鎌倉幕府では源頼朝死後、梶原景時を皮切りに次々に御家人が血祭りに挙げられる修羅場になるが、割と頻繁に顔を合わせる者同士なのに、密かに裏で話がついて昨日までの知り合いがいきなり殺しに来る地獄でマフィアと行動様式がほとんど変わらない。
— Sz73 (@Sz73B) 2019年12月27日
誰も彼もろくな死に方してないが、源頼家は特に酷く、
— Sz73 (@Sz73B) 2019年12月27日
頸に緒をつけ、ふぐりを取りなどして殺してけりと聞えき
何で陰嚢を切り取る?何のスプラッターだよ。源実朝を殺した公暁は実朝の生首を片手で掴んだまま飯を食ったという。 https://t.co/kMATTosFXz
戦国時代に来日した宣教師が戦国武将について同様の振る舞いを報告しています。同時に「まるでルネサンス期イタリアの諸侯の様だ」とも。そう、まさしく塩野七生のイタリア歴史小説の世界…
むしろ日常がそうだったからこそ、文化の庇護者たる事に熱狂したという歴史的皮肉…