諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【神をも恐れぬ所業】改心して獲物を人間に乗り換えたからセーフ?

Twitterのタイムライン上では時々「奇跡の連続Tweetネタ」が成立します。

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獣肉では相応の成功を収めたら次は魚肉」。ヴィーガン活動家は、人肉の味を覚えた野生の熊と同様に際限というものを知りません。
*冗談抜きで「少しでも耳を貸す相手からは何もかも奪い尽くす(そして次の獲物に映る)」を繰り返すだけのシンプルな捕食動物としか考えられない。

 「漁師にも漁師の生活がある」なんて経済的観点からの配慮もなく「貴様らはみんなまとめて人殺しの犯罪者と同じだ。人間として恥ずかしくないのか‼」などと平然と職業差別プロパガンダに踏み切ります。

ところが世の中には決して因縁を吹っ掛けてはならない職業というのがありまして…

 どうなっちゃうの、この話? しかも…

もしかしたら粛清対象にされちゃうの? 国際SNS上の関心空間でもヴィーガン向けのFood Porn写真ジビエ向けのFood Porn写真の提供者が概ね同じで「きっと狩猟で得た肉は天の恵みとして別カウント」なんて揶揄されてたのを思い出しました。

そういえば「ホタテは痛みを感じないから植物」説なんて珍説もありましたね。

庵野秀明監督も菜食主義者だった筈ですが、こういう騒動には一切巻き込まれません。国際SNS上の関心空間ではそういうタイプは「リベラルな菜食主義者」と呼ばれてました。当人が福音主義者で、進化論を信じてなくて、聖書に従った生活をしてなければ死後地獄に落ちると確信してても他人にその信念の共有を強要しなければ案外上手くやっていけるもんなんです(リベラルな福音主義)。こういう匙加減が分からないのが「(守り抜くべき確固とした自己を備えてないただのリベラル」の悪癖とも?