統合は思うより易しくありません。というか完全な形では不可能…
- そもそも「(式が原資*(1+1/期間分割数)^期間分割数と整理可能な)1年で2倍に増える高金利商品」なんて夢過ぎて現実には存在し得ない。要するに「期間内に2倍」なる前提がどんなに不自然に見えてもヒューリステック・アプローチにおいてすら動かせない重要な数学的前提である事は明らか。
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同様に「もし人生でn人の異性と付き合うことが分かっていてnが十分大きいなら、最初のn/e人とは別れその後で"今までで一番いい人"がいたら結婚する」なるお見合い問題の最終結論も不自然だが、こちらにおける不自然でも動かせない数学的に重要な前提条件は何だろう。①「生涯のうちで出会う人数が十分大きく、かつあらかじめ分かっている」は数学的表現では「無限大から無限小の範囲で遂行される広義積分」や「(式がA*1/xの形に整理可能な)ある数Aの0から無限大の範囲で変動するxによる分割」といった状況に該当する。②「それまで出会った中で1番良い人と結婚する方法」なる無理筋だらけの設問は思い切って捨て「(式が(1-1/N)^Nの形に整理可能な)1/Nの確率の出目をN回振っても出ない確率は定数に収束する」なる数学的結論からの逆算で「出会うはずの運命の人と、それでもすれ違いの繰り返しでどうしても出会えない確率が一定割合で存在する」とでも言い換えた方がいい(ただしこんなほろ苦い悲観的現実を突きつけるだけでは世間の関心など呼べず、従ってこの設問がここまで言い広められる事もなかった事だろう)。
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そして、ここでいう「それぞれにとっての最高の出会い」の定義は、数学的には例えば「Xを2倍にするとYが1/2となる」形でXとYの関係が一意に定まる反比例式x*y-1=0あるいはx*y=1あるいはy=1/xにおいて初期状態x=1,y=1から出発し、かつ面積すなわちxとyの積が1となる組み合わせを単位とする目盛りを振る事に該当する。すると数学的にはY軸には自然指数関数e^xが、X軸には自然対数関数log(x)が浮かび上がってくるのが自明となる(もはやヒューステリックな説明が追い付かない)。
「え、毎回こんな面倒なヒューリスティック解釈と数理解釈の往復を続けないといけないの?」一瞬でもそう感じてしまった瞬間から貴方の心にもダークサイドからの呼び声が届き始めるのです。「群論はいいぞぉ」マスクを外すと、そこにはなんと血塗れガロワさんの笑顔が…そして、ここでまさかの"do you hear the people sing?"合唱開始…
以下続報。