「グエムル 漢江の怪物(괴물、2006年)」とか、一応はそれなりに評価してる私が、ポン・ジュノ監督の最新作「パラサイト 半地下の家族」に食指が伸びないのは、途中段階の何処かで「江南左翼フラグ」がONになる作品って分かり切ってるからなんですね。まぁこれは韓国でも言われてる事ですが…
大恐慌によって荒んだ世相にあえて逆張りして「或る夜の出来事 (It Happened One Night, 1934年)」や「オペラハット(Mr. Deeds Goes to Town, 1936年)」や「我が家の楽園 (You Can't Take It with You , 1938年)」などをヒットさせつつ、社会的に成功して資産も出来るとその立場を貫けなくなって「群衆 (Meet John Doe,1941年)」とか撮影したフランク・キャプラ監督(Frank Russell Capra, 1897年~1991年)に通ずるものがあるかもしれません。まぁ一応「スミス都へ行く(Mr. Smith Goes to Washington, 1939年)」はギリギリのバランスは保った傑作だし、封切り時は大ゴケだった「素晴らしき哉、人生! (It's a Wonderful Life, 1946年)」もパブリックドメイン化してから新世代のファンがついてクリスマス放映の定番になるほどの再評価になったし…
では社会的に成功したら「もはや今までみたいなハングリーな精神で執筆が続けられない」と断筆宣言して政治活動に専念したダシール・ハメット(Samuel Dashiell Hammett、1894年~1961年)が正しいのか…ハードボイルド作家なら必ず突きつけられる設問…
中には、こういうしんどい体験をした人も。
- 中年まで売れない純文学的作家として過ごしてきた。そのルサンチマンをぶつける形で執筆した「金持ちからしか盗まない泥棒紳士」物が大ヒット。自らも念願の「金持ち階層への仲間入り」を果たす。あれ?
- 恐れていた通り、以降毎夜の様に自らの捜索した泥棒紳士が盗みにやってくる悪夢にうなされる様になる(まぁ何度も恋人とか殺してて、正当な復讐の理由もある)。何度も殺そうと試みたが、その都度ファンから抗議が舞い込んで復活させざるを得なかった。
- 最後の未完の大作においては、かかる人物は蓄えた資金で理想郷を築こうとするロマンチストに変貌していた。あやうくそういう方向に「成仏」させられる所だったのである。
これが知る人ぞ知るモーリス・ルブランのジレンマ(The Dilemma of Maurice Leblanc)なるエピソード。こうした問題について「元左翼」外山亘一がこう要約している。
“差別問題”というのはキリがありません。差別に反対し、実際に反差別運動に熱心に関わり、自らの無自覚な差別性をも克服する努力をどこまで続けても終わりがないんです。…反省してしまうと「反日武装戦線」に志願するか、中途半端なところで妥協してPC左翼になるしかないんです。
私のこれまでの投稿では、これにさらに米国における白人リベラルの黒人への態度(真の平等を求める黒人リベラル層を嫌悪し続ける一方、白人との無限闘争を主張するストリート・ギャング上がりのテロリストに表面上の共感を示しつつ、実際に目前に現れた黒人については丸腰の少年でも射殺して「野蛮人に対する正当防衛」を主張する)を加味して「贖罪の歓喜のうちに被害者に家族を強姦され、自らも惨殺されつつ全財産を彼等に遺贈するか、それの出来ない偽善者として一生を過ごすか」なる形のジレンマまで掲示する事が多かった訳ですが…
どうせなら日本のリベラル層には、そういう方向で苦悩して頂きたいものです。
ところが…
感染の船舶閉じ込め、クルーズ船のことワイドショーで中継までしてるのを見てると、吃驚するほど”乗客の居心地”だけで、同じ感染疑いある場所でも乗客の世話して非常時の超過勤務してる乗員クルーの話に殆ど一切言及しないの、神経疑うレベルですげーな。
— 永月弥生 (@nagathuki) 2020年2月6日
どこまで自分も世話される“客側”なんだよ…
綺麗ごとにしても、クルーズ船で船内客室で過ごす乗客の不満より、あのまま乗客サービス従事してる人たちがどう言う対応でどのような事するのか、客目線でなく伝えて労いの言葉ひとつくらいはどの情報番組と称するワイドショーは言ってもバチ当たらんでしょ。
— 永月弥生 (@nagathuki) 2020年2月6日
明日は我が身でお互い様の労働者のくせに
クルーズ船の着岸を中継して何か意味あるんか?物資が運び込まれました、、、だから何?そりゃ物資いるだろ。テレビの情報伝達量の少なさに呆れる朝。ヘリまで飛ばしてアホかと。
— 上念 司 (@smith796000) 2020年2月5日
ほんとに…クルーズ船を必死になって追いかけてる姿に呆れ
— 🇯🇵さちまん🇯🇵 (@satyoman) 2020年2月5日
それよりも、全快した方もいるのにそれすら言わないマスコミ。
河野大臣がTwitterしてくれてるからわかるけど。
こんなのはもう本当に問題外。ちなみに米国政治学者ホフスタッター(Richard Hofstadter、1916年~1970年)の「アメリカの反知性主義(Anti-Intellectualism in American Life, 1963年)」が断罪したのもこの種のインテリの自己欺瞞で、そこで予言された既存価値観の壊滅を体現したのが米国公民権運動とヒッピー運動でした。日本の「自称」インテリ層はそれをあえて真逆に「インテリの無謬性を信じられない大衆は淘汰されるべき」と誤読して自己擁護の材料に使っていたりして、本当につける薬がないのです…