諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「強くなければ生き延びられない。強いだけでは生き延びる資格がない」?

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そういえば、このブログの今年の裏目標の一つって「どういう形で戦前から続くフランス文化への傾倒が、如何に英米文化のそれに塗り替えられていったか」について可能な限り明らかにする事だったりするのですね。かなりの部分で映画文化によるTV文化の、漫画専門誌による少年少女向け月刊誌の圧倒と絡んでくるんだけど、誰かがそれについて通史の一環にちゃんと組み込んで語っているのを見た事がないのです。

 バルタン星人(ALIEN BALTAN) - Wikipedia

命名は『ウルトラマン』第2話の監督と脚本を担当した飯島敏宏による。名称はバルカン半島に由来するという説と、設定作業当時の人気歌手シルヴィ・ヴァルタンから取ったという説があるが、飯島のコラム「今明かされるバルタン出生の秘密」によれば、正しいのは前者。「母星が兵器開発競争によって滅んだため、移住先を求めて地球にやってきた」という設定を、ヨーロッパの火薬庫といわれて紛争の絶えなかったバルカン半島に重ねているとされる。

しかし、2012年7月24日にWOWOWで放送された『ザ・プライムショー』では後者の説が採用され、飯島自身は実際にはヴァルタンのファンではなかったが、「(名付け親である飯島がヴァルタンの大ファンであったため」という理由にしたと語っている。また、同番組とは別に「世界怪物怪獣大全集」では後者について言及しており、その由来はヴァルタンが出演するレナウンのCMであると当時円谷プロで企画室長を務めていた金城哲夫が述べているが、復刻版ではこの点について、事実と異なるとしている。

2016年2月19日の日本経済新聞の「文化」面に掲載された飯島のコラム「ウルトラマン誕生 大作戦」では、バルタン星人の名前はバルカン半島に由来するが、宣伝部の案でヴァルタンから名付けたことに決めたので、両説とも間違いではない、としている。

事実関係はともかく「1960年代には宣伝部が推すほどブルガリア出身のフランス歌手シルヴィ・ヴァルタンSylvie Vartan, 1944年~が売れてた」数少ないエビデンスの一つとして重要。しかもどうやら当人もフランスへの米国ロックンロール文化輸入に加担してたっぽいという過渡期特有のややこしさ…

 

何となくジェイムズ クラムリー(James Crumley)の「酔いどれの誇り」とか思い出します。特にこの作品かその続編にあった少女娼婦とのカーセックス場面…

最近でいうと「ロリータ=ロードムービー」的的世界観の元祖アメリカがそれを完璧なまでに見事に描き切った映画「LOGAN/ローガンLogan、2017年)」とか…

日本へのハードボイルド文化の輸入も、戦前から復興期にかけて主導したのは「(本格推理物はともかく通俗長編には、黒岩涙香モーリス・ルブランやポーの風味が似合う」と豪語した江戸川乱歩や「名探偵多羅尾伴内シリーズオリジナルとなる片岡千恵蔵主演版が1948年~1960年)」制作陣といったモーリス・ルブランのファン層であり、彼らはむしろ英米系ハードボイルドを殆ど評価しなかった様なのですが(虚淵玄の祖父」大坪砂男はその点雑食でモーリス・ルブラン風短編を執筆しつつ「米国ハードボイルド文学を支えるのは泥の海に蓮の花を求めるセンチメンタリズム」なる「家言」も残している)、1960年代初頭から未曽有の翻訳小説・洋画ブームが始まると、今度は逆にモーリス・ルブランが忘れ去られる展開に…

*久しぶりに自分の過去投稿を読み返して大坪砂男「私刑」中における米国占領下の焼け跡で放たれたセリフ「今はみんな自分の自由って奴に忙しいんで、つまり世並みが悪いんですよ」に改めて戦慄。そう、こうした(1940年代黒沢映画にもしばしば見受けられた)サラリと放たれる一言がもたらす戦慄こそがハードボイルド文学の醍醐味…

一応、過去投稿から再引用しとくと

  • タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がないIf I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.)」
  • 「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ(Take my tip—don't shoot it at people, unless you get to be a better shot. Remember?)」

ですね。国際的には「 If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive」を「それでも紳士であり続けなければ生き延びる資格がなかった」と解釈し、そこに英国紳士の気概を感じる向きが多い模様。

この独特の緊張感、西部劇映画「シェーンShane、1953年)」には確実に息遣いてましたね。人殺しは人殺しとしてしか描かない覚悟…そういえば映画「LOGAN/ローガンLogan、2017年)」でも引用されてました。アメリカ文化の水面下で繋がる何か…

とりあえず以下続報…